過去を改ざんするものみの塔協会
『良心の危機』第3章「統治体」。
ほとんどのエホバの証人は過去の記録を見ることができないし、また協会がいかにして今日に至ったかを直接知っているわけでもない。権力中枢が行うこと、つまり権威の座にある者たちが行うことの数々もやはり知られないまま
なので、エホバの証人たちはものみの塔の思うままに情報操作されている。ジョージ・オーウェル「1984年」の全体主義国家のように、過去が書き換えられている。
『一九八四年』~塔から与えられればどんなに愚かしいことでもそのまま信じられるJW
『一九八四年』より
もし党が過去に手を突っ込み、この出来事でもあの出来事でも、それは実際には起こっていないと言えるのだとしたら、それこそ、単なる拷問や死以上に恐ろしいこと
真実の知識は、主人公の
意識の中にだけ存在するのであって、それも時期に抹消されてしまうに違いない。そして他の誰もが党の押し付ける嘘を受け入れることになれば-すべての記録が同じ作り話を記すことになれば-その嘘は歴史へと移行し、真実になってしまう。
エホバの証人の間ではこの状態がまかり通っている。過去は(ものみの)塔によって改変される。ラッセル&ラザフォードに離婚歴あり、やりたい放題に組織を牛耳っていた事実は抹消。逆に謙遜で慈愛に満ちた君子であるかのように創作。
エホバの証人は、ものみの塔組織によって外部情報を遮断される。もしくは組織外の情報は悪魔の述べる虚偽とされる。よってエホバの証人にとってはものみの塔の情報だけが真実と映る。
自身の歴史を改ざんするものみの塔協会
1993年、エホバの証人組織の歴史を記した本がものみの塔から発行された。「エホバの証人-神の王国をふれ告げる人々」は自称
「客観的」で「ありのままの」記述だけということになっている
エホバの証人は情報操作され、自身の中の真実が捻じ曲げられているので
この公平にして「ありのままの歴史」とやらを基本的には受け入れるしかない。
ところが、「良心の危機」の筆者曰く
これほど「手が加わって」いて「客観的」ではないものも珍しい。
「ふれ告げる」に書かれている
組織の歴史や方針は、現実とはずいぶん違う
ものごとは多方面から見ないと真実は見えてこない。
Aの言っていることにはAの主張が込められていて、Bの言っていることにはBの主観が入っている。しかし、特に二人ともウソはついていない。
A「この飲み物は苦いから飲めたもんじゃない」
B「この飲み物は美味しい」
真実は間をとって、
「この飲み物は苦みの効いた美味しいビールだ。でも中学生のAにはまだ早い」と。
それをね、自身に都合よくウソをつくCの言うことだけを聴いていたら、真実から遠ざかるばかり。道を人生をあやまる。
C「この飲み物は毒性があるので、私の造ったビールだけをビールと見なして下さい!」
そうやって毒入りビールを子供にも振舞っているのがものみの塔協会。