『良心の危機』、リーダーは被害者意識で罪から目をそらすな

リーダーが追随者って?

『良心の危機』、第11章「決心」。クライマックスなのか、やたらと長い本章。昨日の記事で書いたように不愉快な所もあるが、読む価値は充分にある。

快不快を含めて著者の人となりが文章だけで伝わるので、筆力はさすが。長年教団の無茶ぶり宗教本を、何とか着地させていただけのことはある。

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著者には悪いのだが、今日も不快な部分から。ある元エホバの証人たちが著者に語った言葉が

「私たちは追随者の追随者だったのです」

「私たちは犠牲者の犠牲者だったのです」

これに対して、著者はこう書いている。

どちらも当たっている。チャールズ・テイズ・ラッセルは、ある人々の言うことに従った結果、「明らかにされた真理」という概念の犠牲となった。以来、歴代のリーダーたちも同じ道をたどり、時としてもとからあった思い込みにさらなる思い込みを付け加えていった。私にはこれについて許せないような気持ちはなく、ただ自分の知っている人たちに対して気の毒だと思うばかりである。私もそういう「犠牲者の犠牲者」であり、「追随者の追随者」だった

おいおい、お前は被害者づらしちゃダメだろ。あと歴代リーダーと創始者ラッセル君も、犠牲者とか追随者では決してない。

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1914年、ものみの塔の独創的オモシロ予言解釈3つ

宇宙時代の幕開けが、「終わりの日」の始まり

『良心の危機』、第10章 1914年と「この世代」。1914年の世代が死に絶える前に、ハルマゲドンが勃発するというのがものみの塔の聖書解釈。

ものみの塔は、その「世代」をどこまでも拡大解釈することで予言非実現のごまかしを続けていた。しかし、ネタ切れになり苦し紛れの素案が統治体内で議論される。

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まず一つ目、独創的なオモシロ提案。

太陽は暗くなり、月はその光を放たず、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされるでしょう

という聖書の言葉に関連して、宇宙時代の幕開けとなった1957年、

旧ソ連のスプートニク号が初めて宇宙に打ち上げられた年

を1914年と読み替えようというもの。これは統治体メンバーが本気で統治体全体に対して提案したもの。

時を一気に43年も稼げるし、聖書の言葉と宇宙開発が全くリンクしていないギャグ感が最高なのだが、これは非採用。

いついつまでも増殖する、油そそがれた者

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ものみの塔の希望的妄想、終わらない「終わりの日」

ものみの塔の終わらない「終わりの日」

『良心の危機』、第10章 1914年と「この世代」から。「この世代」が死に絶える前に、世界に終末が到来するというのが、ものみの塔の年代予測。

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「この世代」というのは1914年の世代。エホバの証人にとって、当初は終着地点だった1914年はいつか始まりの年になり、その始まりの解釈も延々と先送りされてきた。

1914年の世代、当初は1914年に壮年だった者の世代、この人たちが最大限長生きしたとして130才になるくらいまでに、この世の終わりが来るとされていた。

これが徐々に延ばされ、第一次世界大戦の終戦のまで世代は引っ張れると、終戦の1918年までの4年間をチマチマと稼いでみたり。

さらに時が過ぎると、1914年生まれでもいいんじゃねと、1914年生まれの赤ちゃんが全員寿命で死に絶えるまでと延長。

現在の設定では、1914年っぽい雰囲気を味わった世代が死に絶えるまでとなっているはず。解釈次第でどこまでも延長できる実質無期限。

1914年だと日本だと大正時代、はいからさんが通るの頃。大正ロマンなんてとうに失われているので、とっくに時間切れ。しかし、ものみの塔に言わせれば、1914年以降の終わりの日が継続中という設定らしい。終わらない「終わりの日」が。

ものみの塔の予言は単なる見解、信ずるに値しないのだが・・・

真理ではない1914年のものみの塔教義

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ものみの塔協会の1975年の予言ハズシ、統治体の資質不足

エホバの証人(JW)、1975年のカラ騒ぎ

『良心の危機』、第9章 1975年「神が行動されるのに適切な時」より。7章、8章で、ものみの塔のもはや伝統芸と化した予言全ハズシからの責任転嫁の実態が暴かれた。そしてもう一度1975年。全く同じパターンが続く。

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ものみの塔のパターンとは、

そもそもの歴史を通じ、まったく同じパターンで歩んできている。年代についての人々の期待感をあおってはそれが裏切られる。そして後に、落胆の責任は書いた側にはなく、すべてそれを受けとって期待しすぎた側にあるのだとする-これがお決まりのパターン

つまり、ものみの塔のお家芸。これに巻き込まれる信者は悲惨。

ある人は店を売り、またある人は仕事を辞め、また家や農場を売り、家族を連れて「より必要が大きいところで奉仕する」ために別の場所に移り、1975年まで何とかなるだけの貯金を頼りとした。
また年配者の中には、保険・証券類を換金した人もいた。千年期が来ればその必要もなくなると考えて手術を受けないことにした人もいた

この悲惨で愚かだった人々に対して、本書の著者にも責任がある。著者は、この1975年フィーバーの際にエホバの証人の最高意思決定機関である統治体メンバーだった。

『ものみの塔の終焉』1975年狂想曲

これは正直に言わねばならないが、私自身も1966年に『神の自由の子となってうける永遠の生命』を読み、ヨベルの千年期の近いことを高らかに謳っているのを初めて目にした時はいささかの驚きと興奮を覚えたし、その後、1975年を中心にして回った宣伝活動にまったく関わらなかったわけでもない

著者は後年、良心の呵責により本書を執筆した功績はあるものの、騒ぎの最中は傍観者に近い。というより、一旦は予言を信じて興奮しちゃった側。

信じちゃうのは仕方がない。子供の頃から、エホバの証人環境を周囲に作られれば、それが本人の全世界であり現実となる。

現代人だって、地球は平らで地平線の端は滝になっているんだと子供の頃から教えられて、大人たちもそう信じていれば、大概は地球が丸いなんて気付かない。これと一緒。ものみの塔の予言は絶対!と周囲の誰もが妄信していれば信じざるを得ない。

しかし、一抹の疑念が生じたのに、そのまま立場に流されたと著者は告白している。この罪は重い。

1975年に向けて、家や土地を売り、保険を解約した愚かで無垢な人々に対する罪。一緒になって騙されていたのならともかく、予言の実現に逃避した信者が圧倒的に人生を損なうのを黙殺した罪。

当時の著者は、軽く警鐘を鳴らしてはいるが、この時点でものみの塔組織を拒絶しなかったのであれば、ものみの塔の偽予言者たちと罪は同罪。

著者が、統治体現役メンバーとして、ものみの塔が予言外すぞキャンペーンなどをメディアを通して1975年にリアルタイムでやっていれば、ものみの塔に大きな打撃を与えられたはず。

そうしなかった、そうできなかったのは、著者が環境や立場に流される人間だったから。自分の倫理・美意識に沿って行動し、環境を変えようとする人間ではなかった。

統治体メンバーも同じ。自分の考えとは関係なく、空気読んで多数決に流されちゃうタイプ。

こういう人間たちは組織の上に立つべきではない。進むべき方向へ舵を切れないので、組織まるごと流されるままになる。ましてや統治など。結果、多くのエホバの証人たちが未だに人生を大きく損ない続けている。


信用に値しないと自身でも認めるものみの塔協会、当たらない予想屋

人間だから間違うというものみの塔協会は信用に値しない

『良心の危機』第7章「予言と独断」。本章の末尾部分でものみの塔の「目ざめよ!」誌1993年3月22日号が掲載されている。内容は、ものみの塔が予言をハズしまくったことに関して、偽預言者ではないという見苦しい弁明。

この「目ざめよ!」の1993年当時の私は、エホバの証人脱会決意を固めていた少年。中学生になる直前。この記事を覚えていないのは、ろくに読んでいなかったからか。脱会する数年後に読んでいれば、ものみの塔のことをボロクソに言う材料にしたと思うのだが、今代わりに言っておこう。

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この「目ざめよ!」誌の本文はこう。予言する人について

自分の語っている事柄は正しいと誠実に信じている人もいます。そうした人々は、聖書の言葉の一部や物理的現象について独自の解釈に基づいた期待を唱えます。エホバから直接啓示を受けて予言している、つまりエホバの名前によって預言しているとは唱えません。ですから、そのような場合、予言がそのとおりにならなくても

偽預言者とみなすべきではありません。人間は誤りを犯しやすいため、物事を誤解していたのです。

だから、ものみの塔を偽預言者と呼ばないでということ。もともと独自の見解を述べているだけだし、人間だもの、間違いはあるから許してねと。

ここに書いてあることが全て真実だとは決して思えないが、話の筋には辻褄が通っている。以下の流れ。

  1. ものみの塔は誠実な人間の集団で、聖書の独自解釈で予言している
  2. そして、人間なので間違うことも多々ある

ということ。よく理解できる。つまりは

  • ものみの塔は信用に値しない

もうちょっと優しく判断すると

  • ものみの塔の予言は信用に値しない

くらいだろうか。

ものみの塔協会は予言ハズシの老舗、偽預言者の伝統芸

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ものみの塔の予言は単なる見解、信ずるに値しないのだが・・・

ものみの塔の予言は時が来ると見解に変わる

『良心の危機』第7章「予言と独断」より。エホバの証人の予言によると、かつては1914年が終着駅だったのだが、いつの間にか1914年が出発地点になっていたと昨日の記事で書いた。

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1914年以前のものみの塔本では

1914年が「不完全な人間たちによる統治の終わりである」と断言されている

しかし、

1914年について自信満々に予言していたことが起こらなかったため

1914年以降のものみの塔本では、予言ハズシを隠すために

明らかな手直しが行われている

当時ものみの塔会長であったラッセルは1914年何が起こるかについて特に何も言っていなかった

ことにされている。さらに

強い期待感や独断的な主張があったとすればそれはラッセルではない側、つまり読者の側に責任があった

という書き方をするようになった。責任転嫁。

本書の著者はこれがいかに欺瞞であるか、退屈な大昔のものみの塔本をきっちり引用して証明している。

1914年以前のものみの塔は、1914年に地上の国家権力が崩壊するのは揺るがない真理と書いている。ところが1914年が近づくと日和って

我々としては異邦人の時が患難の時に終わることについて、あるいはそれに続いてやってくる栄光の時代について、何も預言したことはないのです。我々はただ聖書の言うところを示し、その意味について我々の見解を示したのであり、これがいかなる意味を持つかについては読者諸君それぞれが判断してもらえるようお願いしたようなわけなのです。

と、完全消化不良な書き方になる。

ものみの塔が言う見解というのは、単なる妄想に過ぎない。かつては確信に満ちた真理と書き、刻限が近づくと一見解ですと及び腰になる。これがものみの塔詐欺。これは確信に満ちた私の見解です。

ものみの塔の人生そのものを操作されるエホバの証人

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エホバの証人(JW)の統治体、その腐りきった思考回路

安心してものみの塔にいられるように?

『良心の危機』、第5章「しきたりと律法主義」から。

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なぜ、エホバの証人(JW)が従うものみの塔の指針はなかなか変わらないのか?変わるときも、なぜそれまでの方針の過失を認めないのか?

それは教団の方針を決める統治体の考え方にある。

長年にわたって何千という人たちが協会の方針に従うということで投獄をはじめ大変な目にあってきた。今になって方針を変更すれば、ではこれまでの苦労は必要なかったのかということになるだろう。そういった苦難も「義のための苦しみ」として満たされた気持ちで受け入れていたであろうに、ここで変更しては幻滅が生じ、自分の受けた苦しみを他の人は受けずに済むのかという不公平感すら生まれる

というのがエホバの証人の統治体様の考え。私も統治体の立場であれば同じように感じる。エホバの証人活動を苦行かつ罰ゲーム的辱めだと捉えているから。

そもそも苦難を喜びだと感じるマインドコントロール状態にはない。指針を改変して、幻滅・不公平感祭りで信者の脱会が増加するのも良いし、古い指針に固執して時代の流れに即さなくなって叩かれるのも良し。

筆者は逆で

むしろそのように苦しんだ人たちは、もはや自分たちが味わったように苦しみを味わう必要もなくみんなが安心して組織にいられるのだと喜んでしかるべきではないかと感じた

と書いている。本人は

聖書が説く精神

に寄せているつもり。実際そういった清らかな思いなのかも知れないが、カルト組織が安心していられるように変わるのを喜びと感じるのは、やはり脳内お花畑のJW状態。

輸血解禁、子供の信仰は子供の完全選択方式。楽園なし、復活なし、永遠の命なしの3なし実現からのハルマゲドン来ません&油そそがれてません宣言。ここまで膿を出しきってカルト臭消して、ものみの塔は聖書クラブの老人会になりました。安心して聖書を学べますとなったら。

それって喜ばしいかと言われれば、そうでもなく。現状よりは相当にマシなのかも知れないが。私が人間出来ていないのかも知れないけど、カルトはカルトらしくしてくれないと息を吹き返しちゃうかもしれない。

子供の頃に受けた私自身の恨みのためにも、ものみの塔には跡形もなく消滅して欲しい。

現状のものみの塔が体罰をやめている体なのは、無垢の子供が被害を受けなくて良いのかとは思う。しかし、過去について詫びることなく、悪びれることなくというふざけた姿勢。やはり徹底的に叩き破滅させたい。

ものみの塔聖書冊子協会に電凸した話の続き、体罰推奨協会

内部から清浄化されるのではなく、外部から燃やし尽くしたい。

いずれにせよ、内部から清浄化されることなど、腐りきったものみの塔にはあり得ない。たとえ輸血解禁でもしようものなら叩きまくって、死んでいった信者の不公平感を煽るだけ。

ものみの塔が腐っているのは統治体の精神による

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エホバの証人の統治体メンバー「ロイド・バリー君」、再登場

エホバの証人の統治体、いいかげんな決議

『良心の危機』より。昨日の記事では兵役拒否の代替公務、それをエホバの証人が認めるか否か、その変遷があったことを書いた。さらに、代替公務禁止期間に実際に投獄された信者も存在した。

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1978年に統治体内で「代替公務」解禁が議論になった際の詳細も本書に書かれている。

1978年のあの時、一人の統治体のメンバーが意見を変えなかったならば、今挙げた人たちの誰一人監獄行きにはならなかっただろう。

こうした人たちは良心的な理由で監獄行きになったのではない。組織に強制された方針に従ったのである

この意見を変えた統治体メンバーというのはロイド・バリー。本書では「代替公務」議論におけるロイド・バリーの優柔不断エピソードが描かれている。本書の脚注も参考にされたい。

ロイド・バリー君、一旦は代替公務解禁に賛成するものも、休憩を経て「やっぱやめた」となる。これで三分の二を下回り、全世界のエホバの証人が収監されることに。その後の再決議の際には、まさかの離席といういいかげん野郎。

『良心の危機』、エホバの証人(JW)の茶番の数々その1

バリー君、再登場

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エホバの証人の兵役拒否、代替公務に対する認否の変遷

エホバの証人が厳守するのは聖書でなくものみの塔基準

昨日の記事で、エホバの証人はものみの塔という鳥かごの中の人生と書いた。教義やら信者や信者家族のしがらみ、恐怖心に自らの精神までが捕らわれているということ。

『良心の危機』5章では現実に収監されたエホバの証人の話題が出てくる。

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国民に兵役が課せられる国の話。エホバの証人は兵役はもちろん武道など一切を拒否する。理由は聖書のどこかに「彼らはもはや戦争を学ばない」と書いてあるから。

それにしてはキリストの一番弟子ペテロは武装していて、キリストが捕まる直前に斬撃で応戦している。エホバの証人に言わせれば、それとこれは訳が違うということになるんだろうが。

であれば、聖書に書いてあること一部始終を厳守する必要はない。時代が違うんだから。現在の日本でペテロみたいに帯剣してる奴がいないように、血をタベナイーって聖書に書いてあるからって、それをどこまでも拡大解釈して輸血拒否するのもおかしい。

そもそも聖書なんか現代日本人にはどうでも良くて、単なる異文化のベストセラーに過ぎない。これを言うとおしまいなので、エホバの証人は聖書厳守しているつもりで、結局はものみの塔基準を厳守しているというのが今回の主旨。

ものみの塔が聖書をつまみ喰い&脚色した独自教義を厳守しているのがエホバの証人。ペテロの帯剣は無かったことにして、戦いを学ばないだけを徹底フル適用。そして血をタベルナを超拡大適用。

そして、兵役を拒否する代わりの「代替公務」。聖書には兵役の代わりに政府が用意した「代替公務」を避けろなんて書いてある訳がない。

エホバの証人の兵役拒否、「代替公務」の認否の変遷

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ものみの塔という鳥かごの中の人生、未来に対して無意味な人生

投獄されるエホバの証人

『良心の危機』から。なかなか読み終わらない本書。分厚い本だとしおりの位置でどこまで読み進んだか分かるのだが、今回は電子書籍で読んでいるので外観からは不明。アプリ内で本を開く前に何%と出るので、確認してみるとまだ三分の一程度。

まだ折り返してもいないのに、ものみの塔の冗談じみた不義の数々が出てくる。ものみの塔と統治体のやっていることは茶番なのに、信者一人一人の人生にとっては悲劇に転換される。災厄を撒き散らすものみの塔。

私みたいに日本のエホバの証人2世だと、体罰を受けた、子供時代に自由を制限された、進路を狭められたというような親との関係が問題のメイン。その結果、現在の経済的困窮だったり、精神的な問題を抱えていたり、家族の問題があったり。

本書の5章後半から6章で取り上げられている話題は、エホバの証人と対政府の問題。エホバの証人信者として不合理なものみの塔の指針に従い投獄される話。

日本のエホバの証人は収監までされないので、マシだと言うつもりは一つもない。人は置かれた場所で、各自の問題と戦っている。それでも、しょうもないものみの塔の方針のせいで何年間も牢で過ごすというのは、やりきれない。想像しがたいものがある。

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『良心の危機』、エホバの証人(JW)の茶番の数々その1

『良心の危機』、エホバの証人(JW)の茶番の数々その2

ものみの塔という牢で過ごす無意味な人生

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