ものみの塔、自殺者が復活しちゃうかも知れない設定の闇

復活設定で死者を冒涜するものみの塔

ものみの塔、罪深い自殺者の復活匂わし

エホバの証人の教理の異常な点。自殺者にも復活の希望があるように匂わしていること。そもそも人間は復活などしないのだが・・・信者たちは復活を信じちゃってるので、これを言っても仕方がない。

私が子どもの頃、エホバの証人を強制されていて、そのときは自殺は重罪で復活などしないという設定だった気がする。ところがネットで検索してみると1990年くらいの教団資料では、自殺者の復活の是非は神が決めるという設定に切り替わっている。

繰り返しになるが、自殺者だろうとなんだろうと人類は復活などしない。よってものみの塔の設定した創作話など、どうでも良い。しかし、現役信者、そして信者予備群で自殺者が身近にいる人々にとっては大きな問題。

彼らが帰ってくるかも知れない、再会できるかも知れない。きっと再会できる。復活する!と思い込んでしまう。そしてせっせと不毛なエホバの証人活動に打ち込むことになる。

人の弱みをついて、信者を増やす、信者をつなぎとめるために自殺者も復活するかも知れない設定を創作。これは罪深い。そもそも、人間はだれ一人復活なんかしないっつーの。

墓がない日本のエホバの証人は復活しない

自殺者の復活教義は、何もかもを冒涜するもの

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ラッキーナンバー666、元エホバの証人の数字の話

エホバの証人の陥る迷信

エホバの証人の親のような者の思考状態

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十一章 説得」より。

エホバの証人の少年が、信条による輸血拒否で亡くなった川崎事件。その事件が起きたのが昭和60年6月6日。この6が続く日について、エホバの証人が

あの日は不完全数の六が三つも続いたからな

と。だからこの事故が起こったとでも言うのだろうか。迷信に左右されるマインドコントロール信者の発言。そんなしょうもないことに心をとらわれているから、エホバの証人になって人生を棒に振ってしまう。

6というのは神の数字ラッキーセブンの7に対して、悪魔の数字。というエホバの証人設定。

6が3つ続く日付だからという理由でエホバの証人の少年が命を落としたというのだろうか。エホバの証人の少年が亡くなったのは、エホバの証人の教理のせいで輸血拒否したから。日付は関係ない。

そもそも、悪魔の数字の日にエホバの証人が死ぬなんて、悪魔のほうが神より力があるということ?

さらに、昭和60年和暦の6は、昭和天皇の即位に合わせた年。エホバの証人は人間を崇拝しないという設定なので、天皇に対する敬意は相当に薄い。その昭和天皇の年号の60年の6が効力満点の数字みたいに言っている時点で、まぬけすぎる矛盾。

エホバの証人の「体質」改善

666を避ける元エホバの証人

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エホバの証人 > 大なりわが子、エホバの証人の親のような者

エホバの証人の親のような者

エホバの証人の親のような者の思考状態

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十一章 説得」。本書のクライマックス。

昨日の記事で、マインドコントロールが進行すると、エホバの証人の親は「親のような者」に成り果てると書いた。その親の思考状態が下記のように本書で描かれている。

目の前で死にかけている子どもを見て、輸血をすれば助かるという場面。

輸血してもらおうか

と考える。しかし、

ふと、自分を迎えてくれたエホバの証人たちの温かさを想い出した。今輸血を認めれば、彼らからは離れなければならなくなる

この迷いも一因となり、頑なに輸血拒否を続け、子どもを絶命させた。

この父親が、本当にエホバの証人から離れるのがイヤで子どもの輸血を拒否したのか?本人の心の内までは分からない。とはいえ、エホバの証人の親のような者の心情をうまく説き明かしている。

輸血拒否の最大の要因は、将来の祝福を子ども本人や自分自身が失う、というエホバの証人の教理設定。さらに、組織から追い出されるのも怖い。前者はマインドコントロールゆえの思考なので、トホホンとしか言えないが、後者はなんとも自己中心的な思考。

やっと見つけた温かい居場所を失いたくないという稚拙な発想。子どもの命を救うために最善を尽くすべきタイミングで、この自己都合が混じるのがエホバの証人の親。まさに親であって親ではない親のような者。

組織からの排除は将来の祝福を失うことにも直結するのだが、それも自己のこと。ホントに親のような者だと言わざるを得ない。

エホバの証人 > 大なりわが子の、親のような者

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親であって親ではないエホバの証人(JW)、親のような者

親のような者

エホバの証人の輸血拒否事件、あと一歩で救われた命

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十一章 説得」

エホバの証人の信条による輸血拒否。その結果、少年が死に至る様子が描かれた本章。事故直後から亡くなるまで。

エホバの証人の両親が病院に駆け付けるのが遅れていたら、無事に輸血が開始されていた。少年の被っていた帽子に自宅の電話番号が書いていなければ、エホバの証人の両親に連絡が入ることはなかった。

何かひとつでもボタンを掛け違えていたら、少年は生き残っていた。生きていたとすると、亡くなった少年は私の5才ほど年上。21世紀の今ここに、家庭があり、子どもがいてという可能性があった。

その可能性を打ち砕いたエホバの証人という宗教は、決して許されるべきではない。

親であって親ではないエホバの証人

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家族を人質にとるエホバの証人、入信時と脱会時の罠

家族を人質にとるエホバの証人

エホバの証人が増殖した理由

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』、「第十章 道」。

20世紀の日本でエホバの証人が増殖した理由。我が家もそうだったのだが、専業主婦の母親が入信。その母親が子どもを道連れにする。そして、最後に父親が陥落というのがエホバの証人増殖パターン。

最後に父親が思い切ってジャンプしてエホバの証人堕ち。ものみの塔は通常の思考回路をすっ飛ばさせる用意をしていて、それにハマるとエホバの証人道という破滅の道へ自らジャンプしてしまう。

家族まるっと入信するようゴリゴリに勧めるエホバの証人、なのに・・・

家族の悪事を見逃すな

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エホバの証人に煽られる嫉妬心、実は羨ましくも何ともない神権家族

嫉妬に追われるエホバの証人女

エホバの証人に刺激される嫉妬心

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』、「第十章 道」より。

家族を持ちながらも感じる孤独、日本でエホバの証人が拡大した20世紀の専業主婦特有の孤独、もしくは単なる人類共通の孤独。そういった孤独を安易に埋めようとすると、エホバの証人に騙される。ここまでが昨日の記事の内容。

その後、刺激されるのが嫉妬という感情。

集会に行くと、前の方に必ず、一家揃って”神権家族”が座っている。そのなごやかな雰囲気と、希望に満ちた表情

たまらなく羨ましかった。いつか自分たちもああなりたい。あの幸せな絵の中の一人になりたい。

彼らは、幸福の象徴だった。

“神権家族”というのは、一家揃ってエホバの証人という家族のこと。エホバの証人の毒牙にかかった後、神権家族を羨むようになった。こうなったときには、嫉妬という醜い感情に心を鷲掴みにされた後。既に手遅れなのかも知れない。

嫉妬心が湧く前に、冷静に、ものごとを多面的に見られれば。

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エホバの証人道、孤独と嫉妬心を刺激され堕ちていく

孤独や嫉妬から堕ちるエホバの証人道

エホバの証人道に堕ちるのは、感情を刺激されるから

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』より。

通常の思考順序、手順を経由すれば、エホバの証人という奈落の底への一本道へ足を踏み入れることはない。しかし、ものみの塔には通常手続きをすっ飛ばしてエホバの証人という破滅の道を選択させる仕組みがある。

この辺は昨日の記事にて。

ターゲットの感情に訴え、理性を捨てさせる。恐怖、悲嘆、絶望、孤独を抱える人を甘い言葉でたらし込む。または、あえてそういう負の感情を持たせることで、エホバの証人という不条理な道へ跳ばせる。

エホバの証人に逃げなければならないほどの負の感情、その大半が家族にまつわるモノ。

家族を失った悲しみ、孤独、そこを突くのが復活というトンデモ教理だったり、エホバの証人コミュニティの疑似的な温もり。

さらに、家族をエホバの証人側の人質にとり、家族を失う恐怖心、家族の中での孤独感を覚えるように誘導する。

エホバの証人堕ち、最初は孤独と嫉妬から

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家族まるっと入信するようゴリゴリに勧めるエホバの証人、なのに・・・

エホバの証人は家族まるっと入信させる宗教なのに・・・

宗教に賭けて、ジャンプ

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十章 道」から。

宗教という道について。

ある宗教に関心をもつ。次々と教義を理解していく。矛盾はないか、しっくりこないところはないか。理論的にどんどん詰めていくと、ある究極的な一点で、人は先に進めなくなる。その先に進むためには、もはや跳ぶしかないのだ。宗教が”賭け”であると論じたのは、一体どこのだれだったろう

ここで跳ぶと大概の場合、賭けには負けるし、人生そのモノを棒に振ることになる。特にエホバの証人の場合は、この無謀な賭けに勝ちの目が出ることはない。

考えるのをやめた安直な選択の末路。宗教に賭けて跳ぶなんてのは、愚の骨頂。現実逃避に過ぎない。

考えに考え抜いて、立場の違う様々な人に意見を聞いて、そしてさらに自分の頭で考え抜いて、家族や利害関係者で納得し合えるまで徹底的に議論する。その上で自分で考え抜いて出した結論に賭ける。人生はこうあるべき。

ろくに思考もせずに、偶然を装い罠を仕掛けて待ち受けていたようなエホバの証人に全人生を賭けるなんて無茶をするから、破滅が待っている。

エホバの証人の輸血拒否は生命に対する冒涜、生きて償わせるエホバの証人の穢れ

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元エホバの証人2世(JW2世)の内的問題と外的問題

元エホバの証人の抱える問題

内なるエホバの証人問題

昨日の記事で、私はエホバの証人を20年間完全シャットアウトしていた、と書いた。完全シャットアウト時代を経て、なぜあえて反エホバの証人活動に舞い戻ったのか?

エホバの証人を完全シャットアウトし続けるのは、何かが違うと思ったから。

いったい何が違うのか?

それは自分のエホバの証人問題が根本的に解決していないということ。

内なる問題はほぼ解決。というか、元々そんなに問題は抱えていなかった。理由は、私の両親がいわゆる条件付きの愛の持ち主ではなかったから。両親はガチガチのエホバの証人だったが、私がエホバの証人をやめても親子の愛は残った。

エホバの証人はエホバの証人だけを愛するようマインドコントロールされている。エホバの証人であればという条件付きの愛。

私としては14才でエホバの証人をやめたら親子の縁切り、中卒で路頭に迷い野垂れ死にするつもりだった。エホバの証人であり続ける恐怖、屈辱に比べれば、まさに地上の楽園。

ところが、親は私を手放さず、高等教育を受けさせてくれるというモノだから、それに甘えることにした。そして、時を置いて両親もエホバの証人を離脱。

両親には酷い目に合わされたとは思うけれど、今の私の自己肯定感の高さは親に捨てられなかった、最後の最後で両親が無条件の愛を示したということに依っている。

子どもは、生死に関わるのでこの辺りの感覚は敏感。幼い私も親の愛が無条件であると無意識化では認識していたのかも知れない。それも現在の私の自己肯定感の糧となっている。しかし、その無意識化の皮算用が裏切られたとき、子どもたちが負う傷は大きい。

今でもエホバの証人だった頃の苦行を夢に見ることもあるけれど、これが生きにくさの原因になっていることはない。今のところは。

最近、エホバの証人だった過去を積極的に掘り起こしているが、それも悪影響ではなく、あのとき子どもだった自分がして欲しかったこと、できなかったこと、考えていたことなどが整理されていく、どちらかと言えば好循環。

エホバの証人と私、外なる問題

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脱・元エホバの証人・脱会予備群に対するタカ派意見

元エホバの証人に対するタカ派意見

脱エホバの証人に対するタカ派意見

エホバの証人関連のSNSなどで、「いつまでもエホバの証人を引きずってんじゃねぇ、やめたいならとっととやめやがれ」的なタカ派意見を目にすることがある。自分もかつてほとんど同じ考えだった。私がエホバの証人をやめてから20年間くらい。

私はエホバの証人をやめたあとは全力で遊び、仕事に打ち込んだ。エホバの証人的なモノは生活のすべてから完全シャットアウト。飛び込んでくる自宅への伝道者も、ドアを開けた瞬間に彼らと分かればドアを閉じた。

そうして過ごした20年。タカ派と少し違うのは、エホバの証人と口にすらしなかった点。つまり、「いつまでもエホバの証人を引きずってんじゃねぇ、やめたいならとっととやめやがれ」と思っていたけど、一切口にはしなかった。

完全なる一般人として過ごしていたので、「エホバの証人」と言ったところで誰にも通じなかっただろうし、周囲にエホバの証人関係者が皆無だった。そうなるように自身の周辺環境をデザインした。

エホバの証人という禁断のワードを持ち出したのは、エホバの証人の「残りの者」の人数をネットで調べようと検索したとき。ちなみに、このときにものみの塔による私の洗脳が解除された。

もう一度は現在の妻と付き合うとき。マジメに付き合うなら、さすがに自分の出自を明かすべきかと考え、エホバの証人2世という過去をカミングアウトした。

エホバの証人を完全シャットアウトした20年。その間、エホバの証人と発声したりキーボードに打ち込んだのは、たったのこの2回。今だと「え」の予測変換で「エホバの証人」と出てくるので、1日に100回近く打ち込んでいる気もする。現役時代にもない熱心さ。

エホバによって引き裂かれた自我、その再統合のための反エホバ

元エホバの証人2世の宗教観、妄信と暴走の果ての信念

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