エホバの証人をやめて健康になれた話。今は病み上がりだけど・・・

夏休みを病んで終えるエホバの証人の子ども

人生を切り開く生き方とは

旅先で体調を崩した話の続き。体調を崩す直前、とある大きな寺院に参拝していた。参拝というか、私は古い建物を見るのが好きなので、ほぼ観光。

その後、ホテルで発熱して天井がグルグル回っているときに、ふと思う。

「この熱の原因は、最後の賽銭箱に100円入れるのケチったからか?バチが当たった?目の前にありがたそうな像がご鎮座していたしな・・・物珍し気に眺めて帰ってきただけなのがマズかったか・・・」

体調が悪いと、血迷った発想をしがち。

「待てよ。待てよ。他の賽銭箱にはたいがい100円ずつ入れたし、都度、ここに来られたことのお礼を述べてきた。充分だろ。待て待て、最初に拝観料800円払ってんじゃんかよ」

こいつは関係ないな。ご利益あれど、神罰あってたまるもんかと。

翌日、医者に行くと、原因は数日前に食べた鳥刺しが濃厚と言われる。

やはり病気には、宗教より医学。

人生においては、霊的なものより物質的な課題を考えるのが先。目の前の物質的な課題を淡々とこなした上で、神仏にすがるのが人生の筋。「困った時の神頼み」でなく「人事を尽くして天命を待つ」のが人生を切り開く生き方。

エホバの証人をやめて健康になったと病人が言う

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元エホバの証人2世の屈辱のクリスマス、辛い思い出

元エホバの証人2世のクリスマス

エホバの証人とクリスマス

明日がクリスマスなので、子どもたちが寝静まったらプレゼントを枕元に置かないと。わが家の子どもたちは靴下を吊り下げて寝たけれど、そんな小さな靴下じゃプレゼントは入らないな・・・。というか、うっかり寝てしまわないように気をつけよう。

息子はまだ4才で、サンタクロースがいると思っているのかいないのか?サンタへの手紙で、欲しいプレゼントと「ちゃんとお片付けします」と約束を書いていた。幼稚園にもサンタクロースが来たらしいので、まさかソリで空を飛んでくるとまでは思っていないのだろうが。

私の場合、物心ついた瞬間からクリスマスはこの世の商業戦略だと親に教えられた。だからプレゼントを貰ったことも、クリスマスにケーキを食べたことも一度もない。理由は我が家がエホバの証人一家だったから。

子どもの年に一度の楽しみなので、商業戦略だろうが何だろうが、乗っかってやれば良いのに。エホバの証人はしょうもない細かいところにこだわる。クリスマスはキリストの誕生日ではないとか何とか。どうでも良いです。そんなこと。

クリスマスはプレゼントを交換してシャンパンを飲んだくれる日。それで良いっしょ?

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

エホバの証人のクリスマスケーキ

エホバの証人2世にとって苦痛のクリスマス

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エホバの証人のどうでも良い教理、些細なことにこだわる理由は?

乾杯禁止のエホバの証人

下らない理由で創られた教理で死んでいくエホバの証人

真理真氏作成のエホバの証人解約資料を読んでいる。第4弾「神の経路と奴隷級」。ダウンロードはJW解約-エホバの証人の真理を検証する

『差別化のための教義』の項に以下のように書かれている。

カルト教団の特徴にならい、他の教会から差別化を図るために大して重要でない教義に重きが置かれて

いる。自身を差別化し、信者に特別感や優越感を持たせる。一般的な行動を避けさせることで、信者に一体感を抱かせ、それを信者間の兄弟愛と勘違いさせる。

このために、エホバの証人には瑣末な下らない教理が多数。この資料ではエホバの証人の下らない禁止例として、「誕生日」「十字架」「乾杯」が挙げられている。

他にも「三位一体の否定」「輸血拒否」「クジラ肉の禁止」「天使長ミカエルとキリストの同一視」など、どうでも良いことにエホバの証人はこだわっている。

つまらない些細な教理へのこだわりなのだが、これを押し付けられる信者側はたまったもんじゃない。輸血拒否で亡くなった信者も存在する。まさに命がけ。根拠は聖書に「血を避けよ」と書いてあるから。

愛溢れるキリスト様だったら、死を賭してまで「血を避けよ」なんて言うはずがない。命を捨ててまで古い法を守れとは決して言わない。はずなのだがマインドコントロール下のエホバの証人にはこの理論が通じない。「協会の出版物ガー、長老ガー、医療委員会ガー」となる。

ものみの塔を唯一の真理の経路であると権威付けるために、下らない教理が作られた。そのうちの一つ「輸血拒否」で実際に信者が死んでいく。亡くなった信者・家族にとっては一大事なのだが、戒律が作られたのは本当に下らない理由「他の教会との差別化」のため。

理由は、エホバの証人が、命がけで輸血拒否するのは目立ちたいから

エホバの証人教義の多数の矛盾

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「愛情注ぎまくり暴力なし」の教育方針が、エホバの証人にとってヤバい理由

エホバの証人親のヤバい光

エホバの証人の親の「懲らしめの鞭」の代わりとは

エホバの証人と懲らしめ(体罰)について最近Twitterで発見したことがある。

かつては、ものみの塔が懲らしめを推奨というか”やれ”と指示をしていた。それが、現在は世情に合わせて、「懲らしめの鞭というのは実際の鞭ではない」と、体罰非推奨の立場に様変わり。まるでカメレオン。

エホバの証人の親が、現在の協会の指令通りに体罰以外の鞭を行使すると、どうなるのか、怖い気もする。精神的な鞭なのか、食事抜きとかなのか(動物かよ)?

どちらにせよ、何らかの罰がないと、子どもがエホバの証人活動に従事するはずがない。つまらないし、ダサいし。友達と遊んだほうが一千倍楽しいから。では、どうやってエホバの証人の親は子どもを縛るのか?

体罰はダメとなると・・・言葉で精神的に抑圧したり、恐怖心を煽ったりして支配下に置くとか。こっちも相当根が深い。闇が垣間見える。

もしくは、

親の愛情注ぎまくりでエホバの証人活動に従事させるか。これは一見、宗教としては正しそうな道。でありながら、やっている宗教がカルトというのは恐怖。このパターンが一番ヤバい。

体罰と虐待によるエホバの証人の幼児教育 子どもの心が無くなる 王国会館は2世ロボット製造工場

変態的な懲らしめという児童虐待の犠牲者であるエホバの証人2世

「愛情注ぎまくり暴力なし」のエホバの証人の教育方針は激ヤバ

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エホバの証人の子ども向けの黄色い本の思い出、『わたしの聖書物語の本』

わたしの聖書物語の本

懐かしいような毒々しいような記憶

私はほぼ生まれながらにエホバの証人というカルト宗教を強制された。このカルトに両親がハマっていれば、もれなく子どももエホバの証人化される。いわゆる2世信者。

エホバの証人を信者として囲っているのは、ものみの塔という米国由来の宗教法人。ものみの塔は、信者の子どもをエホバの証人に仕上げるよう指導している。そのため、子ども向けの宗教本も製作されている。

子どもたちはその宗教本で、エホバの証人の教理や戒律を仕込まれる。私の記憶では、黄色い表紙の本。イラストが多めで聖書の逸話が一話完結で書いてある。私もこれを読まされていたのだが、やがて40年も前のことなので、内容はほとんど覚えていない。ときどきイラストがフラッシュバックする程度。

最近、思い出したのは水を飲む時の逸話。兵士が川辺に列になって並んでいる。水を飲む順番を待っているところ。順番に水を飲んでいく。実はこの水を飲む様子が兵士団の上層部によってチェックされている。

バカな兵士ばかりの神の国民

元エホバの証人2世が知らない、ステファノって誰?

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今から先の未来もエホバの証人に加担するのは現実逃避であり重罪

エホバの証人をやめる行動を始めるのは今

独善的な組織や人間には近寄るな

AmazonのKindleで読める『てい少年と悪魔サタン』

『てい少年と悪魔サタン』~姑息なものみの塔協会のやり口

元エホバの証人2世の自伝的小説。作中ではエホバの証人と明かされていないが、間違いなくエホバの証人の話。

話も終盤になり、少年は嫌々やっていたエホバの証人活動に根を詰めることにする。それはつまり、ものみの塔の求める生き方をするということ。

教団は実質、自分で考える事を否定し教団が与える情報を真理として受け入れる人間のみを認めた

自身の提供する情報だけを信じろという独善性。人の意見を取り入れない、こんな組織や人間に発展はない。近寄らないに限る。泥船に便乗して、人生のすべてを損なうことになる。

私もマジメにエホバの証人になろうかと思ったことが何度かあった。少年の頃。10才とか12才とかその頃。それは果たして自分で決めて考えたことだったのだろうか?

エホバの証人になるという決断をする段階で既に洗脳下

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カルトな毒親を持った子どもは、存在しているだけで立派

行動とご褒美は不安を打ち消す

不安は現実ではない

昨日の記事で、宗教親が子どもに対して無償の愛を抱いていないケースがあると書いた。この場合、子どもはどうなるのか?

出元はこの本『てい少年と悪魔サタン』より。

親が条件付きの愛情で育てると、その子は

いつも不安を抱えて、自信のない子になる

そして当然そのまま不安を抱えた自信のない大人になる

誰もがある程度の不安を抱えて生きているが、それでも家に帰れば家族や親がいて、心休まる環境で逃避というか休憩ができる。そこで心のエネルギーをチャージすれば、不安に押しつぶされてしまうことはない。

一人暮らしだったら、暖かい部屋でキンキンに冷えたビールを飲んで、テレビ見て爆睡して回復。

不安なんて、そもそも現実ではない。現実を見て自分の意識が変換・投影したのが不安という感情。そんなたかだか感情に押しつぶされてしまうなんてことが異常なのだが、親の愛情が欠如して育った子どもはこうなりかねない。

不安が自信に勝ってしまう。すると

性格が歪み、裏表の激しいひねくれた人格に育つ事もあれば、親の期待に応えない気持ちと自分の本心がせめぎあい疲れ果てて、うつ病などの心の病に苦しむ事も珍しくはなかった。

最悪のケースでは、やがて自死にいたるという痛ましい結末もあった。

というエンディングに。

親が生まれてきてくれた子を、そのままに愛するという無条件の愛。この無償の愛情がどれほど重要か。これが無かった場合は不安に押し潰されて死ぬしかないのか?この本にはキッチリこの先も書いてある。

カルトな毒親を持った子どもは存在だけで立派

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『てい少年と悪魔サタン』~姑息なものみの塔協会のやり口

未来は僕らの手の中

未来は僕らの手の中

昨日紹介した『私はこれでカルトをやめました。~人生搾取されたけどまぁいっか~』というAmazonのKindle本の続作。

こちらの『てい少年と悪魔サタン』も、作中では「エホバの証人」とは言及されていないが、明らかにエホバの証人2世信者の話。前作の続きではなく、前作を踏まえて、小説チックに仕立てられている。

タイトルの通り、少年期だけでスパッと終ってしまうのだが、伏線も幾つか回収されていないので、次作に是非期待したい。

作中に『バックトゥザフューチャー』の話がほんの一瞬出てきて(これだけでストーリー内一番の伏線を回収できているのだか・・・)、年代的に同年代40代の著者に大きく共感する。トランプのモデルになったあの人が懐かしい。

あとがきに、面白い面白くないのどちらにしても感想を教えてくれと書いてあったので、感想。

「面白い」

『夢を叶えるゾウ』のような雰囲気があるのだが、それとエホバの証人独特のサタン思想が相まっているという初期設定の段階で秀逸。この設定に乗っかって、子ども時代の辛酸が見事に吐き出されている。

我々カルト2世信者が失いがちな希望と、未来はいつも『今』の先にあり、未来はいつでも自分が握っているという、永遠不滅だが忘れがちな事実が軽いタッチで表現されている。

卑劣なものみの塔のやり口

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『私はこれでカルトをやめました。~人生搾取されたけどまぁいっか~』

エホバの証人の児童虐待

エホバの証人の子どもが強制される事実の誤認

AmazonのKindleで読めるエホバの証人脱会本。

私はこれでカルトをやめました。~人生搾取されたけどまぁいっか~

作中ではエホバの証人とは書かれていないが、明らかに脱会者の元エホバの証人2世の体験本。

物心ついた頃からのエホバの証人2世で、成人後に解約した体験が綴られている。著者は、恐らく私と同じ現在40代の男性。相通じるところが多い。

著者は、幼稚園に行かずエホバの証人漬けの幼少期を送る。

まだ世間を知らない子供にとっては今見ている世界が常識

幼稚園や保育園に行っていないのは私と同じ。小学校に入るまで、エホバの証人以外の人間に接する機会がほとんどないので、エホバの証人の世界が常識だと思い込んでしまう。エホバの証人による洗脳手法。

単なる常識なら殻を破れば良いのだが、

常識を通り越して事実と誤認してしまうことが、子どものカルト被害者にとっての恐怖私も、エホバやキリストの存在、ハルマゲドンというこの世の終わりの到来を事実として誤認していた。

周囲の大人たち全員が全員、真剣に

「サタンが~、エホバが~、ハルマゲドンが~、楽園が~」

と言っている。これを疑ってかかるというのは、他の世界を見もしない、知りもしない幼児には不可能。

友達ができないエホバの証人

今すぐエホバの証人をやめるべき理由~永遠の命というものみの塔の嘘

児童虐待というエホバの証人の罪

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エホバの証人が、エホバの証人以外の人に認めてもらう方法

エホバの証人をやめさえすれば、他者の承認を得られる

エホバの証人は、やはり犬

エホバの証人は特権大好きでものみの塔の犬だと昨日の記事で書いた。

ものみの塔の飼い犬エホバの証人と人間の尊厳を損なわせる特権

これはエホバの証人の1世信者に大きくあてはまる話なのだが、実は親ゆえにエホバの証人をやっているエホバの証人2世信者も根は同じ。犬。

特権が親の是認に置き換わり、そこにこらしめという罰が付け加えられる。こらしめという主に体罰は、子どもが大きくなれば親の是認を失うという罰に置き換わる。

こう考えると1世信者も同じ。特権というエサと組織の是認を失うという罰で動かされている犬。自分の意識を持たないエサと罰で操られているだけの家畜

極論になるが、人は誰に認められなくても生きていける。親がいなくても生きていけるし、友だちがいなくても生きていける。一人で一人で生まれてきて一人で死んでいくだけ。色どりのない人生ではあるが、悪の組織の犬になるよりは百倍マシ。

エホバの証人がエホバの証人以外の人に認めてもらう方法

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