カルト宗教に共通する本質、カルト3原則その1「自由意志の剥奪と人権侵害」

カルト3原則、その1「自由意志の剥奪と人権侵害」

カルト宗教に共通する本質

昨日までの記事で、エホバの証人も充分に「壺・結婚相手の強制・政治干渉」の極悪三兄弟をやっていると書いた。エホバの証人も統一教会に負けず劣らずの極悪だから、世界から排除せよということ。

エホバの証人はついでに、児童性虐待の温床になっているし、いまだに体罰を容認している。輸血拒否で命の軽視、医療資源の無駄遣い。まさにカルトの中のカルト。

こういった悪行はカルトの悪意の表出にすぎない。抑えきれずにあふれ出す極悪行為は、カルト宗教によって差異はあるものの本質は同じ。そのカルト宗教に共通する3つの本質をカルト3原則としてまとめた。今日は、

カルト3原則その1。「自由意志の剥奪と人権侵害」

私が子どせの頃にエホバの証人というカルトを強制されて一番嫌だったこと、今でも許せないことは自由意志を削がれるということ。

前述の悪行の数々、

  • 結婚・交際相手の制限
  • 政治不干渉を強要することでの政治干渉
  • 児童性虐待
  • 体罰という暴力
  • 輸血拒否

これらの行きつくところは、エホバの証人信者やエホバの証人を親に持つ子どもの人権を損ね、自由意志を抑えつけること。

「エホバの証人は壺売ってないよ」という反対意見はエホバの証人が壺を買う代わりにむしり取られるモノとは?こちらを参照。「今は体罰してないから」という反対意見に対してはものみの塔聖書冊子協会に電凸した話の続き、体罰推奨協会を参照。

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極悪行為が無いから真の宗教だというエホバの証人の主張の異常

エホバの証人と統一教会

エホバの証人は統一教会よりヤバくないのか?

統一教会が騒ぎになっていて、ヤバさは「統一教会 > エホバの証人」という論調になっていたり、エホバの証人の信者本人が「統一教会はあんなに異常で、エホバの証人はこれこれこう違うから真の宗教だ」みたいな寝言を言っていたりする。

ここできっちり否定しておきたい。

エホバの証人も統一教会もカルトで、有害。本質は同じ。この国に、いやこの世界に存在を容認してはいけないもの。

エホバの証人が統一教会よりヤバくないとされる理由3つ

  • 霊感商法で壺を売らない 
  • 合同結婚しない
  • 政治家と癒着し、選挙に干渉したり組織票を投じない

エホバの証人信者が自らを真の宗教だと言うときも、上記をしないからという理由をあげる。

上記3点が表面的なモノで本質は同じだということを証明すれば、エホバの証人は統一教会よりヤバくないという論調に一石を投じられる。この点は明日

カルトに操られた、「人間のような者」のたどる末路

宗教団体の極悪行動三兄弟

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世界の単純ルール、ものみの塔的なモノの正反対が正解

ものみの塔の逆が正解

素晴らしい理想と正反対のものみの塔

『良心の危機』、第11章「決心」。散々、不快感を表明した本章なのだが、良いことも書いてある。著者の持つ理想的な組織像、リーダー像。

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著者の望む組織の仕組みは

みんなを成長させ、他の人間や組織体制に頼るような霊的に幼い人間ではなく、成長したクリスチャンとして行動できるようにするためのもの

ところが、エホバの証人の実情は「思考を止めて退化させ、他人や組織に依存する幼稚な人間を量産するところ」。

著者の望む組織は

組織体制の規則に従うだけの人間を作ることではなく、「自分の知覚力を訓練し、正しいことも悪いことも見分けられるようになった」人間を育てるもの

エホバの証人の現実は「組織の規則を妄信し、家族や命まで軽視する人間を育てる集団」。

著者の指導像は

「指導する」やり方は模範を示すことによってであり、神の言葉に忠実に、主の指示を主自身が与えたようなやり方で説き伝える

というもの。

主というのはキリストのことだろうか。キリストは一世紀にいきなり現れて、神の子を名乗って世界をしっちゃかめっちゃかにして去っていった。世界に争いの種をまいただけとも言えるし、権力者にキリスト教という飛び道具を与えた結果、現在の秩序が生まれたとも言える。

「終了した秘儀」からの「万民キャンペーン」、そしてマインドコントロール

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エホバの証人の統治体「我々は何でも許されるが、一般信者どもは黙って言うことを聞け」

エホバの証人の統治体の二重基準

エホバの証人、権威構造の宗教に救いはない

『良心の危機』、第6章「二重基準と御都合主義」より。

マウライのエホバの証人は踏み絵を踏むのを許されずに迫害を受け、生死を脅かされる。その一方で、メキシコのエホバの証人は賄賂を支払って軍務修了の証明書を入手。予備軍に参入していた。

メキシコのエホバの証人組織の脱法はそれだけに留まらず、組織そのものが宗教組織でなく文化組織の体裁をとっていた。祈らず、歌わず、聖書を持ち歩かずという神の冒涜三原則。

それはメキシコで土地などの資産を追い求める手段として。神より財産という物質的合理主義。

ここまでが昨日の記事

なぜ、エホバの証人組織にはここまでの地域間格差があるのか?というのが本日の入り口。答えはエホバの証人が偽者のカルトだからなのだが、本書ではそれを明快に指摘している。

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キリスト教を規律の形で扱う権威構造によく現れる産物だと今の私は考えている。権威構造に関わる人たちは、それほど良心にやましさを感じることなく二重の基準があるのを見ていられるようになってしまう

エホバの証人は、一部の人間の権威欲を満たすための宗教を隠れ蓑にした組織。その欲望の犠牲になって死んだり、人生を圧倒的に損なったり。権威者にとってはそれは目に留める必要もないこと。

地域間格差に良心を痛める一般信者がいる一方で

「トップ」に立ち、いわゆる「象牙の塔」にいる人たちは不思議なほどにそういう感情とは無縁で、この二重基準が人々にもたらす影響には感じるところがない

地域に不公平があろうが、いかに全体をたぶらかし、上手く統治するか。それしか考えていない。個別の家族の不幸など一切関与しない。こんな宗教、いやカルトに救いがあるわけがない。

組織の言うことは絶対!エホバの証人

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『ニュータイプの時代』、ものみの塔サバイバーの倫理観

この国の未来のために

反ものみの塔活動のモヤっとポイント

『ニュータイプの時代』、第4章の「ルールより自分の倫理観に従う」の部分で、今まで何となくモヤっとしていたことがスッキリ。

このブログを始めとした私の活動は、反ものみの塔の意思で動いている。この世界に必要のないものみの塔を消滅させ、世界を正しい姿に戻したい。そのためにはエホバの証人の一人一人にはものみの塔を脱会、一般人に戻って貰う必要がある。

私のもやもやは、そこまでして良いのか?ということ。

信教の自由、基本的人権という盾の下、この国には人間がどこまでも愚かになる権利すら認められている。

人間がどこまでも愚かになる権利とは、輸血拒否して死んだり死なせたり、不毛な宗教活動に打ち込み公共の益を損ねたり、世界の終末とその後の永遠の命を妄想したり。

エホバの証人をゼロにするということは、その権利を踏みにじることになる。私としては、それは全然構わないと考えている。人間がどこまでも愚かになる権利など認める必要がない。

とはいえ、法治国家のこの国で「思想、信教の自由が云々」とか「信じるものは否定するが信じることは否定しない」とか「個人が信じることで誰にも迷惑かけていない」などと言われると、それもそうかと。

単にものみの塔が目障りで、私怨でやっているという本音の一部は決してさらせない。勧誘したり、子どもに強制したり、そもそもの時点でマインドコントロールされて騙されているんだから、信じるモノが邪悪である以上は信じることすら否定する必要がある。程度の反論しかできず堂々巡り。

これがモヤッとポイント。ここを救ってくれたのが本書。

キングオブカルト、エホバの証人

ものみの塔聖書冊子協会に電話した話の続き、体罰推奨協会

この国の未来をどうしたいか?カルトサバイバーの倫理観

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ものみの塔聖書冊子協会に電話した話の続き、体罰推奨協会

カルト宗教エホバの証人

ものみの聖書冊子協会へ電話で問い合わせた2つの質問

ものみの塔に電話で問い合わせしてみた話。昨日の記事の続き。きっかけは、ものみの塔聖書冊子協会の日本支部が、週刊誌の取材に模範解答ながら対応していたこと。無視を決め込むのが常道かと思っていたのだが。

私の電話での一つ目の質問、ものみの塔が週刊誌の取材に対して「信者各家庭の事情には関与しない」と回答していた。これは「信者がお宅の宗教のせいで不幸になっても関係ないということか?」「公式サイトにある『あなたの家族生活を幸福なものにする』はウソ?」

これは質問にひねりが無くて、当然「Yes!」と答えるわけがない。「該当の週刊誌が手元にないし分からない。とりあえず全ては公式サイトに書いてあるの一点張り」

そりゃそうさな。オレでもそう答えるよ。宗教のせいで不幸になったという因果関係、簡単に証明できることではない。人生全体の問題だから。だからこそ、根が深い。簡単には諦めないけど、今回は質問が悪かったということで二つ目の質問に移行。思い付きで電話せずに、もうちょっと質問ひねっとけオレ。

ものみの塔聖書冊子協会に電話してみた話、公式サイト崇拝

体罰を推奨しているのか、という質問に対するものみの塔の回答

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カルトに操られた、「人間のような者」のたどる末路

カルトの操り人形

カルトに操られた「親のような者」、「人間のような者」

安倍元首相銃撃事件の容疑者母が「旧統一教会を批判にさらして迷惑をかけてしまい申しわけない」と話しているというニュース。

他にも世間や被害者に詫びたりしているのかも知れないし、逆にそうではなく統一教会の話しかしていないのかも知れない。一部だけを切り取ったニュース記事からは全貌を読み取ることはできない。

とはいえ、こういった記事が出てくるということは、「統一教会に対して申しわけない」というのが容疑者母の話していることの主旨なのだろう。容疑者母にとって最優先が統一教会、それ以外は些末なこと。

統一教会>(大なり)被害者元首相
統一教会>(大なり)息子
統一教会>(大なり)世間

これが私が常々書いている「親のような者」、「人間のような者」。形だけ、外見だけ親、人間に見えるだけ。中身はカルトに侵された操り人形。

エホバの証人 > 大なりわが子、エホバの証人の親のような者

エホバの証人の親は思考停止洗脳状態の「親のような者」

カルトに操られた者の末路

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安倍元首相暗殺事件、暴力で解決されることへの恐怖

銃弾でものごとが解決できるなんて・・・

割に合わない銃撃事件

元首相暗殺事件。統一教会を恨む2世信者が、統一教会と関係のあった政治家の中で最もインパクトのありそうな安倍元総理を狙ったと。方法は卑怯で許されないものだけど、動機と目的はシンプルかつ合理的で分かりやすい。

容疑者本人が既に自分の人生に価値を感じていなかったとすると、統一教会問題に一石を投じる費用対効果としては最大限のリターンを得られたと、本人は考えているのかも知れない。

しかし、カルト2世信者の人生だって、それなりに生きる価値はあると私は思う。恨みを晴らすなら、一生かけて徹底的にやるべきで今回のような浅はかな手段は取るべきではない。

そして、カルト2世の一番の復讐は、「カルトをやめたおかげでこんなに幸せになった」という生き方を体現すること。親は返ってこないかも知れないけど、「カルトをやめるとこんなに楽しい」という姿勢を見せ続けること。

今回の容疑者は統一教会のせいで不幸だったのが、統一教会のせいでさらに不幸になっただけ。自身の人生と引き換えに、統一教会問題に一石を投じるだけに終わるのは割に合わない。

安倍元首相銃撃事件から考える、宗教2世被害者の復讐

果たして暴力でものごとは解決できるのか

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良心に従い宗教を脱会するときに、立ちふさがるカルト要素

人生を妨げるカルト

何らかの態度を貫くとは

『良心の危機』、第1章「良心の代償」より。

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生涯が終わりに近づいてきた時、「少なくとも私は何らかの態度を貫き通した」と言うことのできる人の方が、何の立場も貫かなった人よりも満足感が大きい

当初、「ごもっとも」とうなづいたのだが、

かたくなにも「エホバの証人としての態度を貫き通しました」なんて人が出てくると困る。それは単なる自己満足で、ものみの塔の言いなりになっているだけ。何らかの態度を貫く美しい姿勢とは、対極。

頑迷なマインドコントロール状態を貫いて生きるのも、「何らかの態度の貫き」であろうと言われれば、それはその通り。しかし、それは残念極まりない生き方の貫き方。

その時々で柔軟にベストな対応を取るという態度だって、それを続ければ「何らかの態度を貫き」通したということにはなる。

結局はモノの見方しだい。エホバの証人には「家族に迷惑をかけない態度」を貫き通して欲しい。

『良心の危機「エホバの証人」組織中枢での葛藤』、回り道回避の一冊

エホバの証人を脱会すべきという良心

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エホバの証人(JW)の少年、罪の贖いのために流れた血

エホバの証人の少年、初割り当ての日に流れる血

エホバの証人11才、初「割り当て」の前に

私の初「割り当て」の晩に流れた贖いの血。

エホバの証人の割り当てとは?

割り当てが贖いを必要とする理由とは?

11才の少年の日々。私は砂山で遊んで砂だらけになって家に帰る。しかし、今日はエホバの証人の集会の日、しかも初の割り当て。砂だらけになるまで遊べば、両親に怒られるのは目に見えている。

とはいえ、これが私の子どもながらのバランスの取り方だった。エホバの証人の子ども、カルトの子どもとして窮屈極まりない日々。学校でも恥ずかしい思いと苦労のオンパレード。

そして、その日の晩はやりたくもない初の割り当て。数十人の信者の前で自作の宗教話をしなければならない。その前に、一旦無心で遊んで心身をリセットしたのだった。

この息抜き方法が限界に迫った数年後、私は人生そのものを終わらすか、エホバの証人をやめるかの選択を迫られることになる。

とりあえず、その日は親に怒られる前に砂だらけの服を払い、エホバの証人の集会に出かける服装に着替える。

そこで思い出したのは砂だらけになった靴。割り当てのために上がる壇上へ、砂をまき散らしながら向かうわけにもいかない。靴の中の大量の砂を出すことにした。

エホバの証人の初割り当てという罪の贖いのために流れた血

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