エホバの証人二世として思春期を過ごすことの悪影響
最近、空き家になっている実家の整理をしている。この実家が空き家になった理由は、両親が20年もの時間をエホバの証人として過ごしたから。私の家族が崩壊したのは、両親がエホバの証人になったから。
私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人の2世信者だった。14歳のときに自分の意思でエホバの証人をやめる。その後、エホバの証人をやめるタイミングがずれたために両親は離婚し、一家離散。
実家の整理のついでに最後に連行されていたエホバの証人の王国会館を見に行ってみた。ふとした気まぐれ。この王国会館は閉鎖されていた。私は9歳のときに引っ越しているので、この最後の王国会館に通っていたのは長くても9歳から14歳までの5年間。
今の私は37歳でそのうちの5年間である。そんなに長い気もしない。ただ小学校高学年から中学2年生までの思春期という時期をエホバの証人2世として過ごさざるを得なかった意味は大きい。
エホバの証人の二世信者であることを強制された思春期は、私の精神や人間関係、対人スキルに大きな悪影響を残している。今でもこの影響から完全に自由になっていない。
家族や親族を含めて14歳以前の知り合いに会うと、必ずエホバの証人2世だった過去が頭をよぎる。祝って貰えなかった誕生日、参加が許されなかったクリスマスや節分の行事、ものみの塔協会の教義には細かな禁止事項が多い。
毎週3回の集会とその予習のために学校の友達と遊ぶ時間は制限されていた。そもそも、エホバの証人ではないこの世の人々との交友はあまり認められていなかった。
そして何より、エホバの証人2世として他人から蔑まれることが苦痛だった。変わり者というレッテルを貼られることや、他者の哀れみの視線が嫌だった。この屈辱感が、現在でも過剰な自意識となって私に大きな影響を残している。
元エホバの証人二世の陥る非エホバ願望・反ものみの塔思考という罠
エホバの証人二世にとって癒しにはなるが特効薬にはならない時の経過
最後の王国会館に通っていた期間が5年、エホバの証人2世として過ごしたのは、最長でも生まれてから14歳になるまでの14年間。
実家整理をしているまで私は知りもしなかったのだが、どうやら両親がエホバの証人に関わり始めたのは私が1歳を過ぎてからのようだった。私はずっとほぼ生まれながらだと思っていたのだが。
実家の整理の最中出てきたアルバム。私の1歳の誕生日に、ロウソクの立った誕生日ケーキで祝われている写真がはさまれていた。その後初詣に行っている元旦の写真も。中流一般家庭の普通のアルバム。エホバの証人は誕生日も祝わないし初詣も厳禁。
アルバムは二冊目から様変わりする。両親は妙にかしこまった服装になり、エホバの証人信者が写っている写真ばかりになる。私に記憶は無いのだが、どうやら私は普通の家に生まれ、私が物心つく頃から両親はエホバの証人としての活動を始めたようだった。
こうして考えてみると、私がエホバの証人2世として過ごした期間はさらに短い。1歳の誕生日を過ぎてから14歳の誕生日くらいまでの13年間。今の私は37歳で、既にエホバの証人2世として過ごした時間よりも、その後の一般人として過ごした期間の方が長い。
エホバの証人をやめたあとの私は、ものみの塔協会により禁止されていて出来なかったことを全てやろうとした。今さら節分やクリスマスといった子供向けの行事はやりたくも無かったので、喫煙や飲酒、異性との交際、ギャンブルといったその年頃に妥当な非エホバ的なものを人生の中心として生活した。
エホバの証人2世として奪われた13年、その後の自堕落に否ものみの塔として過ごした現在までの24年、私は充分に何かを取り戻したのだろうかと考える。
決して取り戻せないものがあるということは認めざるを得ない。幼少期から少年時代、思春期という特別な時間と、崩壊した家族。時の経過はある種の癒しにはなるが解決策にはならない。
私が考え出した解決策は根本を絶つということ。取り返すことが出来ないものが多すぎるが、ものみの塔協会という悪の根源を潰せば、失ったものにも意味が生じる。こうして私はものみの塔根絶活動を始めた。
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