エホバの証人の気まぐれ教義
『良心の危機』第2章「私が本書を書く理由」、第3章「統治体」から。
エホバの証人組織内の複数人の長老団制について。
- 1932年、長老制を廃止
- 1971年、長老団制度が復活
本書ではこの内幕が説明されている。1932年の廃止は、ものみの塔協会2代目会長のラザフォードが集権化のために長老制を廃止。
協会のやり方に賛成しない長老がいたという理由
による。
1971年の長老団制の再導入は
ほんの一握りの人間が実権を持っていたのであり、たった一人の人間(フレッド・フランズ)の気まぐれとも言える決定が世界規模の組織の方針を決定
したことによる。
1993年発行の『エホバの証人-神の王国をふれ告げる人々』ではこの長老制再導入により組織のイメージを持ち上げようと、
聖書の用語に関する「注意深い研究」が「統治体」の監督のもとで行われ、その目的は「聖書に保存されてきた型」に「一層十分に合わせる」ことであり、「神の組織に服し続けることを決意して」、「組織をこの聖書的な型に一層厳密に合わせる」
ためだったかのように書いている。しかし、この姿勢は建前で全部ウソであることが本書で明かされている。聞こえの良い言葉で信者をたぶらかすのがものみの塔の常道。(私にしてみれば、統治体やら聖書、神の組織と、胡散臭さ満点だ・・・)
ものみの塔組織がいかに冗談じみたものか、茶番か。こんなものに人生を賭けるというのは無意味で、どれだけ間違った選択かということが分かる事例。
これは長老団制の導入云々だけではない。一事が万事、統治体の気まぐれで決められていることが3章「統治体」で書かれている。
統治体の会議について本書では以下のように書いている。
- 議題は当日初めて知ることがほとんど
- 全員一致の投票で決議
- 寝ている奴がいて、投票時に起こされる
- 賛成できない動議でも大多数への譲歩を迫られるプレッシャーがある
(筆者はその同調圧力に何度も重要な場面で屈している)
そして統治体は、夫婦間の性的行為の規定にも立ち入り、数多くの破綻夫婦を生み出す。その成り行きが露骨に描かれた第3章前半。統治体のオッサンどもの性的妄想。その決定が
何の予備知識もなく、またよく考えてみることもなく、特別な祈りもしなければ特に聖書を調べることもなかった男たちが、何時間もかけずに下した
ものだった。
“エホバの証人の気まぐれ統治体、都合の良い理由は後付け” への1件の返信