エホバの証人の献身、ものみの塔に対する人身売買契約

エホバの証人のヤバいバプテスマ

エホバの証人の献身・バプテスマのヤバさ

元エホバの証人の骨太論考集『エビのしっぽ』から。

エホバの証人の入信「献身・バプテスマ」の戒律について。本書では、エホバの証人の機関紙「ものみの塔」誌から、以下のように引用している。引用の引用。

ものみの塔2017年4月「誓約することは果たせ」

  • クリスチャンが行う最も重要な誓いは、エホバに命をささげるという約束

  • 神への祈りの中で、これからどんなことがあっても、あなたに永遠に仕えるために自分の命を用います、という厳粛な約束をする

  • イエスが述べたとおり、これは「自分を捨て」ること、つまり自分の権利を全く放棄すること

  • 自分の権利を全く放棄すること

  • 生活の中で神のご意志を第一にすることを誓うのです

  • その日から、その人は「エホバのもの」

これヤバくないすか?ほとんど人身売買。絶対お断りなんすけど。

こうして引用の引用で読んでいるから、この文章のヤバさ、ものみの塔の異常さが分かる。

不思議なことに、「ものみの塔」誌面上で読んでいたり、信者に交じってエホバの証人流の「研究・討議」方式で読んでいると、自分を殺して、神に全てを捧げることが正しいことに思えてくる。むしろ、そうすべきと感じちゃう。

だから、大量の入信済のエホバの証人が存在するのだろう。

この要因は、ものみの塔の言うことは絶対正しいという思考停止状態であったり、組織内の同調圧力であったり。

しかも、すべてを捧げる神は存在もしない架空神エホバ。

エホバの証人の聖書研究、体系だったマインドコントロール手法

ものみの塔協会よ、誓約したことは果たせ

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エホバの証人の「自己目的化」、王国会館に集うことが目的

エホバの証人の自己目的化

エホバの証人の目的とは?

昨日の記事で、エホバの証人組織(ものみの塔)の「自己目的化」について書いた。自己目的化とは、当初は目的を達するための手段だったモノ、それが時を経て、その手段自体が目的化すること。

実は、エホバの証人組織だけでなく、信者のエホバの証人も自己目的化している。

では、エホバの証人の目的は何か?

それは「永遠の命」。このご利益欲しさに全世界のエホバの証人は暴走人生を送っている。

この「永遠の命」、設定にだいぶ無理がある。ちょっと考えたら、選ばれた人間だけが「永遠の命」をゲットして地球で永遠を謳歌するなんて、空想夢想も良いところ。中学生でも違和感を覚える。

それなのに、大の大人が、しかも思慮深く賢く人生の知恵・経験が豊富なはずの年配の信者がエホバの証人に多いというのは、カルトの不思議。人間の陥る思考の無限回廊、迷路、落とし穴。

聖書には「人間が地上の楽園で永遠に生きる」なんて書いていない。「永遠の命」が欲しけりゃ、新薬の研究でもした方がいい。

エホバの証人の「自己目的化」

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エホバの証人組織の「自己目的化」、妄想・欲望からに始まり延命へ

ものみの塔の自己目的化

エホバの証人、結成の目的とは

エホバの証人の骨太論考集『エビのしっぽ』から。

全体社会主義とエホバの証人(ものみの塔)。著者は、双方の組織間の類似点を以下のように述べている。

「組織の目的の自己目的化」

自己目的化というのは、目的のための手段だったのに、手段そのものが目的化すること。

ものみの塔の目的、それは神の宇宙主権を証しするとか何とか。それでエホバの証人を名乗っている(のだろう)。

これは建前で、本音は別。ご利益が無いと宗教なんてやってらんないっしょ。もしくは心の安寧か。心に清浄さと安らぎが欲しい。これも欲している時点で広義にご利益を求めていると言えないこともない。

ではエホバの証人組織が得られるご利益とはなにか?

エホバの証人創始者のラッセル君は、聖書とかピラミッドを調べていて、

「とんでもないこと思い付いちゃった」

  1. これで救われる
  2. これで人をたくさん集められる

とエホバの証人を結成。

Aは思い込みの激しい痛いパターンで、Bだと人を集めて自己顕示欲を満たしたかったのか、金儲けしたかったのか。

エホバの証人の発足目的が妄想だろうが欲望だろうが、どちらでも大差ない。100年後のオレに心底迷惑がられている。インチキ牧師の「思い付き」は、後世に大きな災いをもたらした

もっと崩せ、エホバの証人の信仰の土台-part2~神に組織は不要、ラッセル君の「思い付き」

ものみの塔の本来の目的とは

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排斥処分から見るものみの塔、構造的に悔い改め不可能

構造的に悔い改め不可能、エホバの証人

家族を愛することを許さないものみの塔

エホバの証人には「排斥」という教理がある。排斥とはものみの塔からの破門宣告。喫煙、淫行、輸血、背教など、エホバの証人的重罪を犯すと、組織により宗教裁判にかけられ、有罪になると排斥になる。

この宗教裁判は審理委員会と呼ばれ、結論ありき、上位下達の一方的な判決を下す場。

排斥者は家族内でも村八分、食事など最低限の接触以外は許されない。教団内の一般信者からは無視される。本人が組織への復帰を望んでも、一般信者が声をかけることは許されない。

エホバの証人に戻りたい場合は、村八分状態に耐え、一定期間の反省の姿勢を示す必要がある。その後、ようやく教団側の判断で排斥処分が解かれるケースもある。

私は、生まれながらのエホバの証人で14才のときに自分の意思で脱会。その後、エホバの証人の戒律を全無視していたが排斥にはならなかった。そのため、両親の態度は変わらず。

万が一、私が排斥になったとしたら?両親は教団の掟を守り、私を家族内で無視しただろう。こうなると、両親の愛情がどちらに転んだか。一人息子か、ものみの塔か。今となると定かではない。

ものみの塔は、排斥された家族と必要以上に接するなと言っている。家族を幸せにすらできない宗教がエホバの証人。ものみの塔至上主義の組織崇拝集団。

一緒にものみの塔を崩壊させてくれるエホバの証人大募集!/エホバの証人の会衆・支部ごと排斥大作戦

『解毒』~日本初の排斥エホバの証人の本、排斥とは

「悔い改め」られないものみの塔

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ハルマゲドンで大ケガした家族を助けるのは、「ふさわしい」ことですか?

エホバ脳を解き放て!

「ものみの塔=絶対悪」論者のエホバの証人的思考回路

『エビのしっぽ』より。著者は常々、エホバの証人、元エホバの証人はものごとを相対化できない。相対化して見られない、と警鐘を鳴らしている。

「ものみの塔=絶対悪」論を唱えている私なんかはその典型。

結論を絶えず不安定にするという方法もあります。つまり、その結論は暫定的なもので絶対的なものでない、新たな情報が入れば、あるいは見方の転換を図れば、すぐに修正可能な状態にしておく

確かに、私はこういった考え方をしない。「ものみの塔=絶対悪」論以外でもそう。何でも白黒はっきりさせたい。初対面で人と会って、

「こいつは敵か味方か?」と。ここまで大げさでなくても、

「仲良くなれるか否か?」「友達になれるか否か?」

今でも、第一印象で判断しがち。二十代の頃は本当に「敵か味方か?」で判断していた。

仕事でも同じ、「やるかやらないか?」「どうやるか?」結論を急いじゃう。

これがエホバの証人だったことと関係あるのか?

今までそんなに気にしていなかったけど、どうやら大アリなようで。

「ものみの塔=絶対悪」論者(また決めつけてるが・・・)としては、ものみの塔的思考が自分の中に寸分でも残っているのはイヤ。気持ち悪いというか、気に喰わない。

”ふさわしい”、”ふさわしくない”の二択で決めつけるエホバの証人

エホバという傷を癒すためにものみの塔思考をやめる

ハルマゲドンは全員即死?

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エホバの証人を「断絶」する。エホバの証人の「救出」は可能か?

エホバの証人を断絶する

エホバの証人を「断絶」する

『エビのしっぽ』から。

エホバの証人のやめ方。自分から脱会するケース。通称「断絶」。

「断絶届」なり「脱会届」なりを、教団に提出。もしくは口頭で宣言しても良い。「やめる」と、教団側に伝える。特に正式な書類も手続きも必要ない。ただ、後でややこしいことにならないように、証拠は残しておきたい。

この本の著者は、「断絶」という呼称の使用に異議をとなえている。エホバの証人の

組織を抜けるって宣言すると関係を一切遮断するってのは、

・・・(中略)

エホバの証人が一方的にやってること

なので、「断絶」という言葉を使うのはおかしいと。

私は、エホバの証人をやめるなら、エホバの証人との関係は、全員切ればいいと思っている。なので「断絶」でも問題ないとは思う。しかし、今から縁を切ろうっていう組織の用語に忠実なのも癪なので、自分の好きな言葉を使えばいい。

結果的に、エホバの証人側から「断絶」とみなされれば、信者側から勝手に忌避してくれるので、目的は達成。スパッと全エホバの証人との関係を切ることができる。

それ以前にエホバの証人以外の「味方」を作る。知り合いだったり、同僚、友人、恋人、多ければ多いほど良いし、中には親身に相談できる人も欲しい。

エホバの証人をやめたのに、エホバの証人と接するのは精神衛生上非常に悪い。現役エホバの証人は、意識的にも無意識的にでも、悪意なく善意のつもりで信仰というエホバの証人的思考を押し付けてくる。これは脱会者にとって厄介で、迷惑、有害。不愉快。

脱会手続きの際に、「金輪際、エホバの証人は私に近寄るな」と釘をさして、エホバの証人を「断絶」しておくのが良いだろう。

現役エホバの証人、恐怖に震えろ~人生すべて無駄遣い

エホバの証人ガチ勢に脱会意志を持たせるための外部要因、内部要因

現役エホバの証人の救出

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人生を心底楽しめない元エホバの証人2世、脱却と癒し

心から何かを楽しむスキル

「心底楽しめない」エホバの証人の人生

私は、生まれながらのエホバの証人という宗教の2世信者だった。エホバの証人というのは、自称キリスト教系の新興宗教。2世信者というのは、親によって宗教を強制された子どものこと。

エホバの証人の子どもは親によって四六時中、宗教活動に引きずり回される。そのため、心から楽しんで遊ぶことができない。大はしゃぎすることができない。

遊んだ後には、エホバの証人の集会や布教活動が待っている。暗くなって、疲れ果てるまで遊ぶことはできない。

恐ろしいことに、この「心底楽しめない」傾向は、20年以上も私の中に宿っていた。40才手前になっても、14才でやめたエホバの証人2世の頃の記憶が無意識下に刻み込まれている。

ハメを外して大宴会という雰囲気になると、なぜか罪悪感を覚えていた。その後、完全に酔っぱらってしまえば罪悪感も吹き飛ぶのだが、それは自分の感覚を酒で流し去っているだけ。

20代の頃でもそうだった。パチンコで有り得ない大当たりの連チャンが来て、

自身の楽しさが最高潮に達すると、何かいけないことをしている気がしてくる自分はこんなに楽しんではいけない、こんなに恵まれてはいけない。

そんな気持ちになる。なぜか?元エホバの証人2世だから。

本当にエホバの証人ってろくなもんじゃないと思う。何かを心から楽しむ一瞬こそが人生の醍醐味のひとつなのに、それができなくなってしまった。

元エホバの証人2世、節分の屈辱の記憶

エホバの証人2世のクリスマスの辛い思い出

元エホバの証人、30年目の癒しの要因

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神社に、何回も行こう。エホバの証人の禁止事項からの脱却

神社に、何回も行こう

有害なエホバの証人の戒律

エホバの証人には禁止事項が多く、特に子どもはその影響を激しく受ける。私みたいに、生まれながらのエホバの証人の2世信者だと、さらに顕著。悲惨。

2世というのは、宗教2世信者のこと。保護者の宗教を強要された子ども。

エホバの証人の禁止事項としては、心霊的なもの、神社・寺など異教のモノへの参拝。厳禁なのは輸血、などなど。無数にある。この厳しい戒律がエホバの証人を社会から隔絶し、2世信者の子どもは学校での日常生活に支障をきたす。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

これらの戒律は全て無根拠なので、守る必要なし。禁止される筋合いがない。その理由は、こういった教理を作っている存在そのモノが無根拠だから。

エホバの証人組織「ものみの塔」のトップである統治体、これらが無根拠、つまり偽者。偽者の作った戒律に従う必要なんてない。従っても何ら利益は得られない。利益どころか、日常生活に支障をきたし、輸血拒否で命を落としたりするので、害でしかない。

エホバの証人の統治体が偽物である根拠はエホバの証人の統治体の聖書的無根拠

エホバの証人が脱会後も戒律に縛られる理由

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エホバの証人脱会、共に戦おう。共感は戦いの糧に、情報の共有には大きな価値がある

エホバの証人脱会の全面戦争、味方を増やす

エホバの証人脱会、単独戦闘は大きな迂回に

昨日の記事で、エホバの証人脱会の戦いに挑む私に味方はいなかったと書いた。

たった一人、何とかエホバの証人からの脱会に至るのだが、脱会後も私は単独行動を続けた。当時、自分の周囲は敵だらけだと思って生きていた。このせいで、大きく大きく私の人生は迂回した。

元エホバの証人のホームページとかメーリングリストがあるのは知っていたけれど、「元エホバの証人なんてロクな奴いないだろ」と決めつけていた。自分みたいに排他的で暴力的な化け物の集団だと思っていた。

現役信者に至っては同じ。気持ち悪くすらあり毛嫌いしていた。恐怖を感じていたというほうが正しいかも知れない。

元エホバの証人の客観的情報、エホバの証人外から見たエホバの証人という視点を避け続けた結果、私の洗脳解除は大幅に遅れた。

エホバの証人脱会という局地的戦闘には戦術的勝利。しかし、洗脳からの覚醒という大局視点での戦争は泥沼化していた。そのあいだに時間、金、信用、清廉さ、職業経験などに多大な損失を招いた。戦略的に大きく回り道をしたと言える。

今は30年前の私とは違い、スマフォをポチれば一瞬でエホバの証人外から見たエホバの証人の新鮮情報が手に入る。脱会戦闘の経験者の生の声が聞ける。共感は戦いの糧に、情報の共有には大きな戦略的価値がある。

ものみの塔協会の情報統制から自由になろう!

エホバの証人2世のマインドコントロールが解ける瞬間

エホバの証人脱会、共に戦おう

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エホバの証人脱会という全面戦争、開戦前に味方を増やす

カルトからの脱会は全面戦争、一人でも多くの仲間を増やす

エホバの証人と脱会交戦中のかた、味方になります!!

『エビのしっぽ』より。

『エビのしっぽ』著者は、エホバの証人からの脱会を「戦争」であると評している。エホバの証人に占領された自身の身体・心・時間・財産・未来。それらを取り戻す戦い。必要なのは、まず「味方」と説いている。

もし、これからエホバの証人をやめる方、あるいは、やめさせられそうな方は、まず味方を数え、かき集め、いなければ作ってください。この味方は、可能性のある人すべて、最大でいきましょう。とりあえずは、後で修正かければいいんです。今は戦争中です。自分の領土を死守するための

エホバの証人をやめたい方々、味方になりますよ!何でも相談してください。脱会戦争が終われば、いつでも仕分けて忘れて貰って構いません。戦時下の臨時同盟。

中学生、エホバの証人脱会の単独戦闘

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