エホバの証人の道徳観、うっかり鯨はOK
『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の続き。本事件の被害者の命日が6月6日。無念の日。生き残った者の責務として、ものみの塔の糾弾を続ける。
筆者がエホバの証人組織に潜入調査中、輸血拒否の戒律について感じた疑念。
故意でなく、過失で輸血されたエホバの証人はどうなるのか?
作中で物理的に完全・完璧な血抜きは不可能、それでもエホバの証人は肉を食べるのかという質問が提示される。それに対し、血の禁令は物理的なものでなく、道徳的なものなのでOKよっ!という立場ある長老という信者の見解。
これに作者が違和感を覚える。
宗教上の理由で一切肉を食べない人もいるのに、エホバの証人は鯨以外には制限なし(さすがにスッポンの生き血とかは飲まないだろうが)。鯨は大きすぎて、血抜きが完全に不可能だからという意味不明理論。
エホバの証人の子供がうっかり、給食で鯨カツとかを食べてしまっても、過失であれば自宅でサクッとお祈りで詫びておしまい。それで許される程度の道徳観念。
であるのに、輸血に関しては「何が何でも絶対NG!」文字通り命がけで拒否する。そして死んでいく。
うっかり鯨肉は許されるのに、輸血には命かけちゃうという道徳観。命の価値を見積もれないマインドコントロール集団。カルトですから。
輸血拒否が子供の意思であろうとなかろうと、ものみの塔の罪は重い
輸血拒否という些細な問題で大騒ぎのエホバの証人
筆者の感じた疑問。エホバの証人がうっかり輸血しちゃったらどうなるの?
エホバの証人の回答は
証人たちの信仰に表面的な傷を与えるだけで、根本的な打撃を与えるわけではないのである。信仰は破綻をきたさない。彼らの神の目から見て、彼らは許される
うっかり輸血はOK。過失で知らない間に輸血されたとか、無理やり輸血されたとかは、許される。
エホバの証人にとって、輸血そのものは些細なことで、大したことではないということ。うっかり鯨肉食べちゃったと同じ。
こんな些細なことに命かけて大騒ぎして、そして死んで。大量の医療関係者に迷惑をかけて、非信者には強烈な悲しみと拭えない虚無感をもたらす。うっかり鯨肉の延長で絶命しちゃうんだぜ。考えられないお馬鹿さん加減。
うっかり輸血やうっかり鯨が神に許されると勝手に決めつけているのは、エホバの証人の明らかな傲慢。神ってそのレベル?うっかり野郎が神の思考を推し量れるの?
エホバの証人「愛溢れる神なので-」
所詮は、筆者の言葉を借りると”彼らの神”、自分たちで創作した神なので、自分たちの思い通り。ならば、
エホバの証人「まだまだ、地上で真理を宣べ伝えたかったので、輸血して生き延びました。エホバよ。お許し下さい。」で生けるんじゃないかと。うっかり鯨よりはエホバの証人的には高尚よね。
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