反対者を悪魔扱いするエホバの証人
エホバの証人は、信者であることを妨害する家族や親族のことを悪魔の手先だと忌避する。ものみの塔にそうマインドコントロールされているため。本人のためを思い、カルトから脱会させようとすると悪魔扱いされる。周囲はその状況が不条理に思えてならない。
エホバの証人はマインドコントロールされ、ものみの塔しか見えなくなっている。そのため、自分の信仰、つまり盲信状態を守ることに固執する。自身の盲信にわずかでも水を差す反対者に対して、好意的であることはない。
こうして信仰者とはとても言えない、了見の狭い盲信者が完成する。
異なる意見に耳を貸そうともしない。それらはすべて悪魔サタンの攻撃であるとものみの塔に唆されている。危険なモノを避けているつもりで、実は本人のことを心配する意見をシャットアウトしている。
子どもの頃の私は、エホバの証人2世信者だった。当時、親から「○○姉妹※の旦那さんは反対者で・・・」と聞くと、反対者と呼ばれる人に会うのが恐ろしく感じられた。※エホバの証人はお互いを兄弟・姉妹と呼びあう
両親ともにエホバの証人という神権家族で育った私には、一般の人に対する免疫がなく、反対者と忌避される人を恐れる傾向が顕著だった。
エホバの証人は反対者の人を悪魔サタンの手先と蔑む。しかし皮肉なことに、その反対者の人々こそが、エホバの証人本人のことを誰よりも思っている。「頼むからカルトをやめてくれ」と。
エホバの証人の周辺では、正常な感覚の人たちが悪魔サタンの手先であると避けられる矛盾が起きている。
排斥者に対する愛の欠如したエホバの証人
エホバの証人は、教団から追い出される排斥という処分を受けることがある。ものみの塔的重罪を犯したり、背教めいたことを口にすると排斥になる。この排斥者に対する仕打ちは反対者以上に酷。
排斥者に対するエホバの証人の態度は、愛溢れるキリスト教徒のものではない。排斥者には街で偶然会っても挨拶すらしてはいけない。一緒に食事をしているところなどを目撃されると、自身までもが巻き添えで排斥処分になる。
この排斥処分はものみの塔的村八分。憎しみ丸出し。逆に組織ぐるみでレールから逸れた人間を憎む。
本人のことを誰より心配する家族を反対者と罵り、排斥者を無視する。家族の気持を慮ることはできず、排斥者を一方的に避ける。
こんな状態のエホバの証人には、心中の憎しみや嫉妬を顧みるような精神的円熟感が育まれるはずが無い。何のための宗教だろうか?現役のエホバの証人の人々は、この実情に気づいて欲しい。
※2024/6追記、排斥者に対する基準がほんの少し緩和されたのだが、それはそれまでの著しい人権侵害を自ら明らかにしているだけ。そして、別段何も改善されていない。詳しくはエホバの証人は背教者への挨拶禁止、忌避制度継続。