ものみの塔協会崩壊の3ステップ
昨日の記事で、エホバの証人を0人にし、ものみの塔を早々に崩壊させるには次の3つの条件が必要と書いた。
- 高齢化した信者が寿命を迎える
- 新規信者が増えない
- 外圧で信者を減らす
昨日の記事では、1.信者の寿命に関してエホバの証人は1%でも迷いがあれば引き返すべきだと書いた。
3.外圧は、このブログのように警鐘を鳴らしたり、ものみの塔の不義を告発したり、実際に脱会サポートを行ったりと。私以上に積極的に活動されている方々がいる。
今日は、2.新規信者が今以上にグイグイ増えないという前提条件について、私の危惧を書く。
ものみの塔が良心的組織に生まれ変わったら・・・
もしも、ものみの塔が時代の変化に合わせて、LGBT認めます。男尊女卑体質やめます。輸血解禁します。クリスマスも誕生日もOKです。となったら。頭の柔らかーいエホバの証人だらけになったら。教理はすべて自己判断で解釈してくださいとなったら。
選挙も本人意思でOKだし、武道も戦いを学ぶんじゃなくて精神鍛錬として望むならOKとか。禁止事項が一切なくなって、逆に子どもの虐待はNG。かつての予言解釈のハズシ、不都合な事実の隠蔽も謝罪。
無論、人種や性別による差別もなくなるので、統治体のトップに東洋人女性が就いたりする。愛と喜びにあふれた正真正銘の聖書研究者です。過去の過ちを認め、詫びる自浄作用まで備えました。とものみの塔が変貌したら。
果たして、ものみの塔がここまで譲歩し、カルト色を払拭して組織の存続を目論んでくる可能性はないだろうか?
ここまでくるとカルトじゃないので、外部から攻撃する正当な理由がなくなる。それこそ基本的人権の上に成り立つ信教の自由。この過程で普通のキリスト教と区別がつかなくなる。
ここまでして組織体として継続させようという動きが出るかも知れない。ここまで変貌したらほとんどの信者は去るはずだが。これをもってものみの塔の崩壊として良いのだろうか?
ものみの塔が良心的組織に変貌しても許せない理由
ものみの塔が、どうでも良い当たりさわりのない教理だけを残してカルト色は払拭したとしたら?生命や人権が侵されることなく、子どもへの禁止事項の強制・体罰もなし。
どうでも良い教理とは、神の名は「エホバ」だし、三位一体は「ウソ」で「キリストはミカエル」そのあたり。
真面目なキリスト教徒の方には失礼だが、日本のエホバの証人にとっては、神の名前や三位一体、キリスト=ミカエル云々はどうでも良い。この点が正しかろうが、間違っていようが、信者の生活には一切影響しない。
日本は、かつて伝来した仏教の仏を、日本の古来の神になぞらえて、それらを仏が姿を変えたものと解釈した。この国は、そういった心の広さ、おおらかさ、許容力というか杜撰さ、いい加減さを持っている。キリストがミカエルだろうが、聖霊と神が一体だろうが、大した問題ではない。
となると論点は、信者が搾取されているか、騙されているか否かという点になる。
ものみの塔がどう変貌しようが、信者がいる限り上層部は潤う。一部のずる賢い奴らに金銭や労働力をむしり取られて良いのか?狡猾な輩に寄付金を搾取されて良いのか?
もはや真理云々ではない。単純に騙されて搾取されて悔しくないのか?最後はここが論点になる。
統治体は解散、ハルマゲドンは来ませんあたりまで、最大譲歩したとしても、やはり信者からの吸い上げで上層部が潤う限り、私はものみの塔を見逃さない。見張り続け、倒壊に追い込む。
ハルマゲドンでの恐怖煽りビジネス=信者を騙すことなのだが、その「ハルマゲドン来ません。上層部は金儲けのビジネスやってます」まで開き直られると、私としては文句のつけようがない。誰も騙していないから。ものみの塔がただ嫌いというだけになる。
ここまで来ればOKとしたいが、「ハルマゲドン来ません」の時点でほぼ全ての信者が去るはずだから問題ないか?
こんなシナリオも想定して、ものみの塔に挑む必要があるのかとも思う。ものみの塔の崩壊は、信者の高齢化やネットの普及で進んでいるよう想定できるけれど、何があるか分からない。警戒を続けたい。
エホバの証人の決して許されない罪、世のもの未満の最底辺・独善的行動