エホバの証人が差し出す、ほぼ唯一の資産「時間」
『近現代日本とエホバの証人』の第四章「従順の時代」より。
私の家族も含めて、1980年代のエホバの証人は熱心に不毛なエホバの証人の布教活動を行った。どれくらい熱心かというと毎月100時間とかを布教活動(=伝道活動)に費やす。
本書によると、「特別開拓者」に求められる要求時間は毎月140時間。7時間労働の20日勤務と同じ。これには集会参加やその準備の時間は含まれていない。しかも無給。貧乏なエホバの証人が持つほぼ唯一の資産である時間をカルト活動に溶かしている。
それだけの時間を費やせば、何らかの成果は必ず出る。しかもその狂気の時間浪費族の人数は、日本全国で20万人にもなる。
成果として捕獲されたのは、情弱なエホバの証人の新規信者。野に潜むカルト予備軍は漏れなく喰い散らかされ、新規信者がまた布教活動に時間を費やす。この連鎖。そうして1980~1990年代の日本のエホバの証人は雪だるま式に信者数を増やした。
終わりをもたらすエホバの証人の伝道
そこまでしてエホバの証人が布教活動を行った動機が本書では解明されている。
マタイによる福音書24章には「王国の良いたよりは終わりが来る前に全地で宣べ伝えられるであろう」とされているが、エホバの証人の場合、この聖句は、ハルマゲドンが近い「しるし」として適用されてきた
全世界にくまなくエホバの証人の布教が行われれば、目指すゴールである「ハルマゲドン」がやってくる。エホバの証人はそう思い込んでいる。
エホバの証人の布教は「良いたより」ではなく、エホバの証人にとっての「都合の良いたより」なのだが、本人たちは自身の布教時間と地域の拡大が聖書予言の成就であると思い込んでいる。
これはバカバカしいトリックで、もはやトリックとも言えないのだが、カルトに陥るような人には、ほんの一歩、いや半歩下がって自身の教団の行いや主張を見るような視点がない。だからこんなふざけたトリックにかかる。
終わりが近いならば、全地で布教活動がおこなわれているはずという認識の転換が生じやすく、信者たちを布教活動へと駆り立てる
つまり、エホバの証人の認識では、エホバの証人全員が「都合の良いたより」を全地に「宣べ伝える」のをやめれば、終わりはこない。ハルマゲドンがやって来ず、今のままの平和な日常が続く。めでたしめでたし。すぐやめてくれ。
エホバの証人が自らの人生と差し替えに創出したのが、全地にエホバの証人の「都合の良いたより」が布教されつつある状況。ポイントは「されつつ」あるという点。されちゃうと終わりがこないと不都合なので、寸止めが肝心。
エホバの証人によって
創出された状況は、終わりが近いという確信をさらに強め、布教活動に拍車がかかるのである。エホバの証人における信者数の増加は、予言の自己成就としての教線拡大でもあった
エホバの証人の予言の成就は自作自演の茶番に過ぎない。