カルトど真ん中のエホバの証人、第一話に登場
『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち』を読了。複数のカルト宗教2世のストーリーが一話完結マンガで描かれている。
全部カルトと言って良いのかは微妙で、他と比べると一つだけ、まだまともに思える宗教があった。とはいえ、主人公の2世の子供、そして親の思想・生活に大きな影響を与えている時点でカルト的要素は強い。
宗教は、その宗教との接し方次第でカルトにも心の支えにでも変えていける。しかし、エホバの証人とかこの本に出てくる他のカルトど真ん中の宗教は全然ダメだけど。論外。心の支えというか、心を害し蝕まれるだけ。
そのカルトの中のカルト、エホバの証人は第一話に登場。web連載当時にも読んでいて、ラストカットで震えたのをよく覚えている。その後、他の作中に登場すると思われる某カルト団体から圧力がかかり、連載が休止に。
カルトにも、我々の育った家にも神はいないのだが、捨てる神あれば拾う神あり。他社にて本書が発刊される運びとなる。その辺の経緯もサイドストーリーとして描かれている。
この間に宗教2世被害者による安倍元首相銃撃事件が起こり、現在に至る。世間では今までにないレベルで宗教2世問題が注目されているのだが、何だか自分とは隔絶された感じ。同じ元宗教2世なのに。
「信教の自由」という言葉を盾に見て見ぬふりするな
世間を多少騒がせている宗教2世問題と自分の何が違うのかと考えてみる。違うのは、救われるべきは宗教2世だけではないと私が考えている所だろうか。
ガチの1世信者だって、本来の人生を取り戻させるべき。その先に絶望が待っているとしても。それこそが人生だから。
そして、大方の意見が「カルト信者にも『信教の自由』がある」。私の意見はこれとは相容れない。カルト信者は1世だろうと2世だろうと、騙されて人生を搾取されている。そして、愚かな選択を自らするように操作されている。
愚かな誤った選択をする者を「信教の自由」という一見聞こえの良い、当たり障りのない言葉を盾にして放置。見て見ぬふり。それで良いのかというのが私の意見。
それじゃダメだろ。いや最高にめんどくさい奴らだから、見て見ぬふりしたいの良く分かるけど。しかし、だからこそ後世にこんな奴ら残したらいかんよねというのが私の主張。
エホバの証人をゼロにし、ものみの塔を崩壊させろ。その過程で2世信者の救済がなされるのなら、それはそれで良し。組織を失いマインドコントロール信者が絶望の果てに追い込まれるのも致し方ない。その点は明日の記事にて。
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