カルトに信教の自由やら多様性は不要
現役エホバの証人なのに、一般女性と付き合っちゃってる男性信者がいる件。おそらく2世信者。2世信者というのは、親の宗教を当然のように強制される子どものこと。
エホバの証人の戒律的には、一般人の異性との交際はNG。であるのに、こんな事象が起こってしまう理由とは?
ここから派生して考えたこと。今の若いエホバの証人の中には、自分の宗教に劣等感を感じていない人が多いのではないかと。だから、「オレ、エホバの証人っていう宗教やってるんだ」と簡単に言えてしまう。
世界で一番、カッコつけたい彼女に対して、宗教をカミングアウトできるのだから、エホバの証人2世であることにコンプレックスがない。
近年、社会は寛容さを求めだし、多様性を認める風潮。この流れに乗って、若年のエホバの証人が羽を伸ばしているのではないかと。クラスに外国人がいたり、公共の場にイスラム教のお祈りスペースがあったり、一見、宗教にも寛大に見える社会。
いやいや、エホバの証人はカルトだから。カルトに多様性やら信教の自由とか認めちゃダメだから。(あくまで私個人の意見です、不愉快な方はお引き取りを。反対意見は大歓迎です。コメントへどうぞ。)
責任ある立場の大人が、カルト2世にかけるべき言葉
私は生まれながらのエホバの証人2世被害者で、小学校、中学校は「キリスト~」と、からかわれる屈辱の日々を送った。
だからって、エホバの証人2世を迫害しろって言ってるわけじゃない。宗教2世被害者が理解されて、伸び伸びと学校生活を送れるのは良い。羨ましい。でも、それで
「エホバの証人って良い、続けても良い」って本人が思っちゃうのは違う。子どもたちが、親の宗教や大人の思想に縛られない自由意志を持てるのが、本当に多様性のある社会。
「ややこしい宗教だってOKよ。個人の自由だよ」なんて薄っぺらい表面的な寛容さでカルトを容認しちゃダメだから。
「親の宗教だからって受け継ぐ必要なんかない。自分の楽しいことを見つけなさい」って言える大人がいるのが包容力ある寛容な社会。私みたいに外野からでなく、責任ある立場の人が宗教を斬れる社会。
そんな社会ではないので、こうして私は届かぬ声で叫び続けている。なにしろ、周囲にエホバの証人がいない平和空間で生きているので。ひたすら虚空を斬る言葉の素振りの日々。
会社に隠れエホバの証人がいたりしても不思議ではないのだが、自慢げにエホバの証人なんですって人には、私自身、脱会後には遭遇したことがない。
ということは、今日の仮説「今どきの若年エホバの証人は自身の宗教を恥じていない」は的外れなのか。と思いつつも、そもそも、身の周りの若い人のサンプル数が少なすぎるのでやっぱ不明。
“包容力のある大人な社会は、決してカルトを許さない” への1件の返信