カルト被害をカミングアウト出来ないエホバの証人ニ世の悩み

エホバの証人の王国会館での事故

小学校の頃に流行った遊びがあった。息を止めて顔面に力を入れるというもの。危険なので絶対に真似をしないで欲しい。私はこれを繰り返しやっていたのだが、顔が尋常でなく紅潮するのである。それで周囲を驚かせる遊び。

王国会館でのエホバの証人の集会が終わっても、子供の頃の私はなかなか帰宅することが出来なかった。”交わり”と称して、両親は会衆内の他の信者と長く話をしていて、帰るのは最後の方に近かった。

その間、顔面を紅潮させる遊びをしていたのである。顔を赤くして会衆内の他の子供を驚かして遊んでいた。

ある時、鏡の前で自分の真っ赤になった顔を見て、その後の記憶がしばらく無くなった。どうやら脳が貧血状態になって倒れたようだ。私は地面に倒れていて、王国会館の壁には大きな穴があいている。

倒れた私がぶつかって壁が壊れてしまった。建て替えたばかりの新築の王国会館の壁に大きな穴を開けてしまったのである。

エホバの証人の王国会館とは?

この時に思ったのは、何と恥ずかしいことをしてしまったのだろうということ。変な遊びをしていて壁に大きな穴を開けてしまった。もうすぐ中学生という年齢でそんなことをしでかしてしまうとは、何と恥ずかしいことか。

しかし、しばらくするとまあ問題はないかという結論に至る。どうせこの王国会館に来ている連中との付き合いもあと何年かの間。私はいつかはエホバの証人をやめたいと思っている。

それだけの付き合いの人間に対して恥をかいたって別に良い。そもそも、いつか全くの赤の他人になる人間に対して恥でも何でもない。

本音で語れないというエホバの証人2世の苦悩

この何もかも通り過ぎて去っていくだけという私に染み付いた考え方では、深い人間関係を築くことは出来なかった。エホバの証人をやめた後、誰かに本音を打ち明けることも、私の過去について話すことも出来なかった。ただ進学し就職し、転職しという時間を浪費するだけ。

酔っ払って赤裸々に語っているようなときでも、何処かで覚めて自分を見ている。今付き合っている相手が永遠に一緒にいる人間ではないという意識が常にある。何もかもを腹を割って話すということが出来ない。

エホバの証人2世は人間関係を軽視しがちなまま大人になっていく。

しかしながら、運良く私に何人かの貴重な友人が生まれたのは僥倖と言うしかない。ただその友人たちにも、どうしても過去にエホバの証人2世として育てられたということを話すことは出来なかった

かつてエホバの証人だったという自身のトップシークレットを、自ら打ち明ける気になったのは、現在の妻だけだった。結婚生活を送る前に話しておかなければならないと思ったのと、妻なら大丈夫だと思ったため。

大丈夫というのは、かつてエホバの証人だったという秘密を打ち明けても捨てられないと思ったということ。現在の友人たちに、私の秘密を話すと捨てられるかと思っている訳ではないのだが、20年来の友人たちに今さら話す気にもなれず。

家族と友人は違うということ。何が何でも隠し通さないといけない秘密でももはや無いのだが、かつてカルトの子供だったなんて自慢できることではないので、吹聴して回る必要もないかと今では思っている。


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