エホバの証人、カトリックの病院はOKなのに輸血がNGな理由は?

エホバの証人の矛盾、カトリック大嫌いなはずなのに

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』から。

エホバの証人の子供が輸血拒否で亡くなった川崎事件。エホバの証人児童が亡くなった病院は聖マリアンナ医大病院。この

大学病院は、上空から見ると、見事な十字架をかたどっている

そうで、エホバの証人が目の敵にしているカトリックの権化みたいな建物。以前から気になっていたのだが、エホバの証人が大嫌いなカトリック系の病院で治療するのはエホバの証人的に問題ないのか?

輸血拒否で児童が死亡というセンセーショナルな点が論争の中心になるけれど、普段あんなにエホバの証人が攻撃している異教の組織にお世話になるというのはエホバの証人的に許されるのか?

緊急時だったので、エホバの証人とは言え臨機応変に対応した。そんな細かいことにこだわりはしないエホバの証人って素晴らしい~と、本人たちは言うのだろうけど、では輸血は?細かいことにこだわって子供殺したのはどこのカルトですか?

輸血拒否が子供の意思であろうとなかろうと、ものみの塔の罪は重い

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め

カトリックの病院はOKなのに輸血がNGな理由は?

この遺族は、エホバの証人的には殉教遺族で信仰が強いという体裁になっている。よって、彼らの素行について文句をつけるエホバの証人は存在しないはず。心情的にも言いにくいだろうし。

ゆえに、エホバの証人でありながらカトリックの病院に収容されていたという不都合をとがめるエホバの証人はいない。

緊急で気付かなかったは通用しない。聖マリアンナってのは名前からしてもろカトリック。私の親とかは、十字架つながりで赤十字病院とかも避けていたくらい。

カトリックは異教の大本山みたいに言っているエホバの証人様がよくカトリックの病院に運ばれて黙っていたなと。輸血拒否にこだわるなら、そこもこだわるべき。普段は、イースターやらクリスマスも毛嫌いしているのに。

エホバの証人がこだわっているのは、組織内の慣習や信者間での対面。そして、殉教者一族という広告塔のメンツ。

純粋にカルトの原理主義を突っ走るなら、児童が運ばれた病院が聖○○病院だった段階で転院すべき。カトリックの病院になんか死んでも入院しませんと。

そこらへんは柔軟に対応できるのがエホバの証人ですっていうのなら、輸血も柔軟に受け容れて、子供を死なすべきではなかった。

結局、エホバの証人は何がしたいんだか意味不明。行動に一貫性がない。組織の顔色を伺い、自身で何も考えず決められもしないから。都度都度ぶれぶれになる。それが真理でなんかない証し。

輸血で死んだ信者がいるので、輸血は絶対ダメ、カトリックの病院に入院するのは、さほど問題になっていないので、目をつぶっておこう。殉教者一族に祀り上げないといけないからという打算。しょうもない功利的な思考。


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