『「神様」のいる家で育ちました』、ラストに素敵な言葉が

カルトに信教の自由はない、ガッチリ規制すれば良い

2世信者の救済だけが私のゴールではない。カルトの消滅。少なくとも私の知る限り100%カルトのエホバの証人には消え去って貰わなければならない。と昨日の記事で書いた。

宗教2世が特に問題視されている現状、信教の自由がカルトにも適用されるという既存の枠組。こういった土台の上のストーリーに何となく違和感を覚える。

今はたまたま信教の自由がカルト信仰にまで適用されているけど、それはおかしい。おかしなモノはおかしいと直してやらないといけないし、愚かな行為は正すべき。それが例え、信教・信仰の自由という触れるべからずな領域であっても。

この点に価値観の転換が必要なのと、エホバの証人憎しという私のエゴが発端なので、誰にでも簡単に理解して貰えるものではない。

誰にでも共感を得られるのは、不条理に生まれのせいだけでカルトを強要されている子供、2世信者の被害。分かりやすいところから攻めるというのなら全然良いのだけど、私は、最終的にはエホバの証人そのものに消滅して貰いたいわけで。

やはり最近の宗教2世だけが注目を集めているのとは隔世の感。自身が宗教2世でありながら。

『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち』

宗教2世被害者、一人で泣くことはない

宗教2世だったのが大昔のことだし、洗脳された内なるエホバの証人的価値観と自分一人で戦ってきたのも大きい。対カルト問題で共感者を得ていないから、今さらエホバの証人崩壊しろって思いを誰かに理解して欲しいとも思わない。

他人の理解を得られずとも、結果的にエホバの証人が消滅してくれれば良い。ただ一人の力じゃ何もできないのも現実。ここがジレンマではある。

だいぶ話がそれたが、時代にベストフィットした『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち』を読んだことから、こんな話題になった。

私の場合、対カルトの内的・個人的問題は解決しているので良いのだが、まだ内なるカルト・身近なカルトと戦い続けている人。本書の結末に素晴らしい言葉が書いてある。

¥1,100 (2024/01/23 17:16時点 | Amazon調べ)

ひとりで泣いたら悲しいだけ

でも10人で100人で泣いたら

泣き疲れた後に少し笑えるかもしれない

この言葉に20年くらい前に会っていたらと思う。私自身の回復がもっと早かったかも知れないし、今こんな「打倒ものみの塔」という私怨に燃えていなかったかも知れない。

とはいえ、当時の自分だったら、逆に10人、100人で傷つけあったかも知れず、傷の癒し合いの服用は適度な距離間でほどほどがいいとも思う。しかし、やはりたった一人で泣くことはないかと。


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください