恩を仇で返すエホバの証人
先日の記事で、エホバの証人が過失で血を食べたり、輸血された場合のうっかり鯨やうっかり輸血は許される、と書いた。エホバの証人の神エホバは存在しない架空神なので、エホバの証人組織から「うっかり輸血」は許されるということ。
『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』でもこの命がけの矛盾を指摘している。
この矛盾を知れば、強制輸血に踏み切る医者も出てくるのではないかと、本書では書かれている。(第5章 血)
しかし、この後の最高裁の判例で、この国のエホバの証人にはどこまでも愚かになる権利が認められた。すなわち、輸血に関しての自己決定権。自ら死に至る自由。
命を救うために勝手にエホバの証人に輸血すると、逆に訴えられて敗訴。野良犬にエサをやったら噛みつかれたとか、恵まれない人に施しをしたら家財を盗まれたといった不条理。恩を仇で返すエホバの証人。
日本人もこの判決当時に比べたら、賢くなったか?そうでないか?この古い意味不明な判例をひっくり返す時が来たのではないか?
エホバの証人、医療に対する判断能力なし
何のストーリーもなく、強制的にエホバの証人に輸血すると手を噛まれる。輸血云々はエホバの証人にとって道徳的、単に気分の問題でしかないのに。
ところが、この気分がものみの塔のマインドコントロールで頑固になっているので厄介そのもの。
そこで、死にたがりエホバの証人を強制的に輸血して命を救うには、本人を医療に対する判断能力無しと断定するしかない。
元がマインドコントロール状態なので、正常な判断をエホバの証人が下せるはずがない。「復活がー」とか「天啓を受けて天に昇る者がいる」と言っている段階で、妄想を現実とごっちゃにしている。
つまり、エホバの証人は明らかに精神に異常をきたしている。医療に対する判断能力などありはしない。うっかり鯨を食べても許されるの冗談教理の延長で命まで捨てようとしている。エホバの証人は、命の価値を量れない精神状態にある。
「輸血が―、復活が―」と言っているエホバの証人は子どもと一緒。精神に異常をきたしている。物事の適切な判断能力は既にないので、周囲の人間が判断を下してやる必要がある。
暴走して自殺しようとしている者がいれば、救うのは当然。暴走して輸血拒否して死のうとしているのなら、それを制止するのも当然。
輸血に反対するエホバの証人の親族やお仲間の信者が出てくるが、彼らは本気で「復活」という妄想を抱いているので精神的に正常ではない。相手にする必要はない。
問題は、非信者家族が普段から輸血拒否に関して本人と話し合っていて、理解していますというパターン。理解を示すなよ・・・エホバの証人の輸血しません書類にサインまでしちゃっている。それはすなわち自殺同意書にサインしているようなモノなんだけど。
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