エホバの証人の暴力と箸
昨日の記事の続き。体罰で躾けられたエホバの証人2世は、箸を正しく持てるのか?
果たして、箸をちゃんと持てないからと、エホバの証人の親は体罰を加えるのか?箸の持ち方がなっていないからと手をピシっと叩いたりするのだろうか?
これは大抵のエホバの証人には当てはまらない。子供が親の言うことをきかなかったり、一般的な悪事を働いた時にだけ、懲らしめという暴力は発動する。
「どれだけ教えても箸の持ち方が上手にならない」くらいで、懲らしめが作動することは、恐らくほとんどない。
例外として、既に常軌を逸して暴力が日常化している親。愛のムチでも何でもなく、暴力を振るうことに依存している暴走状態の親。こんな親だと、箸の持ち方一つで暴力に走ってしまう。
カルトにハマるような人は精神的に未熟だったり、何かの欠落を埋めようとしている。そんな人が懲らしめという名目で暴力を推奨されると、当初は推奨範囲内で行使していた暴力がそのうちに歯止めがきかなくなる。暴力の虜。
そんな親を持ったエホバの証人2世は、箸の持ち方一つで親に暴力を振るわれたのではないだろうか。
感謝されないエホバの証人の親
さらに、暴力と箸。別の視点から。
いざとなると暴力を執行してくる親は、子供にとって絶対権力。そんな親にきちんと箸を持てと言われりゃ、暴力に直結しなくとも、言うことはきく。
そんな訳で、私は箸の持ち方とか些細な生活マナーで親に暴力を振るわれたことはない。しかしながら、エホバの証人組織内で体面を気にする親のせいで、箸は恥ずかしくない程度に持てるし、食事の仕方も綺麗(なはず)。エホバの証人親が体面を気にする話は昨日の記事で触れた。
エホバの証人の親ってのは、こんな躾ひとつとっても、子供から感謝されることなく、暴力を背景にしてとか、体面を気にして躾けたと言われる。哀れなものだ。素直に真っすぐに感謝されない。これは、
宗教を子供に押しつけたことは罪深く、エホバの証人を信仰するという選択が人生最大の誤りだったということを示している。
ちなみに、私の箸の持ち方は正確でないのだが、息子は正しい箸の持ち方をしている。理由は妻が買ってきたこの練習箸を使っていたから。
暴力とか厳格な躾とかしなくたって、仕組みさえ作っておけば、放っておいても子供は箸くらい使えるようになる。昔に戻れたら、両親に教えてやりたい。
「昔はこんな練習箸なかった」ってエホバの証人的思考の人は言いそうだけど、そういう話ではないから。箸は物の例え。宗教とか暴力に逃げなくても、もっと楽に子供と向き合う方法があったのではないかという話。
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