エホバの証人に遭遇しないことが最良
ものみの塔の教理では、エホバの証人に出会わぬままにハルマゲドンを迎えれば、その大艱難を生還できる設定になっている。自身の行いを悔い改める機会がなかったから。
ということは、エホバの証人にはハルマゲドンまで会わないほうがラッキー。
エホバの証人のことを知らないままハルマゲドンを迎えれば、生還できる。どんな不道徳・不健全な生き方をしていようが、神エホバを知らないのなら許される設定。ならば、誰もがそっちの方がお得。
エホバの証人を知らないまま好きに生きて、いきなりハルマゲドンが勃発(しませんが)。目の前でそんな証拠を見せられれば、誰でもエホバを神だと認める。その上で改心すれば良いだけの話。
つまり、
エホバの証人に会わないのが全人類にとってお得。エホバの証人に出会わなければカルト被害に遭わないし、エホバの証人の教理的にも無知であれば許される設定なのだから。
ところが、エホバの証人は無知という優遇条件下の人のところへも臆せず出かけていく。知らずに行っていたものみの塔の戒律に反する行為は、悔い改めればすべて許されると、お節介勧誘を行う。
お粗末神、エホバ
無知に対する配慮は、一見、慈悲深い神の行いのように思えるのだが、完全無欠の神にしてはお粗末すぎる。全世界900万人のエホバの証人に伝道活動を行わせて、不在宅には別日で留守宅訪問までさせている。
そこまでさせて、エホバの証人に出会わないままに終わりの日を迎える(実際には終わりの日など来ないのだが)などということがあり得るだろうか。
完全無欠の神の組織にしてはお粗末。全知全能の神ならば、公平平等に全員に、漏れなくものみの塔にとって都合の”良い便り”が伝わるようにしなければならない。
ところが、これは無理な話。そもそも全能の神エホバなど存在しないから。人為的な努力以外なくして、全人類にくまなくものみの塔にとっての都合”良い便り”が伝えることはできない。存在しない神の援護など有り得ないから。
これだと僻地の住民などに不利益が生じるので、ものみの塔が後付けした教理が、「無知は無罪」。エホバのことを知らないあいだの罪はすべて許される、というご都合教理。
このように、次から次へと嘘と創作を上塗りしたのがものみの塔の教理。まさに、ものみの塔にとっての都合の”良い便り”。
2023奉仕年度エホバの証人の世界的な活動報告、「終わりは金輪際来ない」