カルト宗教家庭が、狂気のモンスターを生む理由とは?

カルト家庭が狂気のモンスターを生む理由

子どもに宗教を強制するカルト

「エホバの証人の親は条件付きの愛しか持っていない」とよく言われる。親に限らず、エホバの証人はエホバの証人しか愛さないよう、教団のものみの塔側からコントロールされている。

エホバの証人2世=親の宗教を押し付けられた子ども。エホバの証人2世のケースで、親の是認を得られるのは、子どもがエホバの証人であればということになる。それが条件付きの愛。

親に愛されたいと思わない子どもはいない。幼い子どもであればなおさら。親の保護がないと自身の生存に関わる。生物の本能として親の愛を得ようとする。

その立場の差を利用して子どもにカルトを押し付けようとするのだから、エホバの証人の親も、子どもを洗脳する方向に指導するものみの塔も、相当にたちが悪い。

宗教を信仰するか否かは子どもの自由だというのが、エホバの証人側の意見だが、保護者という地位を濫用しての宗教押しつけは、強要以外の何ものでもない。

さらに、私の世代のエホバの証人2世の場合には「懲らしめ」という体罰が横行していた。教団が主導し、親たちに子どものお尻を引っぱたかせていた。

生きとし生けるものはすべて、痛みに対してストレートに服従せざるを得ない。動物の調教と同じ。エホバの証人2世の子どもたちは、宗教の強要という人権侵害に屈せざるを得なかった。

カルト宗教2世被害者の「逆恨み」、理不尽な現実から安直な方法で逃避しない

カルト宗教2世の賭け

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親であって親ではないエホバの証人(JW)、親のような者

親のような者

エホバの証人の輸血拒否事件、あと一歩で救われた命

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十一章 説得」

エホバの証人の信条による輸血拒否。その結果、少年が死に至る様子が描かれた本章。事故直後から亡くなるまで。

エホバの証人の両親が病院に駆け付けるのが遅れていたら、無事に輸血が開始されていた。少年の被っていた帽子に自宅の電話番号が書いていなければ、エホバの証人の両親に連絡が入ることはなかった。

何かひとつでもボタンを掛け違えていたら、少年は生き残っていた。生きていたとすると、亡くなった少年は私の5才ほど年上。21世紀の今ここに、家庭があり、子どもがいてという可能性があった。

その可能性を打ち砕いたエホバの証人という宗教は、決して許されるべきではない。

親であって親ではないエホバの証人

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エホバの証人(JW)の少年、罪の贖いのために流れた血

エホバの証人の少年、初割り当ての日に流れる血

エホバの証人11才、初「割り当て」の前に

私の初「割り当て」の晩に流れた贖いの血。

エホバの証人の割り当てとは?

割り当てが贖いを必要とする理由とは?

11才の少年の日々。私は砂山で遊んで砂だらけになって家に帰る。しかし、今日はエホバの証人の集会の日、しかも初の割り当て。砂だらけになるまで遊べば、両親に怒られるのは目に見えている。

とはいえ、これが私の子どもながらのバランスの取り方だった。エホバの証人の子ども、カルトの子どもとして窮屈極まりない日々。学校でも恥ずかしい思いと苦労のオンパレード。

そして、その日の晩はやりたくもない初の割り当て。数十人の信者の前で自作の宗教話をしなければならない。その前に、一旦無心で遊んで心身をリセットしたのだった。

この息抜き方法が限界に迫った数年後、私は人生そのものを終わらすか、エホバの証人をやめるかの選択を迫られることになる。

とりあえず、その日は親に怒られる前に砂だらけの服を払い、エホバの証人の集会に出かける服装に着替える。

そこで思い出したのは砂だらけになった靴。割り当てのために上がる壇上へ、砂をまき散らしながら向かうわけにもいかない。靴の中の大量の砂を出すことにした。

エホバの証人の初割り当てという罪の贖いのために流れた血

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エホバの証人の子ども、初「割り当て」の日に流れる贖いの血

エホバの証人の罪に対する贖いとは

エホバの証人の子どもの初「割り当て」の持つ意味とは

昨日の記事で、エホバの証人の子どもにとって初めての「割り当て」が大きな意味を持つと書いた。その意味とは?

エホバの証人の割り当てとは何か?これは昨日の記事にて。

ズバリ、罪。

人前でカルトの講演を行うという罪。しかも、自分で入念に考え丹念に練習して臨む場。巧みな話術で人々をたぶらかす悪の所業。

本人には罪の意識などない。だからといって、カルト講話が敬虔な行いに転化されるわけはなく、罪は罪。

子どもの5分程度の幼稚な小噺など、誰もマジメに聴きはしない。それでも、子どもの真摯なひたむきな姿に心を動かされた人がいたら?今どきそんな純粋な人はいないのかも知れないが、私の子どもの頃は、そんなふうにしてエホバの証人になった信者がゴロゴロいた。カルトの広告塔としての罪。

壇上の少年が自分の子どもと似たような年齢で強く感情移入してしまったり、元々感情が動かされやすいタイプだったり。既にカルトの集会所に来ている時点で予備群ではある。騙される素養満点。

子どもが必死に割り当てを果たす姿に、心を動かされる大人。

他人の人生を狂わす罪。

エホバの証人の子どもにとって、初めての割り当ては、罪深い道への第一歩。

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め

エホバの証人の子ども、初割り当ての日に流れる贖いの血

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エホバの証人の割り当てとは?assignment?

亡くなったエホバの証人少年の初「割り当て」

エホバの証人川崎事件の少年と初めての「割り当て」

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十章 道」より。

エホバの証人の輸血拒否事件、川崎事件を扱った本書。被害者児童が亡くなったのは1985年6月6日。本書によると翌6月7日はこの少年の「初めての割り当て」だったとある。

エホバの証人の割り当てとは?

正式なエホバの証人になるには、段階を踏む必要がある。ここでいう正式というのは献身、バプテスマという儀式を受けること。この儀式を受けたエホバの証人は、組織内で「兄弟、姉妹」と呼ばれる。

亡くなった少年も、断固輸血拒否したその父親も献身しておらず、まだ「兄弟」ではなかった。この2人の事例からすると、エホバの証人のマインドコントロールの危険度合いは献身宣言の有無には関係しないようには見える。

しかし、エホバの証人の目指すところは、一旦はこの献身。

仲間内から「兄弟、姉妹」と呼ばれる、馴れ合いの疑似家族空間の仮想温もりがこのカルトの一端を支えている。私みたいにこの馴れ合い環境を気持ち悪いと思う者は、ズブズブ馴れ合い信者に比べれば、脱会へのハードルは低い。

自称「伝道」、エホバの証人のねずみ算的集客システム

エホバの証人のバプテスマとは

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エホバの証人の川崎事件、無垢の少年を殺したのは何か?

エホバの証人の輸血拒否

エホバの証人の少年は、なぜ死ななければならなかったのか?

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十章 道」。エホバの証人の川崎事件で、亡くなった児童が当日に走った道。そして、この宗教に堕ちる哀れな人々が歩む精神的な道。その二つの道を走破・考察する第十章。

被害者児童はなぜ死んだのか?それはエホバの証人の教理により輸血拒否したためなのだが、その前段、なぜ事故に遭ったのか?本章では、その詳細が明かされている。

夕方、少年は自転車で家を出た。行き先はエホバの証人の信者の家、目的はエホバの証人の宗教本研究のため。つまり、

当初からエホバの証人に関係しなければ、事故に遭うことは無かった。

エホバの証人の人命軽視

エホバの証人は、永遠の命を持った完全体に生まれ変わるという妄想を強く抱いている。そのため、現在の限りある不完全な命を、心の奥底では軽んじている。

エホバの証人による命の軽視傾向は普段は具現化されることはない。神より与えられた現生命を大事にせよ、という建前にはなっている。しかし、

川崎事件ではエホバの証人の人命軽視主義を、証明してあまりある悲劇の結末を迎えた。

エホバの証人、カトリックの病院はOKなのに輸血がNGな理由は?

エホバの証人の輸血拒否は生命に対する冒涜、生きて償わせるエホバの証人の穢れ

名ばかりの保護者、エホバの証人の親

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エホバによって引き裂かれた自我、その再統合のための反エホバ

引き裂かれた自我の再統合

分裂の危機にある自我を統一するのが宗教

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第九章 子」から。

ものみの塔を解散させ、エホバの証人をゼロにする。この思いは私にとって既に○○。と昨日の記事で書いた。

この○○とは「宗教」。

ものみの塔を解散させ、エホバの証人をゼロにする。これはもはや私にとっての宗教。

宗教について、この本『説得』では以下のように他の文献からあらーく引用している。

ウイリアム・ジェイムスが、その膨大な著作のどこかで“宗教というものは、何らかの理由で分裂した自我を、再び統合する力である”という意のことを言っていた

現代社会において、子どもがエホバの証人という宗教を親に強制されれば、いずれこの状態に至る。自我の芽生えと分裂。

自我の再統合に、そのまま宗教としてのエホバの証人を求めると、人生がほぼ終わる。そのままエホバの証人の大人になり、本来の自分を押し殺したままの生活が続く。圧倒的な精神的不健康。精神を病んだり、文字通り自ら人生を終えたり。

私の場合は再びの自我の統一に使ったのが、反エホバという強い意思だった。

反エホバという宗教

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元エホバの証人2世の完全なる救い、エホバから自由になる方法

エホバという暗闇から自由になる方法

死んだエホバの証人の子どもは自分自身

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第九章 子」から。本書が題材としているエホバの証人児童の死、著者はその亡くなったの子どもの幻影を追いかけている。

「死んだ子供は、ひょっとしたら俺なのかも知れない」と筆者は書いている。

あの被害児童は我々そのもの。右も左も分からない幼い頃からカルトを強制されたエホバの証人の子ども。

私にも、被害者児童同様に輸血拒否で殺されていた可能性が充分にある。その死地から偶然サバイバルした者の責務として、このブログを書き続けている。

物理的に死んだかどうかはさておき(尋常でなく大きな問題ではあるが)、エホバの証人の子どもとして傷を負ったという事実は誰もが共通。それぞれが抱える傷の深さが違うだけ。

死んでしまったか、生きているかの違い。あまりにも大きな差ではあるが、生きていても、深い傷に身動きがとれなかったり、数十年もの間、見える景色が灰色のままだったり。死に体同然だったり。

やはり、あの被害者の子どもはオレたちなんだ。

エホバの証人のマインドコントロール大会の狂気に流す涙

カルト宗教の2世信者が救われる方法~映画『星の子』より

エホバの証人のまま暗闇を彷徨うもう一人の自分

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『星の子』~宗教2世の生きにくさ、いったい何のために生きている?

映画『星の子』

宗教2世の身が引き裂かれる感覚

宗教2世がテーマの日本映画『星の子』、昨日の記事の続き。AmazonのPrime Videoでプライム会員無料(2022/6現在)。以下、ネタバレなので、未視聴の方はご注意下さい。

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以下、ネタバレ。

 

 

 

主人公は、家族で飲んでいる宗教の高額水のおかげで風邪を引かないはずなのに、簡単に風邪を引く。もしかして騙されているのかと疑い始めるものの、それでも騙されているかどうかは「分からない」と苦悩する。

家族の異様な宗教が恥ずかしいのだが、騙されているとは判断できず、親族の救いを拒絶する洗脳状態。もしくは親を捨てきれないためか。心から心配してくれる親族が敵に見える感覚。

この辺はエホバの証人2世だった私の経験と酷似。私は、ダサいエホバの証人に混じるのと、学校の行事に参加できないのが死ぬほど嫌だった。であるのに、エホバの証人の教理は概ね真実だと疑いもしなかった。

子どもの頃から繰り返されてきた洗脳の成果。エホバの証人に反対する者、エホバの証人でない者は悪魔の手先であると教えられた。例え親族、親友でも。

本来のなりたい自分とダサい宗教2世という乖離、カルト親なのに愛し愛される両親であるという矛盾。この差が宗教2世の身を引き裂かれるような感覚を生む。

神の存在を許すか、許さないか、それは自分で決めること

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『星の子』~計算された後味の悪さ、宗教2世問題の本質

映画『星の子』

宗教2世問題の本質とは

宗教2世がテーマの邦画『星の子』、AmazonのPrime Videoでプライム会員無料になっていたので、早速視聴。ゴリゴリにネタバレするので、未視聴の方はご注意を。

¥300 (2024/01/31 05:49時点 | Amazon調べ)

キャストは豪華で、芸能事情に疎い私でも知っているキャスト多数。主人公は中学生で、アラフォーの私が忘れかけていた感覚がキッチリ描かれている。

今どき中学生が果たしてこの映画みたいなのかは分からないが、この年頃の子供が持つ普遍的な感覚は映像から匂いで伝わってくる高レベル。

なのだが・・・

 

 

以下、本当にネタバレ

 

 

なのだが、後味は悪い。主人公が最後まで救われなかったから。エンディングまでに詳細を語られない方式なので、解釈次第では、主人公の洗脳が解け始めている、もしくは解放済ともとれる。

宗教2世の問題は、本人の洗脳も大いにあるのだが、最大問題は保護者との関係。その保護者と肩を抱き合って終わるというのは何とも。

そして、その保護者は一切、マインドコントロールからの解放の気配がない。それでも主人公を深く愛している、または愛しているつもりというのが、宗教2世問題の本質。

エホバの証人の親は思考停止洗脳状態の「親のような者」

家族の無条件の愛を感じるにはエホバの証人をやめるしかない

カルトをぶっ潰さない後味の悪さも計算ずく?

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