エホバの証人のマインドコントロールを強めるモノとは・・・

エホバの証人のマインドコントロール

エホバの証人的ガードを下げる

昨日の記事の続き。エホバの証人宣教者のyoutubeの話。エホバの証人禁令下の中国へ宣教に行ったら、逆にエホバの証人のマインドコントロールが解除されたという話。

言語を学ぶというのは、単語や文法の習得だけでなく、その言語を使う人たちの思考を知るということも必要になる。これはマインドコントロール下のエホバの証人が絶対にしないこと。

エホバの証人は、信者である自分たちが正しいと信じて疑わないので、非信者の考え方、思考方法は頭から否定するだけ。

ところが、この宣教者の場合は、中国語を習得する必要があり、そのために非信者中国人に対するエホバの証人的ガードを下げざるを得なかった。そこに、エホバの証人禁止の外国滞在中という極限下が相まってマインドコントロール解除に至った。

これに似た環境を疑似的に生成できれば、エホバの証人のマインドコントロールからの解放が近づくのではないか?という仮説を提示した。ここまでが昨日までの内容。

エホバの証人のマインドコントロールを強めるのは・・・

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エホバの証人のマインドコントロール解除要件、「世の人」ガードを下げさせる

エホバの証人の世の人ガードを下げさせる

エホバの証人海外宣教者のマインドコントロール解除

過日、日本人のエホバの証人海外宣教者は、日本の恥さらしという記事を書いた。タイトルが扇情的だったので、投稿を逡巡した記事。読者さんからこの記事に絡めてyoutubeの情報提供を頂いた。

中国へ宣教に行ったエホバの証3世が、中国人と交流する過程でマインドコントロールが解除。脱会に至るというモノ。

読者さん曰く、海外に宣教に行ったばかりにマインドコントロールが解除されたという「素晴らしい奇跡」が、日本人のエホバの証人宣教者にも起こって欲しいとのこと。ごもっとも。彼女の奇跡の原因は何だったのだろうか?

エホバの証人の「世の人」ガードとは

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子どもが子どもでいることをやめさせるカルト、エホバの証人

子どもを子どもでいなくする宗教

エホバの証人というカルトから子どもを守るのは大人

『同志少女よ、敵を撃て』より。AmazonのAudibleで聴き終わる直前。

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子どもでいられなくなった子どもたちの無念

市街戦の最中、銃弾の隙を見つけては遊ぶ子どもたち。その子どもたちが遊ぶのをやめたとき。子どもが子どもでいることをやめるとき。子どもが子どもでいられなくなるとき。

作中では、子どもの子ども状態からの早期リタイアを「戦争」が強要している。本ブログのテーマであるエホバの証人2世の場合は「宗教」。

宗教とか戦争とか重たい普遍的なテーマになってきたが、結局、子どもが心身共に健康的な子どものままでいられるかは「大人」が握っている。

「戦争」を始めるのは「大人」だし、子どもの心を銃弾で射貫くのは「大人」。カルト「宗教」に加入するのも「大人」だし、カルトの狂気で子どもを傷つけるのも「大人」。

もうアラフォーの私は「大人」でなければならないし、「大人」であるというのは「子ども」たちが「子ども」のままでいられるようにする社会的責任がある。そこまで視野を広げずとも、自分の子どもたちを守るという義務がある。

子どもを深く傷つけるカルト宗教「エホバの証人」を野放しにしないため、このブログはときには過激とも思える表現でエホバの証人を糾弾している。

『同志少女よ、敵を撃て』~本当のことを言えば殺される

『同志少女よ、敵を撃て』~共感と帰属意識による癒し

子どもを傷つけるエホバの証人

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エホバの証人が刈り取る不幸な未来、自ら蒔いたモノの結果

蒔いたモノを刈り取るエホバの証人

すべての人間は自ら蒔いたモノを刈り取る

「人は、誰でも蒔いたものを刈り取ることになる」と聖書にはある。キリスト教を自称する、エホバの証人の聖書にも当然同じようなことが書いてある。

・エホバの証人的解釈その1

マイナスの行いにはマイナスの報いが返ってくる。

「今だけの快楽にふけらず、将来に備えよ」「悪事を行なえば、そのまま自分に返ってくる」「他人への接し方に不義があれば、自分も同様に扱われる」「性に奔放だと、後悔する」

詳しくはないが一般的な解釈と同じだろう。

・エホバの証人的解釈その2

プラスの行いにはプラスの報いが返ってくる。

「善には善が返ってくる」「神に信仰を抱けば、神の愛が得られる」

こちらも同様、詳しくはないが一般的な解釈と同じだろう。

エホバの証人をやらされて良かった、ただ一つのこと 

時代を超えて変わらない、エホバの証人の普遍の真理とは?

エホバの証人が刈り取るマイナスの未来

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日本人のエホバの証人海外宣教者は、日本の恥さらし

日本人のエホバの証人宣教者は恥さらし

理解しがたいエホバの証人の海外宣教者の心理

昨日の記事で日本のエホバの証人の増減について書いた。2021年は平均伝道者数1,417人の増加。1,000人以上の増加は、21世紀に入って以来の初めてのできごと。由々しき事態。

とはいえ、この増加はコロナ禍で海外の宣教者が帰国したからと言われている。国内のエホバの証人の純増を示すモノではなく、潜在人数が表面化しただけ。それならば事態はマシなのだが、違う視点で疑問を抱いた。

現代日本人の中に、海外へエホバの証人の布教をしに行っている人間がいるということ。海外へ宗教の布教に行くという、その価値観に非常に大きな疑問を抱く。私には一切の共感がない。

宣教者本人は、人生を投げ出してしまうほどなので、激しいマインドコントロール化にあるのは間違いない。つまり、ものみの塔だけが真理、その良い便りを世界にあまねく伝えなければならない、と思考が操られている。

または、海外宣教者は教団内では高めのステータスを得られる。その特権欲、自己顕示欲にまみれて、海外までカルト布教に行っている。これは本人だけでなく、周囲の家族の期待、プレッシャーによるところも大きい。

こういった、本人にとっての悪条件が揃うと、不毛なカルト活動のために海外まで行ってしまうのだろうか。私はエホバの証人をやめて30年弱。ものみの塔は完全なカルトで、害悪そのモノと理解しているので、全く理解できない感覚。

この宣教者は、海外で布教してしまう人物なのだから、語学ができて、行動力・好奇心・活力があって、という優秀な人材のはず。それをカルトの海外布教という、有害極まりないモノに使い捨ててしまうのだから、いかにものみの塔が災厄をもたらす存在かということが分かる。

日本という国にとっての損失。

MOTTAINAI、エホバの証人の宣教者

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21世紀、エホバの証人(JW)は決して減っていない

前年との差1993-2021

ものみの塔というキズの半治癒に30年

昨日の記事で、怒りからくる復讐心で、ものみの塔撲滅という活動を行っていると書いた。エホバの証人脱会後、この心境に至るまで30年弱。14才からアラフォーまで。

失った子ども時代の清算、過剰な自意識の削減、洗脳状態からの解放、社会的立場の回復、精神の安寧。これらを揃えるのに30年かかり、それでも怒りは収まらなかった。

自身の心身の保全のため、エホバの証人に関することのすべてを避け続けた30年間。駅前に立っているエホバの証人を見かけたり、車の中からエホバの証人の王国会館を見かけても目を逸らし続けた。

こうでもしないと、今の穏やかな日々は無かった。この間、ものみの塔に関するモノを見ると激しく心が反応していた。穏やかな日常に「ものみの塔」という闇が差すと心が動揺する。暴力的になったり何事にも乱雑な対応したり、日常を的確に過ごせなかった。

とはいえ、30年という時の経過はあらゆるモノを薄めた。わき上がるものみの塔への怒り以外は。

完治せずとも、ものみの塔という人生のキズは半治癒状態。ようやく戦闘準備完了。という所で、気付けばエホバの証人は減少中、放っておいてもいずれ組織崩壊するという意見を聞く。

これからという所でハシゴをはずされた感じで拍子抜けなのだが、エホバの証人とものみの塔が消滅するなら、それはそれで良い。

本当にものみの塔は消えるのか?今日はその点を考察。

エホバの証人の平均伝道者数の推移

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エホバの証人に対する復讐心は、カルト撲滅の原動力になるか

元エホバの証人2世の復讐心

元エホバの証人2世の復讐心という原動力

『同志少女よ、敵を撃て』より。AmazonのAudibleで聴いている途中。

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復讐すると決めたとき、生きる活力が戻ってきた

復讐の力は生きる希望を与えてくれる

復讐を遂げるという目標によって生きる理由が生じる

復讐心が戦争の原動力になっている。

私が、ものみの塔を壊滅させようと、不毛にも思える活動を続けているのは、復讐のためなのだろうか?とふと考えた。

ものみの塔が存在しようがしまいが、具体的に被害を受けている家族・知人は既にいない。ものみの塔が消滅したところで何かご利益があるわけでもない。

両親との家族を失ったこと。取り返すことのできない無邪気な子ども時代。その復讐。この感覚は多少ある。

しかし、それを原動力に生きる糧に変えるというほどのエネルギーではない。そんなモノがなくとも、脱会後の人生で生きていく糧を充分に築いてきた。

それより大きいのは怒りと苛立ち。嫌悪。

誰にも言えない人生の汚点を、よくもオレに残してくれたなと。覚えとけよ。必ず後悔させてやるという思い。これがものみの塔を消滅させたい一番の原動力。結局は復讐心。

『同志少女よ、敵を撃て』~共感と帰属意識による癒し

『同志少女よ、敵を撃て』~本当のことを言えば殺される

ものみの塔の崩壊だけを人生の目的にしない

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ものみの塔万馬券に対するエホバの証人の全幅の妄信

当たらないものみの塔万馬券

エホバの証人のハルマゲドン確率何%?ゼロだろ

昨日の記事の内容は以下。

予測はわりと当たるが、絶対当たると言いきっちゃう予言は絶対に当たらない。しかしながら、我々人間は予言のようなインチキ臭いものでも信じてしまいやすい体質。

それでも人間は、一旦信じたモノを修正する能力をも備えている。その能力を発動させるためには、多様な価値観を受け入れ、消化することが必要。

それができないのがエホバの証人。ものみの塔の当たらない万馬券預言に全幅の妄信を抱いているから。

ありそうなエホバの証人の反論は、ものみの塔の予言解釈は都度訂正され、予測精度を増している。決して当たらない「予言」ではない。

それならば、ものみの塔の予言は、予言と呼称しているものの予測に近いということになる。ならば、ハズれることもある。ハルマゲドン確率何%?天気予報の降水確率と同じ。雨降るって言ってるし、傘持っていこう。そのレベル。

ハルマゲドンが来ないほうに傾いたら?(当然、ハルマゲドンなど来ない)

エホバの証人の予言がハズれた場合の被害は、「天気予報を信じてずぶ濡れになっちゃいました」の比じゃない。ものみの塔に全財産、全時間を賭けてしまうというのは取り返しがつかない。人生を完全に失ってしまう。人生すべて無駄遣い。

ものみの塔によるエホバの証人の情報ブロック

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絶対当たらないのが予言、ときどき当たるのが予測~予言するものみの塔はニセモノ

偽予言者、ものみの塔

絶対当たらないのが予言、結構当たるのが予測

元エホバの証人2世の論考集『エビのしっぽ』。Kindle Unlimitedなら無料。

我々は確かに預言などを信じやすいんですけど、修正能力も持っている

この我々というのは人類全般。程度の差こそあれ、人間は太古から予言などを信じやすいようにプログラミングされている。なぜなら、先を予測しないと危険を回避できないから。

天気予報がなければ、傘が無くてずぶ濡れになる。草やぶのような暗がりには危険な生物が潜んでいるのを想像して、原始時代から人間は闇を恐れてきた。年長者の伝承や助言に従うのも、先人の知恵に学び、行く末を案じて生き延びるため。

そんな未来予測全般を無視して、行き当たりばったり好き放題に生きていれば、人類は早晩全滅していただろう。

しかし、たった一度の成功体験から原因と結果の因果関係を決めつけて、当たりもしない験を担いだり、それを他人に押しつけたりというのも人間の性。

そして、この予測という人間の習性に付け込んで悪さをするのが数多の偽予言者。予測の謙虚さや不確実性を排除し、絶対当たりますと言い切るのが予言。

絶対当たるなんてことはあり得ない。先のことは誰にも分からないし、不確実な要素が多すぎる。

ズバリ言うと、不確実性を全部排除して当たると言い切る以上、当たらないのが予言。当たるはずがない。当たるか当たらないかは分からない前提を認めた上で、当たる可能性が高いのが予測。

ハズれた結果を鑑みて修正、さらに当たりやすくなっていくのが予測。初めっから絶対当たるの一点張りで、結果を一切顧みない、ハズれたときにはすべてを失い、時すでに遅しというのが予言。

つまり、絶対当たらないのが予言、結構当たるのが予測。

「予言ハズシても信者減らねぇっす」という麻薬中毒のものみの塔

エホバの証人の全幅の妄信

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確信が正され続けてきたエホバの証人、ものみの塔万馬券を妄信

当たらないエホバの証人万馬券

無根拠で突き進み、人生を失うエホバの証人

元エホバの証人2世の骨太論考集『エビのしっぽ』より。Kindle Unlimited会員なら無料で読めた。(2022/5現在)

エホバの証人は、ものみの塔の宗教本に

書いてあるからと確信するに足る根拠を得るための手順を省略する

これはエホバの証人に限った話でなく、人間全般にあてはまる。著者もそれには好ましい面もあると述べている。生活手順の合理化、人間関係の円滑化を図れる。

例えば、子どもが親に言われること。「手を洗え」「食器を片付けろ」その根拠をいちいち考えていたら、日が暮れてしまう。

地域のルール、交通ルール、家族のルールなども同じ。初めて渡る交差点を見るたびに「ここは何で二段階右折しないといけないのだろう、制限速度40kmの根拠は?」とやっていたら、どこにもいけない。

親戚の家に泊まって、「車はここに停めて、コートはここにかけて」と言われる都度、その理由を問いただしていれば、二度と家に呼ばれなくなる。

一旦は根拠を考えず、無根拠でも従った方が良いケースが多々。些細なこと、その場限りのこと、そんなどうでもいいことは年長者、権威者、その道の達人の言いなりになっておけばいい。顔を立てておく。

しかし、問題はその指示が自分にとって影響が大きな場合。その場合は根拠を精査する必要がある。多額の出費がある、長時間を要する、仕事の調整が必要、家族を巻き込むなど、人生に大きく関わる課題の場合。

他には些細なことだけど、毎日することも要注意。習慣になってしまうと疑いもしないが、実は不合理だった非効率だったり。その動作そのものが不要だったり。

ものみの塔発行の「日々の聖句」を毎日読むなんてのは、積もり積もって膨大な時間を無駄にするだけでなく、習慣になるとその行為に疑いがなくなる。さらには中身に対しても。聖句にまつわるものみの塔の独自解釈を毎日読むことで、念入りに思考がものみの塔化される。

現役エホバの証人、恐怖に震えろ~人生すべて無駄遣い

確信していたはずの内容が、適時正されるものみの塔の宗教本

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