カルト宗教2世問題と芸能・スポーツ2世問題の違いとは・・・

宗教以外の2世問題とは・・・

Twitterで旧オウム真理教の上祐氏(多分ホンモノだと思う)とちょっとだけ議論になったのが2世問題について。

宗教2世・3世問題が騒がれているが、子供タレントの親とか、小さいときから英才教育でスポーツさせている親に問題はないのかという話。

あるだろ。そりゃ。

英才教育で無理やり塾に通わせたりとか、それも子供の意思に反していれば問題。

結果、プロスポーツ選手が道をあやまって子供の夢を奪ったり、高学歴で社会的立場のある人がモラルの欠如した不祥事を起こしたり。

このように2世問題は宗教以外にもあるけど、そんなものカルト宗教を強要されることに比べれば、問題の質が全く違う。

似て非なるスポーツ芸能2世問題を持ち出して、カルト2世問題を薄めるのはよしこさんということ。(仮想上祐氏、きちんと「よしこさん」に突っ込んでくれた。律義ですな)

芸能、勉学、スポーツは家庭の問題。各家庭でやり過ぎない程度を見極めればいい。

カルト宗教の強制は家庭の問題に留まらない。人権の侵害であり、犯罪。外部が積極的に介入すべき問題。とはいえ、問題は家庭という密室で起きており介入が困難。メンドクサイので根源であるカルトを断つという根本的解決を私は訴えている。

エホバの証人(JW)組織の解体という有意義な社会実験

カルト宗教2世と他の2世問題の違いとは

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カルト宗教に所属することは悪事であると信者に「思わせる」

カルト宗教に属することは悪だと「思わせる」

エホバの証人が取り上げられている宗教特集の『週刊東洋経済 2022年10/8号 宗教 カネと政治』。『2世への支援策は?』のページ。

宗教2世に対して外部の人ができることとして、記事内の下記の記述。2世信者に

教団外社会もそんなに悪くないと「思わせる」こと

と書かれている。

私が思うにカルト宗教の2世信者にとっては、教団外社会こそが良いのであり、教団内社会が劇的に悪いと「思わせる」必要がある。そうしないと信者はいつまでも教団に留まり続ける。

それでは本人の人生が徹底的に損なわれるだけでなく、エホバの証人のようなカルト宗教の場合は、社会に対しても害をなし続ける。いったい誰がそんなことを望もうか。

宗教2世は生まれながらの被害者だが、成長するうちに大人になる。そのまま教団に留まり続けるなら、有害なカルト活動を行い続けることになる。それは社会的に有害な存在。

宗教2世の子供は自分の意思で選択することができない。生まれながらに宗教を強要・強制されるから。主体的に何かを選んだり、人生を切り開くことが出来ないように仕向けられる。大人になっても一部の2世信者はそのまま。

そのまま無自覚に過ごせば、いつまでも宗教2世として教団に留まり、無意識的に罪を犯し続けることになる。カルト活動者として。

教団に留まり続けることは悪であり、罪であると自覚させる。そして、教団外社会こそが良いと「思わせる」ことができれば脱退への道が開ける。

日本のエホバの証人だけが特殊、カルト化している訳ではない

カルト組織は悪だが、信者個々人は・・・

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エホバの証人2世だった私が望んだ「強制」と「配慮」

エホバの証人2世の子供の望み

統一教会に並んで、エホバの証人も取り上げられている宗教特集の『週刊東洋経済 2022年10/8号 宗教 カネと政治』。『2世への支援策は?』のページ。宗教2世に対して外部の人ができること。

記事中の

周囲が2世の置かれている状況を理解することで救われる面もある

2世にとって学校生活は窮屈なことがある。そんな中で理解や配慮のある教員や友人の存在は心強い

という記述。

エホバの証人2世だった私にとって、学校生活は窮屈どころか拷問だった。無理解で横暴を言う教員はいなかったけど、本当に「理解」のある教員はいたとは言えない気がする。私から心を閉ざしていたので不明。

友人はいたかも知れない。私がカルト宗教信者であろうとなかろうと友達は友達だという友人。というか、友人側にカルトという認識はあったかどうか?

教員にこの友人と同レベルを求めるのは酷なんだけど、宗教2世の子供として私が学校の先生に本当に望んでいたのは何だろうか。

それは、「強制」と「隔離」かも知れない。

エホバの証人(JW)に示すべき寛容さの本質とは?

エホバの証人2世に対する「強制」と「隔離」

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エホバの証人(JW)2世という問題の重み、綱渡り生活

エホバの証人2世というペナルティを和らげるために

エホバの証人2世が気持ち悪いと思われるのは致し方ない。それが宗教2世生まれの問題の重み。これが昨日の記事。今日は、エホバの証人2世生まれという重いペナルティを少しでも軽くするために少年の私が気を付けていたこと。

エホバの証人をやっているのは自分の意思ではないということを、周囲に気付いてもらえるよう暗に振舞う。やりたくてこんな変な宗教をやっているのではないと周囲に印象付けるように努力した。

私はエホバの証人の洗脳下にあったので、出来れば神の是認を得たいとは思っていた。エホバの証人の両親とともにハルマゲドンを生き延びて楽園に入りたいと願っていた。そして永遠の命を得るのが正しい選択だと思っていた。それ以外の選択肢を親から示されなかったから。これは小学校5年生くらいまでの話。

それ以降は、今この瞬間に誰かに気持ち悪いと思われていることが嫌だった。

今、この瞬間を好きに生きられないのは、私自身からから見ても気持ち悪い。今の不遇と引き換えに将来の永遠なんて要らないと考え始めた。そもそもエホバの証人である限り、将来も永続的に自由な生き方はできない。それでは永遠に気持ち悪いままの自分。

そう考え始めたときに、エホバの証人をやりたくてやっているわけではないという暗黙の自己主張を始めた。正々堂々と主張して両親にバレると待っているのは体罰。ここは加減が大事だった。

脳内お花畑の現役エホバの証人よ、終わりが近い根拠を教えてくれ

エホバの証人2世の綱渡り生活

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カルト宗教2世に生まれ育った問題の重さとサバイバル

宗教2世だけが持つ問題の重み

エホバの証人も取り上げられている宗教特集の『週刊東洋経済』。『2世への支援策は?』のページ。宗教2世の苦悩が考察されている。

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記事内の

「新宗教の家に生まれ育った」だけで持つ問題の重みがある

という記述。

まあ、親がエホバの証人ってだけで気持ち悪いよね。完全なる偏見なんだけど。私自身エホバの証人2世なので、気持ち悪がられていた自覚がある。

気持ち悪がられるのは、一方的な偏見で失礼だし迷惑なのだが、この気持ち悪いという違和感は実は正しい。その感覚がないと誰もがエホバの証人というカルトに陥って人生を損ねてしまうわけで、その至って常識的な直観は生きていく上で必要。

カルトを自分で選んだわけではないエホバの証人2世にしてみれば、気持ち悪いと思われるのは心外で、自分の意思ではないのに・・・というのが正直なところ。

しかし、嫌々強制されているのか、自ら進んでやっているのかは、外部からはよく分からない。そんなものはエホバの証人2世本人もよく分かっていない。

嫌々な心はとっくのとうに封じ込めている。自ら進んでやっていると思い込んでいる子だっている。体罰と終末予言の恐怖で他の選択肢などない。終末を生き延びれば家族一緒で永遠の命というご褒美があると信じ込まされている。

外部の一般の人から見れば、2世だろうが1世だろうが同じ。危険に感じる、気持ち悪いと感じるのは仕方のないこと。もはや生存本能の領域。

自分で選んだカルト道ではないのに、学校の先生や同級生から気持ち悪いと思われる。それがカルト宗教の家に生まれたカルト2世信者が持つ問題の重み。

エホバの証人(JW)、統一教会と横並びに雑誌掲載

カルト宗教2世のサバイバル

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街頭カート布教中のエホバの証人(JW)を攻略する

今宵はドラマ仕立てに、第10章『愛をもって・・・』

朝8時、時間を潰している体を装って、街頭でカート布教中のエホバの証人の様子を観察していたら・・・先方も休憩中のミドル紳士エホバの証人に話しかけられる。まずお前が名乗れと。

オレ「お名前は?所属は?部署とかないんですか?」

エホバの証人(JW)「○○会衆の○○です」

オレ「ところで、お宅の宗教って体罰してるんですよね?最近話題の鞭の宗教ですよね?」

JW「いいえ、一昔前は鞭があったんですけど、今は無いんですよ」と、イヤーンな柔和顔。

オレ「いやいや、今も推奨してますって」

私のカバンの中からタブレットを出して、jw.orgを検索。『あなたの家族生活を幸福なものにする』を相手のJWに見せる。10章『愛をもって懲らしめる価値』

ものみの塔聖書冊子協会に電話してみた話、公式サイト崇拝

エホバの証人と一緒にものみの塔聖書冊子協会に電凸

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エホバの証人からの脱会ステップ、認知的離脱と組織的離脱

エホバの証人の認知的離脱と組織的離脱

『近現代日本とエホバの証人』から。第五章「忍従の時代」後半部分。

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昨日の記事で、エホバの証人を辞めるステップについて、自分の意思で考えて辞める方が回復が早いと書いた。その点、本書は的確に言語化している。

まずは、エホバの証人を「辞める」の定義。

「脱会」を「一度は教団の教理を受け入れた人が、教団の教理を認知的に拒否し(認知的離脱)、組織的活動への参加を辞めること(組織的離脱)」と定義

私は教団の教理を受け入れたというか、ほぼ生まれながらに親や大人の信者から、世界とはそういうものだと、エホバの証人が真理だと洗脳された。

脱会後の予後については

組織的離脱よりも、認知的離脱が先に生じた場合のほうが脱会後の「社会的リアリティの再定義」がスムーズ

であるとされている。

私の場合は認知的にエホバの証人の教理を拒否するより先に、組織的な活動を辞めた。エホバの証人の求める永遠の命より、刹那の輝きの方が価値が高いと考えてエホバの証人を辞めた。

エホバの証人の教理を疑う余地はなく、価値観の違いにより教理を拒否。認知的拒否ではなく、直観的な拒否。本書の書く通り、先に組織的離脱を果たした私の予後は悪く「社会的リアリティの再定義」がされるまで、組織的離脱から20年近い時を要した。

そもそも組織的離脱と認知的離脱の双方を持って「脱会」と言うのなら、私の脱会が完了したのは組織的離脱の10年近く後のこと。

その間、来るハルマゲトンに備え、刹那的欲求を叶えることに執心していた。いつ死んでもいいと覚悟を決め、刹那を生きる若者に「社会的リアリティ」など備わるはずがない。

まずはエホバの証人教義からの認知的離脱を

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ものみの塔聖書冊子協会は児童虐待、体罰の責任を取るべき

ものみの塔はすぐに電話に出る

エホバの証人の記事が出ている宗教特集の『週刊東洋経済 2022年10/8号 宗教 カネと政治』。昨日の記事の続き。エホバの証人がいまだに子どもへの体罰を組織で主導している件。

エホバの証人の母体であるものみの塔聖書冊子協会。体罰の実態について、だんまりノーコメントを貫き通しそうのだが、本誌の取材に答えている。

ものみの塔には電話してみると分かるのだが、数コールで電話に出る。散々待たされる、役所とか病院への電話に比べると快適。電話番は暇そうだし、ホームページに営業時間も出ているので、苦情などは是非電話してみよう。

ものみの塔と話したくないという方は、当ブログへコメント↓などでお伝え頂ければ代わりに電話します。結果も本ブログ上で報告します。

まずは、ここの電話がつながりにくくなるくらいに、世間でものみの塔が問題視される日を到来させる。

聞いてみたいよね。「事物の体制ってなくなるんですよね?お宅の神によって。それって相当悪質なテロリズムだと思うんですけど」って。

ものみの塔に体罰の責任はあるのか

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カルト宗教親の親権を停止せよ、カルトの横暴を許すな

カルトの横暴を許した結果

『近現代日本とエホバの証人』から。第四章「従順の時代」総括部分。

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輸血拒否や格技拒否など、社会との摩擦が生じた際にも、日本支部は当時の日本社会の価値観や社会状況に一切妥協せず、結果として社会のほうが変容を迫られることとなった。

日本社会は、エホバの証人の訴訟により、宗教的マイノリティへの寛容・多様性の尊重・自由という「防御壁」のもと、変化を余儀なくされた。

果たしてそれで良いのか?日本社会。それはカルトの横暴を許しただけではなかったのか?

幼い頃からエホバの証人の洗脳教育を受け、周囲の大人は全員エホバの証人というダメ人間。そんな凄惨な環境で子供は自分の意思なんか持ちようがない。そんな子供が悲しい辛い思いをするのを、信教の自由という呪文のもと見殺しにする社会。これがカルトの横暴を許した結果。

今の日本社会の誤った方向、エホバの証人に対する寛容さ。カルト宗教に対する寛容さ。これを正すために提言したい。

カルト宗教に共通する本質、カルト3原則その1「自由意志の剥奪と人権侵害」

宗教親の親権を停止せよ

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自ら戦いを巻き起こすエホバの証人、駒として利用される長老の息子

争いを巻き起こすエホバの証人

『近現代日本とエホバの証人』、第四章「従順の時代」の後半。

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エホバの証人の司法制度の利用について。本ブログでも取り上げたことのあるエホバの証人の剣道実技拒否事件。

神戸高専剣道実技拒否に見るエホバの証人の戦い好きな性質

エホバの証人二世が剣道事件で失った貴重でかけがえのないモノ

宗教上の理由で剣道実技を拒否したエホバの証人生徒の裁判沙汰。剣道実技拒否のため単位が不足し留年、同理由で再度留年したため、規定により退学となった。これを不服としたエホバの証人が訴訟し勝訴したという事件。

私の同年代のエホバの証人の話で、信者の間では有名な話。その剣道事件について私が知らなかった事実を本書から。

格技拒否を要因とする単位不足・退学問題は、この生徒の訴訟以前から教団内では認知されていたもので、これについての世界本部からのアドバイスは、格技の授業がない学校への進学ではなく、訴訟による問題解決であった

この時点で、エホバの証人が何のために格技拒否をしているのか意味が分からなくなる。私が説明するのもバカバカしいのだが、エホバの証人が徹底して格闘技の履修や観戦を避けるのは聖書のどこかに

「彼らはもはや戦いを学ばない」と書いてあるから。エホバの証人は「戦いを学ばない」を律義に学校の授業にまで適用している。しかしながら、

あえて格闘技の授業がある学校へ進学し、格技授業を拒否して問題を起こし訴訟という手段をとる。戦いを避けるのなら、当初から格技授業のない学校へ行くべき。あえて争いを起こし訴訟するというのは、自ら戦いを巻き起こしているに等しい。本末転倒。

エホバの証人が目的を見失い自己目的化するのは組織としての習性なので、はいはいという感じなのだが、驚いたのはこの先。

エホバの証人は道具、駒として使われる

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