エホバの証人という罪を重ねさせない
昨日までの記事で書いている件。肉親、とくに老齢の親が現役エホバの証人というケース。
ものみの塔の完全マイコントロール下にあって、今さら目ざめられても本人が絶望するだけ。それならば、そのまま脳内お花畑のまま寿命を迎えてくれ、という論調に疑問を呈している。
幸いなことに、現在の私の肉親に現役エホバの証人はいない。今でも親がエホバの証人だったら、マインドコントロール下の親が、神の裁きを受ける方が楽だと思うくらいに、激しく糾弾して絶対に続けさせない。
理論武装でこてんぱに教理を打ち破る。それを四六時中、彼らが伝道して回る情熱を上回る勢いでやる。それをエホバの証人の王国会館の集会所でもやる。本人たちがエホバの証人の集会へ出席を続ける限りは。そのまま集会が継続できないくらいに仲間の信者にもやる。えげつないくらいに。
礼拝所不敬罪?いやいや、エホバの証人の集会は誰でも参加できるディスカッションなんでしょ?
本人たちが精神病むくらい日夜問わず、言い続ける。どうせエホバの証人続ける限り、いずれ鬱病とかになっちゃうので。
「ラッセルの墓はピラミッド、ラザフォードはアル中、ブルガリアで輸血解禁、国連NGO加盟ってお前らが娼婦じゃん。児童性虐待で世界中で係争中。統治体の根拠は聖書に出てない。」
「もう勘弁してください」となるまで。それくらい、私にとっては実の親がエホバの証人としてカルトに加担し罪を犯しているというのは許しがたい。
なので、私の周囲に現役エホバの証人はいない。よって完全なる他人事、対岸の火事状態。とはいえ、気持ちが全く分からないでもない。私もエホバの証人親にものみの塔を強要された口なので。
エホバの証人が幸せな生涯を送ることができない理由
今までカルト漬けで散々迷惑をかけられた挙句、高齢になって目ざめられて、ものみの塔に人生すべて搾取されたと気づく。そして、人生の絶望の淵に立って打ちひしがれている。
そんな年老いた親を慰める。抜群に面倒くさい案件。それなら放っておいたほうが楽かも。それなら良い。今さら鬱陶しいので、アホなエホバの証人のまま死んでくれってのなら良い。
しかし、「エホバの証人のまま死んでいくのが本人の幸せ」なんてのは詭弁。
現役エホバの証人は脳内お花畑で本人は幸せなつもりなのかも知れないが、それは幸せでも何でもなく不幸の最高潮。冗談じみたものみの塔というカルトに騙されて、家族に疎んじられた人生。この世に残したのは、家族からの恨みとカルト野郎という不名誉、そしてカルト活動に加担したという罪。
愛のある家族としては、この連中を救いたいと願うのが正常な感覚。本人の幸せのため、という言い草は成り立たない。人様に迷惑をかけるカルト活動に従事した人生が幸せなんてことはあり得ない。
研究生時代に仲良くなった子と今でもLINEたまにするんですが、数年前に「ラッセルの墓ピラミッドらしいじゃん」と言ったら「出版物見たけどそんなこと書いてなかったからわからない」と返事され思考が停止ってこういうことなのかと残念に思いました。
遠方に居て会えないのにまだ連絡とれてるのは私が元研究生だから、救いたい気持ちなんでしょうね…友情とは一体…
思考停止、本当に残念です。何かのショックで思考再開するときがあるかも知れません。そのときに友情に気付いてくれると良いですね。
返信ありがとうございます。蛇足ですが私は「長老兄弟の娘の研究生」だったので、離れても繋がりたいのかもしれません。彼女の前では楽しく生きてるアピールも欠かさず接したいと思います。
友情に、長老だとかなんだといった立場なんか関係ないですよね。そういったJW的発想を超越した人間性を示し続けることで、現役信者がハッと気付いてくれたりしないものかと考えたりします。難しいんでしょうけど。