「ものみの塔=絶対悪」論者のエホバの証人的思考回路
『エビのしっぽ』より。著者は常々、エホバの証人、元エホバの証人はものごとを相対化できない。相対化して見られない、と警鐘を鳴らしている。
「ものみの塔=絶対悪」論を唱えている私なんかはその典型。
結論を絶えず不安定にするという方法もあります。つまり、その結論は暫定的なもので絶対的なものでない、新たな情報が入れば、あるいは見方の転換を図れば、すぐに修正可能な状態にしておく
確かに、私はこういった考え方をしない。「ものみの塔=絶対悪」論以外でもそう。何でも白黒はっきりさせたい。初対面で人と会って、
「こいつは敵か味方か?」と。ここまで大げさでなくても、
「仲良くなれるか否か?」「友達になれるか否か?」
今でも、第一印象で判断しがち。二十代の頃は本当に「敵か味方か?」で判断していた。
仕事でも同じ、「やるかやらないか?」「どうやるか?」結論を急いじゃう。
これがエホバの証人だったことと関係あるのか?
今までそんなに気にしていなかったけど、どうやら大アリなようで。
「ものみの塔=絶対悪」論者(また決めつけてるが・・・)としては、ものみの塔的思考が自分の中に寸分でも残っているのはイヤ。気持ち悪いというか、気に喰わない。
”ふさわしい”、”ふさわしくない”の二択で決めつけるエホバの証人
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