エホバの証人の集会、盲信テキスト「童貞の妄想は失望に終わる」

エホバの証人の確信は盲信

エホバの証人の週末の集会テキスト(2024/2/12-2/18)。「私たちの希望が失望に終わることはない」という記事。

パウロは,私たちの「希望が失望に至ることは[ない]」と確信できる理由について説明しています

その根拠となる聖句はローマ5:5

「その希望が失望に至ることはありません。私たちに与えられた聖なる力によって,神の愛が心の中に注がれているからです」

希望が失望に至らないことの説明にはなっていない。「聖なる力」やら「神の愛」やら、不確かなモノを盲信しているだけ。

確信とは、はっきりとした証拠によるモノなのだが、それが「聖なる力」やら「神の愛が心のなかにー」という、極めてあやふやなモノ。それは確信でなく盲信。

エホバの証人の気まぐれ統治体、都合の良い理由は後付け

童貞の妄想は失望に終わる

天に行くよう選ばれたクリスチャンは,この希望を大切にしています。その1人であるフレデリック・ フランズ兄弟は1991年にこう言いました。

「私たちの希望は確かなものであり,私たちが想像さえしなかったほどに,小さな群れの14万4,000人の成員の最後の一人に至るまで完全に成就するでしょう」

「[私たちは]その希望の価値観を失ってしまったのではありません。……それを待たねばならない期間が長ければ長いほど,その希望の価値を深く認識します。その希望は,たとえ100万年かかろうとも待つだけの価値があるのです。私は自分の希望をかつてなかったほど高く評価しています」

「100万年」って、子どものギャグですか?どんなモノにも、そんな価値は無いよ。

「完全に成就するでしょう」って、自作教理の成就を勝手に決めつけているだけ。「高く評価しています」って、自己評価で勝手に気持ちよくなってるだけ。

フレデリック・ フランズは生涯、純潔だったらしいので、「希望」を全部「童貞の妄想」と読み替えた方がしっくりくる。

「童貞の妄想の成就を待たねばならない期間が長ければ長いほど、童貞の妄想の価値を深く認識します。童貞の妄想は、たとえ100万年かかろうとも待つだけの価値があるのです。私は童貞の妄想をかつてなかったほど高く評価しています」

100万年待つ前にさっさと遂げた方が良いな。こんな童貞の妄想で、20世紀後半のエホバの証人たちは人生を損ねてきた。

パウロは,聖なる力に導かれて次の保証の言葉を語りました。「その希望が失望に至ることはありません。私たちに与えられた聖なる力によって,神の愛が心の中に注がれているからです」。ですから,私たちはエホバが与えてくださった希望が必ず実現すると確信できます。

ですから、じゃねぇよ。順接で前後の文章がつながらねぇよ。

「エホバが与えてくださった希望」は実現しないよ。それ「童貞の妄想」だから。

正しくは以下。

「童貞の妄想が失望に至ることはありません。私たちは盲信によって、心の底から信じ込んでいるからです」。ですから,私たちは童貞の妄想が必ず実現すると盲信しています。

「信じているから、信じている」って言っているだけ。そこにはっきりとした証拠はない。つまり、盲信。


“エホバの証人の集会、盲信テキスト「童貞の妄想は失望に終わる」” への1件の返信

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください