エホバの証人の子ども、初「割り当て」の日に流れる贖いの血

エホバの証人の罪に対する贖いとは

エホバの証人の子どもの初「割り当て」の持つ意味とは

昨日の記事で、エホバの証人の子どもにとって初めての「割り当て」が大きな意味を持つと書いた。その意味とは?

エホバの証人の割り当てとは何か?これは昨日の記事にて。

ズバリ、罪。

人前でカルトの講演を行うという罪。しかも、自分で入念に考え丹念に練習して臨む場。巧みな話術で人々をたぶらかす悪の所業。

本人には罪の意識などない。だからといって、カルト講話が敬虔な行いに転化されるわけはなく、罪は罪。

子どもの5分程度の幼稚な小噺など、誰もマジメに聴きはしない。それでも、子どもの真摯なひたむきな姿に心を動かされた人がいたら?今どきそんな純粋な人はいないのかも知れないが、私の子どもの頃は、そんなふうにしてエホバの証人になった信者がゴロゴロいた。カルトの広告塔としての罪。

壇上の少年が自分の子どもと似たような年齢で強く感情移入してしまったり、元々感情が動かされやすいタイプだったり。既にカルトの集会所に来ている時点で予備群ではある。騙される素養満点。

子どもが必死に割り当てを果たす姿に、心を動かされる大人。

他人の人生を狂わす罪。

エホバの証人の子どもにとって、初めての割り当ては、罪深い道への第一歩。

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め

エホバの証人の子ども、初割り当ての日に流れる贖いの血

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エホバの証人の割り当てとは?assignment?

亡くなったエホバの証人少年の初「割り当て」

エホバの証人川崎事件の少年と初めての「割り当て」

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十章 道」より。

エホバの証人の輸血拒否事件、川崎事件を扱った本書。被害者児童が亡くなったのは1985年6月6日。本書によると翌6月7日はこの少年の「初めての割り当て」だったとある。

エホバの証人の割り当てとは?

正式なエホバの証人になるには、段階を踏む必要がある。ここでいう正式というのは献身、バプテスマという儀式を受けること。この儀式を受けたエホバの証人は、組織内で「兄弟、姉妹」と呼ばれる。

亡くなった少年も、断固輸血拒否したその父親も献身しておらず、まだ「兄弟」ではなかった。この2人の事例からすると、エホバの証人のマインドコントロールの危険度合いは献身宣言の有無には関係しないようには見える。

しかし、エホバの証人の目指すところは、一旦はこの献身。

仲間内から「兄弟、姉妹」と呼ばれる、馴れ合いの疑似家族空間の仮想温もりがこのカルトの一端を支えている。私みたいにこの馴れ合い環境を気持ち悪いと思う者は、ズブズブ馴れ合い信者に比べれば、脱会へのハードルは低い。

自称「伝道」、エホバの証人のねずみ算的集客システム

エホバの証人のバプテスマとは

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エホバの証人の川崎事件、無垢の少年を殺したのは何か?

エホバの証人の輸血拒否

エホバの証人の少年は、なぜ死ななければならなかったのか?

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十章 道」。エホバの証人の川崎事件で、亡くなった児童が当日に走った道。そして、この宗教に堕ちる哀れな人々が歩む精神的な道。その二つの道を走破・考察する第十章。

被害者児童はなぜ死んだのか?それはエホバの証人の教理により輸血拒否したためなのだが、その前段、なぜ事故に遭ったのか?本章では、その詳細が明かされている。

夕方、少年は自転車で家を出た。行き先はエホバの証人の信者の家、目的はエホバの証人の宗教本研究のため。つまり、

当初からエホバの証人に関係しなければ、事故に遭うことは無かった。

エホバの証人の人命軽視

エホバの証人は、永遠の命を持った完全体に生まれ変わるという妄想を強く抱いている。そのため、現在の限りある不完全な命を、心の奥底では軽んじている。

エホバの証人による命の軽視傾向は普段は具現化されることはない。神より与えられた現生命を大事にせよ、という建前にはなっている。しかし、

川崎事件ではエホバの証人の人命軽視主義を、証明してあまりある悲劇の結末を迎えた。

エホバの証人、カトリックの病院はOKなのに輸血がNGな理由は?

エホバの証人の輸血拒否は生命に対する冒涜、生きて償わせるエホバの証人の穢れ

名ばかりの保護者、エホバの証人の親

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エホバによって引き裂かれた自我、その再統合のための反エホバ

引き裂かれた自我の再統合

分裂の危機にある自我を統一するのが宗教

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第九章 子」から。

ものみの塔を解散させ、エホバの証人をゼロにする。この思いは私にとって既に○○。と昨日の記事で書いた。

この○○とは「宗教」。

ものみの塔を解散させ、エホバの証人をゼロにする。これはもはや私にとっての宗教。

宗教について、この本『説得』では以下のように他の文献からあらーく引用している。

ウイリアム・ジェイムスが、その膨大な著作のどこかで“宗教というものは、何らかの理由で分裂した自我を、再び統合する力である”という意のことを言っていた

現代社会において、子どもがエホバの証人という宗教を親に強制されれば、いずれこの状態に至る。自我の芽生えと分裂。

自我の再統合に、そのまま宗教としてのエホバの証人を求めると、人生がほぼ終わる。そのままエホバの証人の大人になり、本来の自分を押し殺したままの生活が続く。圧倒的な精神的不健康。精神を病んだり、文字通り自ら人生を終えたり。

私の場合は再びの自我の統一に使ったのが、反エホバという強い意思だった。

反エホバという宗教

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元エホバの証人2世の完全なる救い、エホバから自由になる方法

エホバという暗闇から自由になる方法

死んだエホバの証人の子どもは自分自身

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第九章 子」から。本書が題材としているエホバの証人児童の死、著者はその亡くなったの子どもの幻影を追いかけている。

「死んだ子供は、ひょっとしたら俺なのかも知れない」と筆者は書いている。

あの被害児童は我々そのもの。右も左も分からない幼い頃からカルトを強制されたエホバの証人の子ども。

私にも、被害者児童同様に輸血拒否で殺されていた可能性が充分にある。その死地から偶然サバイバルした者の責務として、このブログを書き続けている。

物理的に死んだかどうかはさておき(尋常でなく大きな問題ではあるが)、エホバの証人の子どもとして傷を負ったという事実は誰もが共通。それぞれが抱える傷の深さが違うだけ。

死んでしまったか、生きているかの違い。あまりにも大きな差ではあるが、生きていても、深い傷に身動きがとれなかったり、数十年もの間、見える景色が灰色のままだったり。死に体同然だったり。

やはり、あの被害者の子どもはオレたちなんだ。

エホバの証人のマインドコントロール大会の狂気に流す涙

カルト宗教の2世信者が救われる方法~映画『星の子』より

エホバの証人のまま暗闇を彷徨うもう一人の自分

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『星の子』~宗教2世の生きにくさ、いったい何のために生きている?

映画『星の子』

宗教2世の身が引き裂かれる感覚

宗教2世がテーマの日本映画『星の子』、昨日の記事の続き。AmazonのPrime Videoでプライム会員無料(2022/6現在)。以下、ネタバレなので、未視聴の方はご注意下さい。

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以下、ネタバレ。

 

 

 

主人公は、家族で飲んでいる宗教の高額水のおかげで風邪を引かないはずなのに、簡単に風邪を引く。もしかして騙されているのかと疑い始めるものの、それでも騙されているかどうかは「分からない」と苦悩する。

家族の異様な宗教が恥ずかしいのだが、騙されているとは判断できず、親族の救いを拒絶する洗脳状態。もしくは親を捨てきれないためか。心から心配してくれる親族が敵に見える感覚。

この辺はエホバの証人2世だった私の経験と酷似。私は、ダサいエホバの証人に混じるのと、学校の行事に参加できないのが死ぬほど嫌だった。であるのに、エホバの証人の教理は概ね真実だと疑いもしなかった。

子どもの頃から繰り返されてきた洗脳の成果。エホバの証人に反対する者、エホバの証人でない者は悪魔の手先であると教えられた。例え親族、親友でも。

本来のなりたい自分とダサい宗教2世という乖離、カルト親なのに愛し愛される両親であるという矛盾。この差が宗教2世の身を引き裂かれるような感覚を生む。

神の存在を許すか、許さないか、それは自分で決めること

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『星の子』~計算された後味の悪さ、宗教2世問題の本質

映画『星の子』

宗教2世問題の本質とは

宗教2世がテーマの邦画『星の子』、AmazonのPrime Videoでプライム会員無料になっていたので、早速視聴。ゴリゴリにネタバレするので、未視聴の方はご注意を。

¥300 (2024/01/31 05:49時点 | Amazon調べ)

キャストは豪華で、芸能事情に疎い私でも知っているキャスト多数。主人公は中学生で、アラフォーの私が忘れかけていた感覚がキッチリ描かれている。

今どき中学生が果たしてこの映画みたいなのかは分からないが、この年頃の子供が持つ普遍的な感覚は映像から匂いで伝わってくる高レベル。

なのだが・・・

 

 

以下、本当にネタバレ

 

 

なのだが、後味は悪い。主人公が最後まで救われなかったから。エンディングまでに詳細を語られない方式なので、解釈次第では、主人公の洗脳が解け始めている、もしくは解放済ともとれる。

宗教2世の問題は、本人の洗脳も大いにあるのだが、最大問題は保護者との関係。その保護者と肩を抱き合って終わるというのは何とも。

そして、その保護者は一切、マインドコントロールからの解放の気配がない。それでも主人公を深く愛している、または愛しているつもりというのが、宗教2世問題の本質。

エホバの証人の親は思考停止洗脳状態の「親のような者」

家族の無条件の愛を感じるにはエホバの証人をやめるしかない

カルトをぶっ潰さない後味の悪さも計算ずく?

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輸血拒否が子どもの意思であろうとなかろうと、ものみの塔の罪は重い

エホバの証人の罪深い輸血拒否殺人

完全悪、ものみの塔

今読んでいる『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』より。1985年にエホバの証人の子どもが、輸血拒否を強要されて亡くなった話。

被害者の子どもは

『死にたくないよ、生きたいよ』と父親に訴えてもいる

ところが、父親は耳を貸さず断固輸血拒否。そして、被害者の子どもは絶命。

これをエホバの証人に言わせると

輸血しないで死ぬのがイヤだったんじゃなくて、輸血して復活できなくなっちゃうのがイヤだった

死にたくない、っていうのはそういう意味だった

となる。

日本語が通じないヤバい連中。憶測だらけで好き勝手なことを言う。本人に聞いたわけでもないのに、こんな話を広める。当時、私の両親たちも似たような論調で、この幼い被害者を語っていた。

死者を冒涜する、エホバの証人の自分勝手なウソ。「生きたい」ために輸血したくないなら「輸血したくない」と言うはず。命がけの極地で、そんな曖昧な発言をするはずがない。この子の「生きたい」は、輸血を含むありとあらゆる手段を使って「生きたい」だったんだよ。

著者はこの後、本事件にのめり込み、教団に潜入までして調査する。そう突き動かしたものは

輸血拒否が大の意思であったか否か

大というのは被害者の子ども。

子どもの意思だろうが何だろうが、そんなモノは関係ない。子どもは騙されているのだから。自分の意思で輸血を拒否しようが、自分の決断で(一旦)死にたがったのだろうが、その根幹にあるのは「人間が復活する」という嘘。

本人が生きたいと言ったのは「輸血して生きたい」でなく「復活して生きたい」だと、エホバの証人は決めつけ、本人の願いだったということにしている。

しかし、そんな危険思想を持たせたのは周囲の大人。周囲の悪い大人のエホバの証人。無垢の子どもを「人間は復活する」と騙して脅して殺す。罪は重い。

輸血拒否が子どもの意思でなく、大人の強制であれは単純な殺人。

輸血拒否が子どもの意思であれば、そう洗脳したものみの塔やエホバの証人の大人たちの罪。生まれながらに「人間は復活する」と仕込まれれば、子どもは信じざるを得ない。「地球が丸い」と、大人が信じているのと同じ。

いずれにせよ、ものみの塔や大人のエホバの証人が完全悪であることは間違いない。

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め

背教者のみぞ知るエホバの証人の真理

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無輸血手術、命がけの不毛な勝負に挑まされるエホバの証人の子ども

自ら死神を引き寄せるエホバの証人

自ら、死神を呼び寄せているエホバの証人

エホバの証人の輸血拒否による子ども殺害。この悪夢を偶然生き抜いた者の務めとして、日々、ものみの塔を糾弾している。ここまでが昨日の記事の内容。

交通事故や重病などの手術で多数の血液が失われる状態になれば、輸血が必要になる。その際、エホバの証人は輸血を拒否。子どもに対しても同様。

近年では子どもに対して輸血拒否するエホバの証人の親がいれば親権停止、子どもに対して輸血ができるのだが、私の子どもの頃はそんな事例はなく、問答無用で殺されるところだった。
※2023/11/20追記、この親権停止措置。非常時には全然間に合わないらしい。交通事故といった超緊急時には、エホバの証人の子どもは親の輸血拒否で命を落とすことが、現在でも十分にあり得る。

輸血なんて、普通に生活していればなかなか遭遇しないものたけど、エホバの証人をやっていると、輸血を必要とする状況を引き寄せてしまう。「輸血絶対ダメ!その時は死にます」って念じていると、輸血の方から寄ってくる。

「輸血拒否します」と書かれたカードまで携帯している徹底具合。これは「命捨てます」宣言にも等しい。ここまで暴走して死にたがっているのだから、死神の方から寄ってくる。「輸血しますか?死にますか?」と。

私の元にも、その輸血のピンチがやってきた。川崎事件の数年後。

無輸血に命をかけるという不毛なエホバの証人

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偶然、スレスレで生き延びた元エホバの証人2世の子ども

命の危険に晒されるエホバの証人の子ども

エホバの証人の子どものストレス解消法

昨日の記事で、子どもの頃に眼瞼痙攣の症状があったと書いた。初期症状だけで回復したのは、私自身のストレスに対する耐性が高いからかと思われる。子どもの頃も今も、ストレスの解消が得意な体質というか性格。

エホバの証人というカルトを強要される子どもとして、私の子ども時代は過酷だった。エホバの証人2世の子どもが激しいストレスをかわし、息抜きをする方法とは。

小学校低学年の頃から、親の財布からお金を抜いて、遊びに行ってガチャガチャを回す。これが度々あった。時には3000円とか抜いて豪遊。これでストレスが解放された。

見つかって懲らしめというエホバの証人の体罰を受ける。これは痛いしパンツを脱ぐので屈辱的だけど、罪悪感を抱えたまま見つからないでいるよりはマシ。

逆に、子どもの頃の店舗からの万引きは一度も露見していない分、今でも罪悪感が残っていてスッキリしない。

エホバの証人の集会や布教活動の前に遊びに行って、15分全力でバットを振る。暗くなる直前にひたすら集中して遊ぶ。子どもながらのストレス解消法。

元エホバの証人2世の真夏の記憶

エホバの証人2世の子どものハードスケジュール

エホバの証人2世のサバイバル

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