『良心の危機』、エホバの証人(JW)の茶番の数々その2

一回ならOK、二回目からはNG

『良心の危機』、第5章「しきたりと律法主義」、この章でもエホバの証人という組織がいかに偽者か。茶番の数々が紹介されている。

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エホバの証人と血に関する話。血友病患者に投与される血液成分に関して、ものみの塔の認識は

一回ならば「薬の投与」と見なされるので構わないというものだった。しかし二回以上行うと、これはその血液成分を常に「食べて」いると見なされ、血を食することに関する聖書の戒めに触れるとされた

バカバカしい話で、一回も二回も生存のために必要ならば投与すればいい。盗みは一度だけならOKで、常習犯ならNGってわけがない。さすがのものみの塔もこの不条理に気づいたのか撤回、血液成分の注射は無制限OKに改変。

旧基準が適用されている間、二度目の成分注射を拒否している人がいたとしたら?こんな茶番につきあって命を落としていたことになる。甚だしい命の弄び。

ものみの塔は、この朝令暮改を大っぴらにはしない。自身の愚かさを宣伝することになるので。その愚かさのせいで、今にも二回目の成分注射を控えて死んでいく信者がいるかも知れないのに。

ものみの塔という悪の手先にならないために

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ものみの塔が許されるには3なし実現、さらに釈明と補償を連発

ものみの塔の改革に対する安易な期待

『良心の危機』第4章「内部動乱、そして改革」より。

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1976年のものみの塔組織の改革を目にした筆者はこう期待していた。ものみの塔が

権力格差がなくなって全体がいわば平らになり、独断的な見方を減らして穏健な方向に進み、もっとお互いの立場を思いやるような空気ができ、さらにはいつの日か、やたらに規則を作って人の生活を束縛して支配する権威主義的なやり方がなくなってくれれば良い

という淡い安易な期待。

ものみの塔がいい方向に行くはずがない。もとがインチキで偽者なのだから。真理などではないから。

「自身が真理、自身が唯一の」って言う奴は間違いなく偽者。自身の主張に対する唯一の真理は「自分は何か間違っているかも知れないし、同じようなことしている奴は他にもいるかも知れない」と認識すること。それが唯一の真理。

1975年、前年の預言ハズシの反省は皆無、一時自粛したのは組織の保身のため。ちと懲りただけ。人生を大きく損なった信者たちに対し悪びれるところが一切ない。ゆえにまた元の醜い状態に戻る。1975年の失敗の後の統治体は

ヨベルの千年期が来るとしてかなり喧伝された1975年が何事もなく過ぎてしまったことで自粛ムードが漂い、独断的な側面が目に見えて減った。決議の際も、さらに規律を押し付けたり、特定の行為を「排斥に当たる行為」と見なすことなどについてかなり注意するようになった

これも反省でなく、批判回避のため。

『ものみの塔の終焉』1975年狂想曲

根っこが腐っているものみの塔は改革してもムダ

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ものみの塔の権力抗争、地位にこだわるのではなく・・・

地位でなく、地位のもたらすものにこだわる

『良心の危機』第4章「内部動乱、そして改革」より。

ものみの塔協会の組織内部のしょうもない権力闘争。人の集まる所に権力や地位の争奪が起こるのは人の世の営みであり、ものみの塔という組織が単なる人間の一団体であることが良く分かる本章。

そして、一切の好ましいものをもたらさないカルトであることが明らかになる本章。

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筆者は権力抗争の元ととなる「地位」について以下のように述べている。筆者が一国でのものみの塔組織の最高責任者としての

責務を果たすにつけ、「地位」というものが常に気になり、その「地位」を守る必要も感じた。しかしいろいろあった末、地位にこだわっていると、人づき合いも楽しくないし、自分の生活も面白くなくなることがわかった。地位に絡んで生まれてくる対立や確執などもまったく肌に合わない。しばらくするうち、地位にこだわるのはやめてしまった。すると毎日がうんと楽しくなったし、それまでよりはるかに生産的かつ有益な結果につながった

ここで書かれている生産的・有益な結果が脱会前のエホバの証人活動に関わることなら大ひんしゅくなのだが。

ものみの塔内部で得られる地位など、この程度のもので実利が伴わない。経済的に恵まれる訳でもなく、世の中に対する生産的行動の実行権限が得られる訳でもなく。カルト信者に対する法王的権限が備わるだけ。ものみの塔組織での地位向上は、言わば悪事が極まるだけで無価値。

必要なのは地位にこだわることではなく、地位のもたらすものにこだわること。地位が与えてくれる決定権、無論それは社会的善に対する行動の決定権であるべき。そして地位のもたらす自由。経済的自由だったり精神的自由だったり。

実利を考えぬまま、地位にこだわるのを単純にやめるというのはエホバの証人的世捨て人的発想。

『良心の危機』、脚注にひっそりと隠された重大発表

自らラビになろうとする者

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ものみの塔の統治体発足の舞台裏、エホバの証人が知らない真実

ものみの塔会長だろうが統治体だろうがどうでも良いのだが・・・

『良心の危機』第3章「統治体」から。第4章の動乱に続く。

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1916年までのものみの塔協会の出版物は完全にラッセルの管轄下にあり、1942年まではラザフォード会長の管轄下にあった。同様に、ノアが会長だった頃エホバの証人に対して「霊的な食物」を用意し、かつ供給する権限は、二人から三人の人間の管轄下にあった

これらは

出版物の内容ばかりではない。世界中にいるエホバの証人の活動におけるあらゆる事柄が会長の権限下にあった。

こうなると、会長というより教祖と言った方がよく。しかし、建前は統治体という

献身してバプテスマを受けて油そそがれたエホバの民の事がらを管理する責任を引き受けた、油そそがれたクリスチャンの一団が確かに登場しました。

これがひとりの人間の支配する宗教組織ではなくて、霊によって油そそがれたクリスチャンで成る統治体

という架空の設定に近づけるべく、ものみの塔内で騒乱が起きるのだが、そんな話はどうでも良いのだが。ものみの塔会長の独裁であれ、統治体の集団統治であれ、いずれも偽者であることに変わりがないから。

エホバの証人の統治体、着ぐるみをまとった小粒っこ

エホバの証人は『統治体の証人』か『統治体教』に改名しよう

エホバの証人が知らない真実

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『良心の危機』、脚注にひっそりと隠された重大発表

大学で二年と独学、それで聖書の翻訳ができるのか

『良心の危機』第3章「統治体」より。

脚注にサラッと超重要なことが書いてあるので、拾っておく。私みたいに隅から隅まで読まないと気が済まない貧乏性でないと、読みこぼす恐れがあるよ・・・

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ものみの塔協会の製作した「新世界訳聖書」は、著者のおじにあたるフレッド・フランズが中心になって翻訳された。この部分の脚注より。

「新世界訳聖書」には

訳者の名前は記されておらず、「新世界訳委員会」の仕事であることになっている。この委員会には他にネイサン・ノア、アルバート・シュローダー、ジョージ・ギャンギャスがいた。しかし、聖書の言語について、この種の翻訳をするための知識があるのはフレッド・フランズだけだった。フレッド・フランズは、シンシナティ大学でギリシャ語を二年間学んでいたが、ヘブライ語は独学だった

エホバの証人が後生大事にしている「新世界訳聖書」。その翻訳に携わったチームの中で、多少なりとも原語の知識があったのは著者のおじのフレッド・フランズただ一人だった。ギリシャ語は大学で二年、ヘブライ語は独学だそうで。

この辺りは本書でさらに掘り下げられるのだろうか?フレッド・フランズが、裁判所で原語知識について問われたというのを何かで読んだ気がするので、続きに期待。

油そそがれちゃってた著者

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過去を改ざんし、都合の良い歴史を捏造するものみの塔協会

過去を改ざんするものみの塔協会

『良心の危機』第3章「統治体」。

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ほとんどのエホバの証人は過去の記録を見ることができないし、また協会がいかにして今日に至ったかを直接知っているわけでもない。権力中枢が行うこと、つまり権威の座にある者たちが行うことの数々もやはり知られないまま

なので、エホバの証人たちはものみの塔の思うままに情報操作されている。ジョージ・オーウェル「1984年」の全体主義国家のように、過去が書き換えられている。

『一九八四年』~塔から与えられればどんなに愚かしいことでもそのまま信じられるJW

『一九八四年』より

もし党が過去に手を突っ込み、この出来事でもあの出来事でも、それは実際には起こっていないと言えるのだとしたら、それこそ、単なる拷問や死以上に恐ろしいこと

真実の知識は、主人公の

意識の中にだけ存在するのであって、それも時期に抹消されてしまうに違いない。そして他の誰もが党の押し付ける嘘を受け入れることになれば-すべての記録が同じ作り話を記すことになれば-その嘘は歴史へと移行し、真実になってしまう。

エホバの証人の間ではこの状態がまかり通っている。過去は(ものみの)塔によって改変される。ラッセル&ラザフォードに離婚歴あり、やりたい放題に組織を牛耳っていた事実は抹消。逆に謙遜で慈愛に満ちた君子であるかのように創作。

エホバの証人は、ものみの塔組織によって外部情報を遮断される。もしくは組織外の情報は悪魔の述べる虚偽とされる。よってエホバの証人にとってはものみの塔の情報だけが真実と映る。

自身の歴史を改ざんするものみの塔協会

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エホバの証人の気まぐれ統治体、都合の良い理由は後付け

エホバの証人の気まぐれ教義

『良心の危機』第2章「私が本書を書く理由」、第3章「統治体」から。

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エホバの証人組織内の複数人の長老団制について。

  • 1932年、長老制を廃止
  • 1971年、長老団制度が復活

本書ではこの内幕が説明されている。1932年の廃止は、ものみの塔協会2代目会長のラザフォードが集権化のために長老制を廃止。

協会のやり方に賛成しない長老がいたという理由

による。

1971年の長老団制の再導入は

ほんの一握りの人間が実権を持っていたのであり、たった一人の人間(フレッド・フランズ)の気まぐれとも言える決定が世界規模の組織の方針を決定

したことによる。

1993年発行の『エホバの証人-神の王国をふれ告げる人々』ではこの長老制再導入により組織のイメージを持ち上げようと、

聖書の用語に関する「注意深い研究」が「統治体」の監督のもとで行われ、その目的は「聖書に保存されてきた型」に「一層十分に合わせる」ことであり、「神の組織に服し続けることを決意して」、「組織をこの聖書的な型に一層厳密に合わせる」

ためだったかのように書いている。しかし、この姿勢は建前で全部ウソであることが本書で明かされている。聞こえの良い言葉で信者をたぶらかすのがものみの塔の常道。(私にしてみれば、統治体やら聖書、神の組織と、胡散臭さ満点だ・・・)

ものみの塔組織がいかに冗談じみたものか、茶番か。こんなものに人生を賭けるというのは無意味で、どれだけ間違った選択かということが分かる事例。

これは長老団制の導入云々だけではない。一事が万事、統治体の気まぐれで決められていることが3章「統治体」で書かれている。

JW(エホバの証人)の統治体の聖書的無根拠~すりかえ

エホバの証人は『統治体の証人』か『統治体教』に改名しよう

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聖書に不忠実な創作、ものみの塔協会の大筋3点セット

ものみの塔の大筋3点セットはすべて創作

『良心の危機』第2章「私が本書を書く理由」から。

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本書の著者らが記した、エホバの証人の宗教本『聖書理解の助け』について。著者自らその本を振り返っている。

先入観にとらわれたり、聖書そのものにもっと忠実であってしかるべきだった箇所もある。それが自分でもわかっているのは、例えば「諸国民の定められた時」「忠実で思慮深い奴隷」「大群衆」などの項目

このいずれにも、ものみの塔協会の教えを支持する目的で書かれた部分が含まれてしまっている。

「定められた時」は今ではなく、すでに過去。さらに「忠実で思慮深い奴隷」が存在したのも過去の話。当然「大群衆」はエホバの証人ではない。と先入観を取っ払うとものみの塔の根幹が揺らぐ。

つまり、エホバの証人の信じていることの大筋は全てものみの塔の創作。

不屈の精神より、エホバの証人としての贖罪を手軽な行動で示せ

聖書に不忠実なものみの塔のマインドコントロール情報

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完全なる無駄な人生を送った、エホバの証人(JW)

重大な決断を他人に預ける、エホバの証人

『良心の危機』第2章「私が本書を書く理由」より。

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エホバの証人のせいで結婚・出産を諦めた人の話が出てくる。1938年、酒好きのものみの塔協会会長のラザフォードがこう講演している。

今、この人たちにとって結婚して子供を作ることが聖書的に適切なことでしょうか。否、というのが聖書に裏付けられた答えです

聖書に答えを求めんなと、適切かどうかお前が決めんなと、何ふざけたこと言ってくれてんの?という感じだが、マインドコントロール下にある人にはその程度の判断能力すら失われてしまっている。

重大な人生の決断を赤の他人に預けてしまう。しかも飲む打つ買うの三拍子揃った大悪党ラザフォードに。

ものみの塔協会二代目会長ラザフォードの生涯から学ぶ人生の意義

ラザフォードが今と言っているのは、1938年。本人の主張ではこの世の終わりハルマゲドンが間近に迫っているという設定だった。

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不屈の精神より、エホバの証人としての贖罪を手軽な行動で示せ

私怨より義憤、憎しみより道徳的義務?

『良心の危機』第2章「私が本書を書く理由」より。

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著者がこの本を書いたのは、自身のエホバの証人としての稀有な経験と、さらに一般エホバの証人が知り得ないことを知ってしまったこと。そして、その2点から導かれる道徳的義務だと説明している。

なかなかにお上品な動機であり、エホバの証人組織への怒りとか憎しみとか恨みで動いている私との違いを感じる。

この本の影響は大きく、人を動かすには(特にマインドコントロール下にある特殊状態の人には)負のエネルギーよりもこういった道徳的、高尚なものの方が効くのかとも思ったり。

という訳で、第一にカルト被害者の救済。第二に社会悪であるカルト組織の撲滅のために。そして、第三に大きな大きな私怨と、看板を掲げ直すか。とはいえ、第一第二要因についても、義憤といった方が良くて。やはりこの本の著者と私の動機はちと違うなと。

元エホバの証人2世の贖罪

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