安倍元首相暗殺事件、暴力で解決されることへの恐怖

割に合わない銃撃事件

元首相暗殺事件。統一教会を恨む二世信者が、統一教会と関係のあった政治家の中で最もインパクトのありそうな安倍元総理を狙ったと。方法は卑怯で許されないものだけど、動機と目的はシンプルかつ合理的で分かりやすい。

容疑者本人が既に自分の人生に価値を感じていなかったとすると、統一教会問題に一石を投じる費用対効果としては最大限のリターンを得られたと、本人は考えているのかも知れない。

しかし、カルト二世信者の人生だって、それなりに生きる価値はあると私は思う。恨みを晴らすなら、一生かけて徹底的にやるべきで今回のような浅はかな手段は取るべきではない。

そして、カルト二世の一番の復讐は、「カルトをやめたおかげでこんなに幸せになった」という生き方を体現すること。親は返ってこないかも知れないけど、「カルトをやめるとこんなに楽しい」という姿勢を見せ続けること。

今回の容疑者は統一教会のせいで不幸だったのが、統一教会のせいでさらに不幸になっただけ。自身の人生と引き換えに、統一教会問題に一石を投じるだけに終わるのは割に合わない。

安倍元首相銃撃事件から考える、宗教2世被害者の復讐

果たして暴力でものごとは解決できるのか

私には一連の流れに違和感があるのだが、それは暴力という幼稚な手段で目的が成されることへの恐怖。これで統一教会清算、被害者救済(こんなことにはならないだろうが)とかで決着すると、ものごとの解決に暴力が有効ということになる。

暴力があったから解決したという短絡でなく、長年尽力した人々の苦労があるから。そこは分けて考えるべきなのは充分に分かるが、一石というか数発の銃弾で風向きが変わったのは事実。

そして、容疑者の狙いが、統一教会の破滅とか政治家の責任糾弾とかでなく、単に一石を投じることだったとしたら?それは既に実現している。その一石の波紋がすぐに消え去ることも想定しているのだとしたら、恐ろしい。暴力は目的を達成できるということになる。

なので、やはり容疑者の行為は前進でなく、統一教会問題解決には後戻りだったと規定したい。本人の表層的な目的が達成されていたのだとしても。

私も同様なのだが、今回の件で死者に鞭打つ行為に罪悪感を感じること。生かしておいて、統一教会との関係を問い続けた方が良かったのではないかと。

しかも、意地でも元首相を国葬にしたい人たちがいるみたいなので、「統一教会と仲が良くても別にいいんです」ムードに持っていかれる。

これが暴力という短絡手段の結果。巨悪に対してふるった悪であっても、それはやはり悪でしかない。

決して糾弾できない相手であっても、問いただし続ける。究極の目的を達成するために努力し続けるのが人生であり、銃弾のような飛び道具でショートカットするのに意味はない。

暴力で個人的な目的は達成できたかのように見えるかも知れないけど、それは本人含め不幸を拡大するだけ。根本的な問題はさらに根を深めるという悪結果になる。決して暴力でものごとは解決しない。


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