ものみの塔の改革に対する安易な期待
『良心の危機』第4章「内部動乱、そして改革」より。
1976年のものみの塔組織の改革を目にした筆者はこう期待していた。ものみの塔が
権力格差がなくなって全体がいわば平らになり、独断的な見方を減らして穏健な方向に進み、もっとお互いの立場を思いやるような空気ができ、さらにはいつの日か、やたらに規則を作って人の生活を束縛して支配する権威主義的なやり方がなくなってくれれば良い
という淡い安易な期待。
ものみの塔がいい方向に行くはずがない。もとがインチキで偽者なのだから。真理などではないから。
「自身が真理、自身が唯一の」って言う奴は間違いなく偽者。自身の主張に対する唯一の真理は「自分は何か間違っているかも知れないし、同じようなことしている奴は他にもいるかも知れない」と認識すること。それが唯一の真理。
1975年、前年の預言ハズシの反省は皆無、一時自粛したのは組織の保身のため。ちと懲りただけ。人生を大きく損なった信者たちに対し悪びれるところが一切ない。ゆえにまた元の醜い状態に戻る。1975年の失敗の後の統治体は
ヨベルの千年期が来るとしてかなり喧伝された1975年が何事もなく過ぎてしまったことで自粛ムードが漂い、独断的な側面が目に見えて減った。決議の際も、さらに規律を押し付けたり、特定の行為を「排斥に当たる行為」と見なすことなどについてかなり注意するようになった
これも反省でなく、批判回避のため。
根っこが腐っているものみの塔は改革してもムダ
ものみの塔の内部にいる人々に自浄作用があろうと、元が汚らわしい組織である以上、常態である独善的・権威主義に戻っていく。清涼なものや好ましいものが表面的に表れようと、土台が猛毒なのだからすぐに腐っていく。
何回か書いているが、ものみの塔を改革して非カルト化して生き残らせたいとするのなら
- 復活なし
- 楽園なし
- 永遠の命なし
の3なし実現。逆に今まで3ありで信者を欺いたことを謝罪。さらに統治体が油そそがれたというのも勘違いで、そんなことあり得ません宣言。ついでに体罰奨励とその隠蔽の釈明、輸血拒否の撤廃と輸血拒否による落命者の補償。
それくらいして、許されるかどうか。それなら新しい教団作った方が早いよね。
まるでものみの塔は魔的なものに導かれているかのように、信者が不幸になる方向に転がっていく。ものみの塔は、根っこが腐っているんだから、斬り倒すしかないんだよ。
“ものみの塔が許されるには3なし実現、さらに釈明と補償を連発” への1件の返信