エホバの証人から脱出したあとは、視野を広く柔軟に方向転換

カルト脱会後は、視野を広く柔軟に

気持ちいいくらいに正反対意見の元エホバの証人ブログを発見

私は、SNSなどでエホバの証人の情報収集を行っていて、自分以外のブログも、ときには読んでいる。最近、気持ちいいくらいに意見が真逆のエホバの証人関連ブログにたどり着いた。

そのブログ作者ご本人は、おそらく脱会済み。エホバの証人組織の「人」につまずいたパターン。「統治体がー、とある長老がー、信者たちがー」と、エホバの証人の言行不一致の細部を指摘する記事のオンパレード。

それで、ブログ作者本人は「エホバは信じてる」と。しかし「聖書は全部読んでいない」と。そのブログ主ご自身が「それで良いと現役時代に判断した」かららしい。

凄まじく低レベルな短絡思考、決めつけ判断力が濫用されている。つまり、愚かで残念な人。

聖書みたいな古臭い異文化の本は、隅から隅まで何周も読んで、参考文献を幅広く調べて、それで表面的にやっと理解できるかどうかのレベル。それもエホバの証人の新世界訳だけでなく、多訳で読むべき。

その上で、ヘンテコネームの「エホバ」を神として認めるか判断すべき。

私は、何も聖書を全部読めと言っているのではない。私もエホバの証人2世であることを強要されていたときに、全部読んだかどうか微妙。今でもさほど興味はない。

新世界訳聖書をつまみ食いして、「エホバは間違いなく存在します!」っていう思考回路がヤバいんだぜ、と言っている。一を聞いて十を知る聖徳太子レベルの優秀人類でないと、それはムリ。

ブログを流し読みした時点で、当人の知能レベルが伺える。このブログ作者は、間違いなく聖徳太子の対極に存在している。そもそも「エホバ信じてます」の段階で、精神が不健全であることは明らか。聖徳太子にはあらず。

包容力のある大人な社会は、決してカルトを許さない

自戒としたい元エホバの証人ブログ

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エホバの証人、カトリックの病院はOKなのに輸血がNGな理由は?

カトリック系の病院には行くのに輸血は拒否するエホバの証人

エホバの証人の矛盾、カトリック大嫌いなはずなのに

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』から。

エホバの証人の子どもが輸血拒否で亡くなった川崎事件。エホバの証人児童が亡くなった病院は聖マリアンナ医大病院。この

大学病院は、上空から見ると、見事な十字架をかたどっている

そうで、エホバの証人が目の敵にしているカトリックの権化みたいな建物。以前から気になっていたのだが、エホバの証人が大嫌いなカトリック系の病院で治療するのはエホバの証人的に問題ないのか?

輸血拒否で児童が死亡というセンセーショナルな点が論争の中心になるけれど、普段あんなにエホバの証人が攻撃している異教由来の医療にお世話になるというのはエホバの証人的に良いの?

緊急時だったので、エホバの証人とはいえ臨機応変に対応した。「そんな細かいことにこだわりはしないエホバの証人って素晴らしい~」と、本人たちは言うのだろうけど、では輸血は?細かいことにこだわって子どもを殺したのはどこのカルトですか?

輸血拒否が子どもの意思であろうとなかろうと、ものみの塔の罪は重い

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め

カトリックの病院はOKなのに、輸血がNGな理由は?

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エホバの証人のマインドコントロール大会の狂気に流す涙

エホバの証人の受難、バブテスマ

エホバの証人の大会とは?

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』から。

著者がエホバの証人の大会に潜入している。壇上の講演者の煽りと、聴衆の盛大な拍手。一体感と温もり。多数の人と同じ方向を向いているという安心感。

それ、全部ウソですから。マインドコントロール用に作られた茶番。スポーツやライブコンサートでも見に行けば、同じ感覚を味わえるから。

「こんな人達と一緒なら・・・、ダマされてもいいや」

いや、ダメでしょ。ダマされたつもりでやって良いのは、取り返しのつくことだけ。

取り返しのつかないマインドコントロール状態の人達。その人達と一緒ならなんて思ってしまう段階で、エホバの証人のマインドコントロール大会に呑まれている。

ものみの塔にダマされれば、人生まるっと搾取される。無駄な一生を送ることになる。無駄なだけでなく社会に害をもたらすカルト活動に人生を捧げることになる。親であれば、子どもや配偶者をも有害カルト活動に巻き込むことになる。

家族と、家族と自分自身の人生を損ねることになる。

エホバの証人の献身、ものみの塔に対する人身売買契約

エホバの証人の洗礼~バプテスマという献身の儀式に関する二つの誤解

カルト儀式、エホバの証人のバプテスマ

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『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め

エホバの証人の親が行う殺人

殺人鬼、エホバの証人

エホバの証人の子どもが交通事故で重体となり、親に輸血拒否されて殺された事件。1985年の川崎事件をノンフィクションで描いた『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』を読み始めた。

1985年当時、私は5才。被害者と同じエホバの証人の子どもだった。テレビでセンセーショナルに報じられる事件を、私の親を含めたエホバの証人の大人たちは殉教者を褒め称えるかのように高揚した面持ちで見ていた。

当然の決断、勇気ある正しい決断だと、子殺しのエホバの証人の親を讃えた。自分たちも同じ境遇になったら迷わず同じ行動を取ろう、と励ましあう。

バカですか?想像力の圧倒的欠如。

本当に、我が子の「輸血無しでの生命残存時間が3時間」と告げられたら?

臨場感満載で考えられないから、子どもに絶対輸血させないと簡単に言ってしまう。

輸血すれば、ほぼ間違いなく助かる命。輸血しなければ失われる命。事態は緊急で、あーだこーだやっている間に、命の灯はぐんぐん消えかけていく。

もしもその場に直面して、子どもの命に対して現実感を持って直面できないのなら、エホバの証人の殺人鬼たちは事前の安直な決意に従って、我が子の命を削ぐことになる。

エホバの証人が命がけで輸血拒否するのは目立ちたいから

輸血治療の普及を世界中に推進しているエホバの証人

紙一重でエホバの証人に殺されていた子ども

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エホバの証人の勘違い愛「アガペー」より、「エロス」

エホバの証人の勘違い愛

エホバの証人のKANCHIG「愛」

元エホバの証人2世の論考集『エビのしっぽ』より。

エホバの証人の信じるアガペーって種類の愛は、非常に危険で、思考の愛。もっと言うと頭の中だけの押し付けの愛

自然な愛ではない。純粋な愛とは全然別物

私の記憶では、エホバの証人の教理では愛に序列があって、最上位の愛が、このアガペー。神に対する畏敬、畏怖の念だとか何だとか。

理屈っぽい。著者が「押し付けの愛」と言っているのはそこ。

「エホバって、こんなに慈悲深く、辛抱強く、愛に溢れ・・・だからエホバを怖れ、愛せよ」と繰り返し繰り返し、しつこく教え込まれる愛。

愛する対象と愛し方を教えられる。この時点で不穏な匂いがする。著者も書いている。「自然な愛」ではないと。不自然な愛。だいぶヤバい香りがしてくる。まさに「非常に危険」。

エホバの証人の場合は、教えられてというより、「脅されて」抱かざるを得ない「勘違い愛」。そんなもん愛じゃないって。

KANCHIGAI→KANCHIG愛。

エホバの証人(JW)組織が行っている脅迫と殺害予告

エホバの証人であることは罪

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エホバの証人、ハルマゲドン生還の新しい基準とは?

エホバの証人の新しい光、ハルマゲドンで死ぬ人設定の変更

ものみの塔本の危険性

昨年後半からTwitterでJW(エホバの証人・ものみの塔協会)の情報収集を始めた。反エホバの証人と言いつつ、昔の記憶をネタに攻撃しているだけで、最新情報は集めておらず。これではまずいというわけで。

特に、私はものみの塔本などは絶対に読まない。敵を知らずして戦いようが無いのだが、いかんせん、エホバの証人資料の危険さと退屈さは身をもって知っているので。

Twitterを見ていると反エホバの証人の立場の人でも、しっかりと最新エホバの証人誌を読んで、批判している人がいて偉いものだと思う。

言わずもがな、不要の注意だと思うのだが「気をつけて欲しい」。また騙されないように。経験者で、自分だけは大丈夫だと確信されているだろうが、そこで「まさか」が起こるのが、この世界。

あれだけ信者を増やしたのだから、ものみの塔本に危ない力があるのは事実。批判のために毎号開かれている人は、注意して頂きたい。マインドコントロール用の悪書なのは間違いないので。

私は、危険で怖いのもあるし、あの独特の文章を読んでいるとムカついてくるのでとても読めない。「気をつけてくれ」と言いつつ、実際に塔本を読んで批判している人の意見を読むしかない。

ありがたや。ありがたや。本当に注意して下さいね。

あと、やっぱり塔本は尋常でなく退屈なんすよね。意味不明で読んでも頭に入ってこない。

エホバの証人が欠陥聖書を与えられている理由

エホバの証人、ハルマゲドン生還の新基準

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エホバの証人、愛のない偽善的組織に命かけますか?カルト宗教に命かけますか?

エホバの証人の輸血拒否

「輸血拒否」による生存権の剥奪

エホバの証人という自称キリスト教系新興宗教。日本では宗教法人「ものみの塔聖書冊子協会」が統括的な運営を行っている。

エホバの証人の教理で、一般的な倫理と大きく乖離しているのが「輸血拒否」。

私は、信者の(特に子どもの)自由意志を奪うことが、最もものみの塔がカルトである理由だと考えている。その自由意志剥奪の一環として、輸血拒否による生存権・生存意志の停止がある。

この輸血拒否は、聖書に書いてあることでもなく、キリストの命令でもエホバの証人の神「エホバ」の言いつけでもない。この点の矛盾はエホバの証人が命がけで輸血拒否するのは、目立ちたいからで触れた。

今日は、この輸血拒否に対するものみの塔側の姿勢・態度について。エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『ものみの塔の終焉』10章「輸血」より。

愛のない偽善的組織に命かけますか?

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キングオブカルト、エホバの証人。激ヤバ信条と非人間的性質

カルトの王様、エホバの証人

wikipediaの「エホバの証人」を正しい姿に

wiipediaの「エホバの証人」、「マインドコントロール・脱会問題」の項目に

ジュリア・M・コルベットという無名の人が

「エホバの証人は,正直で,礼儀正しく,勤勉だという評判を得ている」と述べている

と記述されている。ここでの議論は、マインドコントロールされているか否か。

エホバの証人が正直だろうが、何だろうがマインドコントロールされているいないとは関係ない。よって、このいまいましい記述をwikipedia上から削除する。

すると、エホバの証人と思われる人物が記述を復元。非中立的な編集をやめろと警告を送ってくる。このイタチごっこ。

前述のジュリア・コルベットちゃんだが、ネットで検索しても出てこない無名人。それでも粘り強くネット検索すると、辿りつくのは「JW.ORG」エホバの証人公式サイト。

エホバの証人公式サイトの「エホバの証人はカルト教団ですか」という記事にゴールする。エホバの証人はカルトなのだが、この記事では当然それを否定。

その根拠として、ジュリア・ミッチェル・コルベットの前述の「エホバの証人は正直云々」を引っ張り出している。

wikipediaの現役エホバの証人は、このエホバの証人公式サイトの内容をそのままの引用。マインドコントロールの議論に、カルトか否かの記事を引っ張ってきている謎引用。消しても復元されるので、引用元がエホバの証人サイトであるので信用ならない旨、wikipediaを訂正しておいた。

自身が自身をカルトでないと言う記事など信用できるはずがない。誰でもそう言うだろ。しかも、マインドコントロールとカルトは関係ないし、無名のジュリア・コルベットちゃんがエホバの証人を正直だと言ったところで、それとカルトか否かも無関係。

また簡単に元に戻されそうなのだが、編集履歴は消えないので、このwikipedia担当のエホバの証人の目に留まれば良いのだが。自分のやっていることの不自然さに気付くきっかけになってくれ。

エホバの証人の操作するwikipedia

キングオブカルト=エホバの証人

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エホバの証人(JW)の統治体の聖書的無根拠~すりかえ

統治体の聖書的無根拠

ものみの塔の字義病偽装によるこじつけ解釈

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)の『欠陥翻訳ー新世界訳』。ものみの塔の翻訳した新世界訳聖書について。

第5章『聖書の翻訳と教義』の前半部分から。ものみの塔の教理がいかに都合よく聖書を解釈したモノだらけなのか、例を挙げて説明されている。

資料中で

もうほとんど字義病

と表現されている。

ものみの塔は、教理をこじつけるために字義病を装っている。聖書のAとBで同じ意義の言葉があった。であれば、AとBは同じ予言を意味していると。完全なこじつけ。自分たちに都合よくこじつけるため、字義訳を濫用している。

日本昔話シリーズの『桃太郎』も『浦島太郎』もどっちも太郎なので同一人物。「よって、鬼ヶ島も竜宮城も同じ場所、乙姫は実は鬼だった」「亀の頭は犬を、亀の手は猿を、亀の甲はキジを表している」みたいなこじつけ。

ものみの塔の字義病偽装による解釈はこのレベル。

ものみの塔にとって都合の良いこじつけ解釈の例が本資料で引用されている。『ものみの塔誌1987年7月1日』号。

すでに『立って』いるイエスがその時に「立ち上がる」とはどのような意味ですか(ダニエル12:1)それは、イエスの支配権が言わば新しい局面を迎えるということです。

すでに立っている奴がさらに立つわけない。ただの誤訳。それを「新しい局面」というふざけた解釈を持ちだしている。なんすか。新しい局面って?勝手に都合の良い解釈を付け加えているだけ。

この記事は、時期的に私の家族もリアルタイムで読んでいる。父は聡明だと思っていたのだが、この記事を鵜呑みにしていたと思うと・・・。私も気を付けなければと思う。ものごとを信じやすい性格、同じ血が流れているのだから。

『解毒』~輸血拒否と洗脳されやすい人

ものみの塔論理テクニック「ひけらかし」

エホバの証人の統治体の聖書的無根拠

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新世界訳聖書は、カルトの罠に堕ちるべくして堕ちる悪書

悪書、新世界訳聖書

かつてのエホバの証人の新世界訳聖書は字義訳

『欠陥翻訳ー新世界訳』より。聖書知識が豊富かつ研究熱心なかたの執筆した資料。ネットで簡単に閲覧できることに感謝。資料は下記にて読める。

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)

きっちり調べ尽くしたであろう本資料の存在はありがたい。特に、私みたいに「ものみの塔嫌い」ゆえに聖書も嫌いな人、勉強するなら他分野に時間をさきたい人にとっては。

また、根が不真面目なので「エホバの証人はダサいから嫌い」という理由で、2世信者をやめた私の立場からすると、エホバの証人を否定する立場になってなお、真面目に聖書を調べるという真摯さに感銘を受ける。頭が下がります。

さて、序文より。ものみの塔聖書冊子協会の

新世界訳聖書というのは字義訳聖書である。この字義訳という翻訳方針は新世界訳の看板になっている。もちろん字義訳にもそれなりの利点があると思うが、「過ぎたるは及ばざるよりも劣れり」で、字義優先に走りすぎると深刻な問題が生じてくる

「字義訳」とインターネットで検索すると、今回紹介しているSTOPOVERサイトかJW.ORGのサイトが上位に出てくる。要は「字義訳」スバラシーって言っているのはものみの塔だけってこと。

誰も目にも留めないというか、空気のように軽い「字義訳」を謳って喜んでいるのはものみの塔だけ

字義訳っていったいなんだろうか?言葉の意味のままに訳すということ?それならば新約聖書で、『神』に該当する部分を『エホバ』にすり替えているのはどういうこと?

※2024/1追記。この字義訳聖書は、現在は読みやすさというか理解しやすさを優先した体裁の現代語バージョン聖書に置き換わっている。軽いノリの聖書になったのだが、その分恣意的に翻訳しやすく、ますます新世界訳聖書を読む者を騙しやすくなった。

新世界訳聖書はカルトに堕ちる罠

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