ものみの塔協会にとって都合の良い便り

お粗末神エホバ

エホバの証人は知らずに行ったものみの塔協会の教義に背く行為については許されるという傾向がある。子供が知らずに鯨肉を食べてしまったなどという場合は両親とちょっとしたお祈りをしておとがめ無しである。エホバの証人は体外に流れ出た血を汚れたものとして避けなければならないのだが、その血を避けるという本質よりもものみの塔協会の教義に従うということを優先しているのである。

これがものみの塔崇拝ということである。輸血拒否までして死んでしまうことを要求する危険なカルトである一方、ものみの塔協会の血の教義を知らなければ許されるという矛盾がある。この矛盾は無知は無罪の教義がものみの塔協会の創作だからである。

ものみの塔協会のことを知らない間に喫煙しようがいかなる不貞を行っていようが問題はないことになっている。エホバの証人はそんな人の所へも臆せず出かけていき洗脳の世界へ引きずり込む。知らずに行っていたものみの塔協会の教義に反する行為は全て許されるのだ。ものみの塔協会の教義ではエホバの証人に出会わぬままにハルマゲドンを迎えれば、この大艱難を生還出来ることになっている。自身の行いを悔い改める機会がなかったからである。





慈悲深い神の行いのように思えるのだが、完全無欠の神にしてはお粗末ではないだろうか。あれだけの人数のエホバの証人に伝道奉仕活動を行わせて、不在宅には別日で留守宅訪問までしているのだ。それでエホバの証人に出会わないままに終わりの日を迎える(実際には終わりの日など来ないのだが)などということがあって良いのだろうか。不可能がない神ならば公平平等に全員漏れなくものみの塔協会にとって都合の”良い便り”が伝わるようにしなければならない。

 

都合の良いものみの塔協会の教義

しかし、これは無理な話なのである。そもそも全能の神エホバなど存在しないからである。人為的な努力以外で全人類全員にくまなくものみの塔協会にとっての都合”良い便り”が伝わるようには出来ない。存在しない神からの援護など有り得ないからだ。生活スタイルが多種多様で人口が増えた現代社会では流石のエホバの証人とはいえ全人類にものみの塔協会にとって都合の”良い便り”を伝えることは不可能である。実は生まれて初めてエホバの証人に会いましたというような老人が頻繁に出てくるのである。

これでは不公平であるということでものみの塔協会が後付けで考え出したストーリーが無知で犯した罪は許されるということである。いかにも不完全な人間が考えだしそうな都合の良い教義である。聖書の中に出てくる神は激烈である。無知で犯した罪でも許しはしない。そもそも無知は罪である。真理を聞かなかったなどという不運も罪である。エホバの証人の世界ほどこの世は甘くない。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。