エホバの証人親に祟られる?すべてのエホバの証人が解放されるべき3つの理由

すべてのエホバの証人が解放されるべき3つの理由

高齢の親がマインドコントロール下のエホバの証人だったらという話。本人の脳内がどうなっていようと、エホバの証人というカルトに加担する限り、幸せではあり得ないと書いた。それが昨日の記事

そのため、自身が面倒くさくなければ(心身に余裕があれば)、ものみの塔のマインドコントロールから肉親を解放するよう多かれ少なかれ手を尽くすべし。

理由その①として、ものみの塔だって昔から「目ざめよ!」と言っている。
(これは当初は半分冗談だったのだが、あり得ない話ではないかと。ものみの塔は最高に皮肉なギャグで、「エホバの証人よ。マインドコントロールから『目ざめよ!』」って機関紙に名付けたのでは?)

理由その②として、甘辛あってこその人生だから。脳内お花畑人生でゴールってあまりにも無意味。しかもエホバの証人のままでは絶対に幸せにはなれない。カルトに加担するという行為が本人の脳内以外に幸せをもたらすことはないから。

エホバの証人の親に祟られる理由とは?

そして、理由③、親に祟られるから。これも半ば冗談で恐縮なのだが、あり得ない話ではない。子供の頃、復活とか天に神やキリストがいると本気で信じていたことを思うと、死んだ人間に祟られるってことくらい、なきにしもあらず。

私の現在の宗教観というか、ものみの塔観。ものみの塔の言っていることは全て嘘。つまり、神が存在するのなら名前はエホバではないし、三位一体タイプ。人は復活もしないし、ハルマゲドンもこない。

そして、人は死ぬと無にならないし土にも帰らない。ここもものみの塔の逆が正しいとしたら。霊魂というか、魂というか情熱、怨念のような霊的エネルギーが残るとしたら。

エホバの証人の親はどうなる?死んだ後に気付けば、そこは楽園だと思っている訳だが、そうではない。気付けは怨念となって浮世を彷徨っている。目の前には自分の骸。直前までその中に宿っていた身体。

この時点で悟る。

「あっ、ものみの塔の言っていること違う」と。

「騙された!・・・」となる。

自身の骸の前には、エホバの証人非信者の子供たちがシラケた顔で佇んでいる。それなりに悲しそうだが、やはりマインドコントロール親に対するわだかまりは解けておらず、号泣する訳でもなく、故人のカルト人生を虚しく思い、出るのはため息ばかり。

「それなら、早く言ってよ!」と化けてる方が思ったら。祟られますな。何で生きてるときに「ものみの塔はカルト!って言ってくれなかったの!」って。何回も言っていたが、マインドコントロール下の本人には届かなかっただけかも知れない。

生きている間はエホバの証人を強制され、死んだら死んだで祟られる。理不尽極まりないが、理不尽極まりないカルト人生を生き抜いた親である。理不尽に化けて祟られてもおかしくない。

だから、せめて生きている間に出来るだけのことはした方が良いのではないかという話。無理する必要はないけれど、取り返しのつく間にベストを尽くすべきなのでは。

私は死後の世界とかどうでも良くて、やはり人間は死んだら無なのかも知れないとも思う。だからこそ、生きている間に全力を尽くすべきかと。鬱陶しいカルト親との和解までいかなくても、せめて解放に、多少なりとも手を尽くすべきではないかと。


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