元エホバの証人(JW)2世、もう一人の自分が起こした事件
安倍元総理が銃撃された事件。容疑者が特定の宗教団体に恨みがあったと供述していることで様々な憶測を呼んでいる。
容疑者が宗教2世であったという仮定で話を進める。
私も同じ境遇で、ものみの塔協会=エホバの証人(JW)という宗教の2世信者だった。このカルトのせいで家族は崩壊、私の子供時代は宗教を強要された悲惨なものだった。
今回の事件の容疑者は、私とほぼ同じ年齢。背格好も似ていて、取り押さえられる瞬間の映像を見ていると、まるでもう一人の自分を見ているような気すらしてくる。
宗教を恨み、世間をひがみ、世界を呪っていた頃。あのままの私だった場合。そのまま20年という時がたち、孤独と憎しみに満ちた人生に行き詰まったら。失うもののない、持たざる人間の恨みの発散。
私は、たまたま新しい家族に恵まれ、何とか社会復帰をしたものの、そうではない野垂れ死に上等という生き方を続けたまま、人生の後半に差し掛かろうとしていたら。
JWは政治とは結びつかない建前なので、特定の政治家の票田にも金づるにもならない。憤懣やる方ない感情の発散先は、今回の容疑者のように政治家には向かず、宗教そのものへ向かう。
近所のJWの王国会館という集会所や日本の支部本部がその矛先に。
もう一人の自分の可能性を見て、ゾっとするのと同時に涙が出そうなほどに容疑者の生涯に悲しみを覚えた。
宗教2世被害者が、宗教に対して復讐する方法
今回の容疑者は、たまたま近所に恨んでいた宗教と関係の深い政治家が来たから凶行に及んだ。自分から韓国まで行って教祖に一撃とか、上京して実行という姿勢ではない。
容疑者と似たもう一人の私が誕生していたにしても、ターゲットは近所の集会所だとか、日本の支部本部。米国の本部まで行こうという気にはならない。
渡航も遠征もできない。あくまで無力。そして、手段は暴力という安直さ。人生を賭けた捨て身の一撃が最初で最後。その程度の復讐では、カルト宗教には何の打撃も与えられない。昨日の記事でも書いたが、
宗教2世の復讐は、「宗教をやめたおかげで楽しく生きている」姿を見せ続けること。最低でも、「宗教を続けていたら、もっと不幸になった」という実感、「やめて良かったカルト宗教」の境地に至ること。
宗教2世の復讐は、教祖や宗教関係者を襲って法の裁きを受けることや、カルト宗教が世間を震撼させるモンスターを生むと、自らが生贄となって世界に知らしめることではない。
それだと、宗教のせいでさらに不幸になっただけ。いつまでも宗教にいいようにやられっぱなし。
“安倍元首相銃撃事件から考える、宗教2世被害者の復讐” への4件の返信