ものみの塔にとって都合の”良いたより”、捏造された教理

無知は無罪というものみの塔の原則

エホバの証人には、ものみの塔の教理に背いても、それが故意でなければ許されるという原則がある。原則なのか暗黙の了解なのか、ご都合主義の結晶。

エホバの証人をカルトたらしめている教理の輸血拒否。輸血拒否を親に強制されて亡くなった子供まで存在する。輸血だけでなく、動物の血の入った食品も飲食禁止。スッポンの生き血なんかは飲まないし、鯨肉も血抜きが完全にできないという理由で禁止。

ところが、子供が知らずに鯨肉を食べてしまったという場合は、両親とちょっとお祈りをしておとがめ無し。故意に犯した罪ではないから。

輸血を拒否して死ぬ信者がいる一方で、「鯨肉食べちゃったけど知らなかった。ごめんなさい。テヘへ」で許される。この差は一体何だろうか?

エホバの証人は、体外に流れ出た血を汚れたモノとして避けなければならない。しかし、血を避けるという本質よりも、ものみの塔の教理に従うということを優先している。これがエホバの証人のものみの塔崇拝。

ものみの塔協会の教理を知らない間に、喫煙しようが、いかなる不貞を行っていようが、どれだけ輸血しようが、これらも許される設定。この理由は「神が慈悲深いから」とでも、エホバの証人は言うのだろうが、真実は違う。この方がものみの塔にとって都合が良いから。

輸血拒否までして死ぬことを要求する危険なカルトである一方、ものみの塔の血の教理を知らなければ許されるという矛盾。この矛盾は、「無知ならば無罪」という教理が、ものみの塔の創作であることから発生している

少し話が逸れるが、エホバの証人が鯨肉を避けるのは、完全に血抜きができないからという理由。では完全に血抜きが出来たら食べるのか?自宅で魚を捌いたりした場合、完全に血抜きができているのか、どうやって調べるのだろうか?

エホバの証人はそんなことは考えもしない。ものみの塔が鯨はダメだと言っているから、ダメなのだと妄信している。エホバの証人が組織崇拝を行っている典型的事例。

都合の良いものみの塔の教理

生活スタイルが多種多様で人口が増えた現代社会では、さすがのエホバの証人とはいえ、全人類にものみの塔にとって都合の”良いたより”を伝えることは不可能。実は、「生まれて初めてエホバの証人に会いました」というような老人が頻繁に出てくる。

これは不公平であるということで、

ものみの塔が後付けで考え出したストーリーが、無知で犯した罪は許されるということ。いかにも不完全な人間が考えだしそうな都合の良い教義。

現実はそんなに単純ではない。無知は罪だし、世界は公平ではない。無知であれば、当然のように不利益を被るのが現実。無知は罪だと認識し、自分で知に歩み出す者だけが救われる。生まれつきの不公平や不運を是正しようと闘う者だけが、新しい景色を見ることができる。

聖書の中に出てくる神は激烈。無知で犯した罪でも許しはしない。真理を聞かなかったなどという不運も罪。エホバの証人の世界ほど現実は甘くない。

知っている者だけ、自ら情報をとりに動いた者だけが、先行利益を得られる。それが現実。ものみの塔にとっての都合の”良いたより”に騙されている場合ではない。

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