聖書を飛躍している、ものみの塔の教理
昨日の記事で、エホバの証人の子ども向けの黄色いの本の記憶についてふれた。兵士の水の飲み方をチェックして、抜擢する基準にした話。当時、子どもだった私がこの本の矛盾にツッコミを入れている。
親にこの逸話の矛盾を話すと、とにかく「ものみの塔が正しい」で、押し切られる。それでも、性格がひねくれている私は引き下がらない。
時と場合による比喩だと逃げるので、
「じゃ、”剣を鋤の歯に打ちかえる”というのも比喩じゃない?実際にそんなことしている人いないよね?神に仕える兵士が聖書に出てくるし、戦争ごっこしても良いんじゃない?」
エホバの証人が、戦争・暴力的なモノ・武器・武術授業などの一切を避けるのは聖書の次の聖句による。
“彼らはその剣をすきの刃に、その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず、彼らはもはや戦いを学ばない”
子どもの私の指摘は、この聖句が直接的に「折紙の手裏剣」の製作や「モデルガン」所持・使用の禁止を指しているのかということ。
“職業選択の自由まで奪われる、思考停止状態のエホバの証人” の続きを読む