エホバの証人二世が抑えきれない破壊衝動で蛍光灯を割りまくる

エホバの証人の懲らしめという虐待による悪循環 

エホバの証人の子供の生活には過大なストレスがかかる。一般の人、信者の人、親戚家族、誰かれ問わず模範的であれと言われる。子供らしく大暴れすることは許されない。

ストレスはどこかで発散させなければならない。子供の私は密かに悪事を行うようになっていた。両親にさえ露見しなければ、とりあえずは懲らしめという体罰を受けることはない。

エホバの証人の子供が一見お利口に見えるのは、この懲らしめという暴力の効果。エホバの証人的模範的行動から逸れると待っているのは懲らしめ。暴力による制裁を受ける。

痛みは効くので、子供は反射的にエホバの証人的行動を取るようになる。サーカスの動物と同じ調教方法。ところがサーカスの動物ほど人間の子供は単細胞ではない。

私のように親がいない所で悪事を働くようになるのはマシな方。これはこれで気を休める息抜きの時間を持てているから。都合が悪いのは、懲らしめという暴力によって精神を病むエホバの証人の子供たちが絶えないこと。

暴力の痛みや恐怖に対する対処療法として、体が痛みを感じなくなる。これは、大ケガをしても死にかけても笑っていられるエホバの証人二世ロボットの誕生。エホバの証人信者には鬱病が多い。これも子供の頃から暴力を受けて、精神を病んだ結果。

また、暴力は連鎖する。懲らしめを受けて育ったエホバの証人二世の子供は、暴力的になる。子供の頃から、問題の有効な解決策として暴力という手段を親が示し続けた結果。

暴力は決して有効な解決策でなく、表面的な解決に過ぎない。余計に問題をややこしくするのだが、子供にはそんなことは関係ない。自らが受けた暴力を周囲にまき散らすようになる。エホバの証人の二世信者にDV加害者や子供に対する虐待者が多いのは当然の帰結。

私はエホバの証人の子供でありながら、親にバレないように悪事を行うことでストレスを発散していた。しかし洗脳状態にはあるので、天にいるエホバという神には見られているという思いがあった。やがて罰が下されると考えていた。

いつか罪の報いを受けるのだという罪悪感を強く抱くこともエホバの証人2世の精神に暗い影を落としている。自分の命はハルマゲドンまでの限定的なもので寿命を全うすることが出来ない。このため刹那的な生き方へ誘導される。

エホバの証人の懲らしめという名の体罰と児童虐待

蛍光灯を割りまくるエホバの証人2世の子供

小学校に入る前の私は、近所の電気屋の裏に置かれていた蛍光灯を割りまくるというストレスの発散方法を発見した。

切れて使えなくなった蛍光灯が山のように積まれている。それを剣道の竹刀のように振りかぶって、その後で地面や壁に思いっきり叩きつけて割る。凄まじい音と飛び散るガラスの破片。

最初は一本割ってすぐに逃げていたのだが、段々私も大胆になる。凄まじい音を出して蛍光灯を割りまくるのはとても気持ちが良かった。沸いてくる破壊衝動に突き動かされて、幼い私は何度も何度も繰り返し蛍光灯を割っていた。

何本も割っていると流石に電気屋の主がやってくる。凄まじい音がするので 飛んでくる。こんなときの言い訳も私は用意していた。

その辺で遊んでいたら、とんでもない大きな音がしたので来てみたらこんな惨事が起こっていた」というもの。子供の嘘なので電気屋には見透かされていたのだろうが、処罰の対象になることは無かった。

近所の個人経営の小さな電気屋の主、すべてお見通しだったのだろう。あの宗教一家の可哀そうな子供ということで見逃してくれたのか。もしくはヤバい宗教一家には関わりたくなかったのか。

こうして、私は引き続き見つからない悪事に手を染め続ける。しかし、天にいるエホバからは見られているという強い罪悪感は拭えなかった。

しかし、日々のエホバの証人教義の強制によるストレスからくる私の破壊衝動は抑え切れなかった。とりあえずは親からの懲らしめという暴力だけを避け続ければ良いかという発想で、私の悪事は継続されていく。


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