無根拠で突き進み、人生を失うエホバの証人
元エホバの証人2世の骨太論考集『エビのしっぽ』より。Kindle Unlimited会員なら無料で読めた。(2022/5現在)
エホバの証人は、ものみの塔の宗教本に
書いてあるからと確信するに足る根拠を得るための手順を省略する
これはエホバの証人に限った話でなく、人間全般にあてはまる。著者もそれには好ましい面もあると述べている。生活手順の合理化、人間関係の円滑化を図れる。
例えば、子どもが親に言われること。「手を洗え」「食器を片付けろ」その根拠をいちいち考えていたら、日が暮れてしまう。
地域のルール、交通ルール、家族のルールなども同じ。初めて渡る交差点を見るたびに「ここは何で二段階右折しないといけないのだろう、制限速度40kmの根拠は?」とやっていたら、どこにもいけない。
親戚の家に泊まって、「車はここに停めて、コートはここにかけて」と言われる都度、その理由を問いただしていれば、二度と家に呼ばれなくなる。
一旦は根拠を考えず、無根拠でも従った方が良いケースが多々。些細なこと、その場限りのこと、そんなどうでもいいことは年長者、権威者、その道の達人の言いなりになっておけばいい。顔を立てておく。
しかし、問題はその指示が自分にとって影響が大きな場合。その場合は根拠を精査する必要がある。多額の出費がある、長時間を要する、仕事の調整が必要、家族を巻き込むなど、人生に大きく関わる課題の場合。
他には些細なことだけど、毎日することも要注意。習慣になってしまうと疑いもしないが、実は不合理だった非効率だったり。その動作そのものが不要だったり。
ものみの塔発行の「日々の聖句」を毎日読むなんてのは、積もり積もって膨大な時間を無駄にするだけでなく、習慣になるとその行為に疑いがなくなる。さらには中身に対しても。聖句にまつわるものみの塔の独自解釈を毎日読むことで、念入りに思考がものみの塔化される。
確信していたはずの内容が、適時正されるものみの塔の宗教本
“確信が正され続けてきたエホバの証人、ものみの塔万馬券を妄信” の続きを読む