エホバの証人が受けている自称「苦難」は、行いゆえの正当な糾弾

エホバの証人の希望は妄想

エホバの証人の週末の集会テキスト(2024/2/12-2/18)。「私たちの希望が失望に終わることはない」という記事。昨日の記事の続き。

自分の経験と照らし合わせて考えるなら,希望が時間と共により確かなものになっていることが分かる

エホバの証人は、時間を費やしすぎて、支払った時間が惜しくて損切りできなくなっているだけ。今、エホバの証人を脱会するのが、時間的被害を一番少なくすることができる。

現代,エホバに仕えるほとんどの人は別の希望を持っています。それはアブラハムが持っていたのと同じ希望で,神の王国が統治する地球で永遠に生きるというものです

参照聖句が幾つか載っているが、地上で永遠に生きるなどということは、一つも聖書には書かれていない。つまり、

エホバの証人の持っている希望は、聖書的無根拠でウソ。妄想。そりゃ失望に終わる。

エホバの証人、「日本の区域の必要」特別プログラム

エホバの証人の信仰と苦難は関係ない

パウロは苦難を経験することと希望への確信が強まることを関連付けています。これを不思議に思う人もいるかもしれません。実際,キリストに従う人たちはみんな苦難を経験します

アホやん、これ。

天に行くやら、地上で永遠に生きるやら、あり得ない妄想を抱いて社会に迷惑かければ、そりゃ苦難というか、批判を受ける。正当な批判。苦難を受けることは、宗教的真正性とは一切関係ない。

そもそも、苦難なんて気分次第。自分の受け止め方次第。そんなモノが確信にはつながらない。盲信を深めているだけ。

ヒトラーだって、最期は連合国軍に攻め込まれて苦難ど真ん中だったろうよ。苦難を受けるべくして受けている。自分でその状況を引き起こしているにすぎない。

友達や親族からばかにされたり,厳しい接し方をされたりすることもあるかもしれません。正直に行動しているために,職場で嫌がらせを受けていますか。政府から伝道活動をやめるようにと圧力をかけられているかもしれません

だから、それ当たり前。統一教会の信者だって、オウム真理教の信者だって、同じ目に遭うべくして遭っている。

「苦難によって忍耐力が身に付く」とあります。全てのクリスチャンは苦難を経験することになっているので,忍耐することを心に決めておく必要があります。忍耐して初めて,将来の希望が現実のものとなるのを自分の目で見ることができます

クリスチャンというか、カルト信者だから苦難を経験しているだけ。忍耐というか、盲信を強め頑迷にさせられているだけ。


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