エホバの証人(JW)2世という問題の重み、綱渡り生活

エホバの証人2世というペナルティを和らげるために

エホバの証人2世が気持ち悪いと思われるのは致し方ない。それが宗教2世生まれの問題の重み。これが昨日の記事。今日は、エホバの証人2世生まれという重いペナルティを少しでも軽くするために少年の私が気を付けていたこと。

エホバの証人をやっているのは自分の意思ではないということを、周囲に気付いてもらえるよう暗に振舞う。やりたくてこんな変な宗教をやっているのではないと周囲に印象付けるように努力した。

私はエホバの証人の洗脳下にあったので、出来れば神の是認を得たいとは思っていた。エホバの証人の両親とともにハルマゲドンを生き延びて楽園に入りたいと願っていた。そして永遠の命を得るのが正しい選択だと思っていた。それ以外の選択肢を親から示されなかったから。これは小学校5年生くらいまでの話。

それ以降は、今この瞬間に誰かに気持ち悪いと思われていることが嫌だった。

今、この瞬間を好きに生きられないのは、私自身からから見ても気持ち悪い。今の不遇と引き換えに将来の永遠なんて要らないと考え始めた。そもそもエホバの証人である限り、将来も永続的に自由な生き方はできない。それでは永遠に気持ち悪いままの自分。

そう考え始めたときに、エホバの証人をやりたくてやっているわけではないという暗黙の自己主張を始めた。正々堂々と主張して両親にバレると待っているのは体罰。ここは加減が大事だった。

脳内お花畑の現役エホバの証人よ、終わりが近い根拠を教えてくれ

エホバの証人2世の綱渡り生活

小学校の5年生くらいでこの状態になったので、実際に脱会できる中学生までが苦悩の日々。本来の自分を押し隠して宗教2世を演じつつ、それでも周囲には自分が親の強要を受けていることを暗にアピール。気持ち悪い奴と可哀そうな奴の間を綱渡り。

たった一つの希望は時の経過。一年経てばそれだけ成人に近づく。早く大人になりたかった。大人になれば、エホバの証人をやめられる。それだけが心の支え。

幸いなことに私は中学2年生くらいで大人の身長になった。見た目と腕力だけは早く大人になれた。力で親に一方的にねじ伏せられないのなら、エホバの証人を続ける必要もなく中学2年生で脱会。

自分でも驚くほどに器用に綱渡りしてきた綱がぷつんと切れ、一気に自由な生活へ解き放たれる。子供時代に巻き戻し。その後、天真爛漫生活を大人になっても続けた。

誰もが、私みたいに器用に綱渡りできるとも限らないし、親の束縛度合い、体罰という暴力の程度も異なる。極度のストレスで体が早く大人になれない人もいるだろうし、女性だとエホバの証人父親に一生腕力では勝てないかも知れない。

私の綱渡りも偶然にサバイバルしただけで、実は限界を感じたこともあった。綱から飛び降りて楽になろうかと考えたこともあった。

比較的被害の少ない私でさえ、これなのだから、宗教2世生まれの問題は重い。そして、経験者でないとこの問題の理解は困難だ。


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