エホバの証人の低レベルな比喩、こじつけ
『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』より。
聖書の「血をタベルナ」を輸血拒否にまで超拡大解釈して、生命を冒涜するエホバの証人の不思議。その謎に下記のような回答がされている。聖書内に「血を避けろ」と書かれているのをものみの塔が引いている。
<もし医師がアルコールを避けなさいと言ったとすると、それはただ口から飲んではいけないという意味であって、血管に直接注入するのは差し支えない、ということでしょうか。もちろん、そうではありません!ですから、『血を避ける』ということも、血を体内に少しも取り入れてはならないという意味です。>
完全な詭弁。筆者はこれを、「実に明快な比喩」、「なるほどねぇ」と評しているが、これはどうかしている。
しょうもない戯言でもしっかり潰しておかないと。
「アルコールを避けなさい」って言われても消毒にはアルコール使うでしょ。これは用法の問題であって、完全拒否、回避するか否かの問題ではない。
『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め
輸血拒否が子供の意思であろうとなかろうと、ものみの塔の罪は重い
血を避けろってのなら、自身の身体の血液は避けなくて良いの?
エホバの証人は不道徳を避ける。考えを及ぼすことも避ける。徹底的に避ける。私みたいにグラビアを見てニヤニヤしたりしない。完全に不道徳を、自身の精神からも避けるよね(少なくとも避けたいとは思っている)。
だったら、「血を避けなさい」も同じ、自分の身体になみなみと流れる血液も避けるべきなのでは?
アルコールの例えはこのレベル。例として不適切。逆に例えると、
「医師にアルコールを避けろと言われても、アルコール消毒や手術の前に自身の身体に触れる器具がアルコール消毒されることは避けませんよね。同様に、血を避けろと聖書に書いてあっても、適切な医療行為に用いられることや、既に体内にある自分自身の血を避ける必要はないのです」
あと、医者にアルコールを避けろと言われなくても、血管にアルコール入れる奴いないよね。元からあり得ないアルコール血管注入という暴挙を、輸血という医療行為の比喩には使えない。
エホバの証人は避けろ、と言われていない液体なら何でも血管に入れるの?オレンジジュースとか入れちゃう?まさか、エホバの証人の血液は無添加の赤ワインでできてるんですか?キリストと一緒?たしかに、それならアルコールだけど。