カルト宗教被害者の「逆恨み」
昨日までの記事でカルト宗教2世被害者のすべきことは、まずは自己の生還、楽しく生きている姿を見せること、最低でも「やめて良かったカルト宗教」の境地に至ることと書いた。
我々のすべきことは、暴力というその場限りの安直な復讐では決してない。その暴挙に向けるエネルギーを自身の生還に使い、それでもカルトに対してわだかまりが残ったら、というのが本日の話。
今回の安倍元総理銃撃事件の容疑者同様、私にも、ものみの塔を恨む気持ちは強くある。限りなく大きくシナイ山くらい。紅海よりも深い。しかしながら、その莫大な恨みは、あくまで私怨であり、傍から見れば「逆恨み」と言われちゃう。
カルトとは言え、正式に認可を受けた宗教法人であり、拉致とかテロとかはどちらのキョウカイも恐らくはやっていない訳で。
多額の寄付や時間を搾取されたのは、「お前の親が愚かだっただけだろ」と言われれば、ぐうの音もでない。こうなると、終末論とかで恐怖を煽り騙されていたとはいえ、カルト被害者の恨みは、しょせんは「逆恨み」。
カルト宗教”2世”被害者の場合も、「逆恨み」
カルト2世の場合は、気づいた時には親が取り返しのつかない深度で騙されている。自身も物心つくか、つかないかの頃からカルト教義を仕込まれる。ほぼ回避不能。
怒りのやりどころをカルト側に向けたくなるのは正当な気はするが、それでも一般人から見れば、正式宗教法人とその元信者という構図。非常に非常に残念だが、「逆恨み」の域をでない。
だからこそ、世間の意識の変革が必要だし、そのためには自分が反社会的行為をしてしまっては元も子もない。
あとはいつも通りの本日のポエム・・・
カルト2世の恨みは、どこまで行っても私怨、個人的な強い恨み。であるからこそ、正当な手順を踏み、世間の理解を得て、合法的手段で恨みを晴らしていく。そして、最終的にカルト組織を崩壊させる。
簡単に書くけど、相当に困難な道のり。
しかし、困難と戦え。安易な方法で自分の中だけで決着をつけない。それって安易な教義で、世界を平らにしようとしているカルト宗教と変わらない。
カルト教団が政治と結びついていたりすると、圧倒的に困難具合が高まる。抜群に理不尽な話だが、それも現実。
思いどおりにならない現実と戦い続ける。そして、思い通りにならないままに寿命を迎えても、やることはやり続けたと。納得も満足も出来ないかも知れないけど、ベストは尽くしたと。
とはいえ、私は実現させますよ。ものみの塔の崩壊。暴力でも非合法的手段でもなく、合法的に。何の力か、方法も未定だけど。とりあえず最後まで諦めないから、塔壊が実現するまでやり続けるので、いつかそれは現実になる。
“カルト宗教2世被害者の「逆恨み」、理不尽な現実から安直な方法で逃避しない” への1件の返信