エホバの証人の割り当てとは?assignment?

亡くなったエホバの証人少年の初「割り当て」

エホバの証人川崎事件の少年と初めての「割り当て」

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十章 道」より。

エホバの証人の輸血拒否事件、川崎事件を扱った本書。被害者児童が亡くなったのは1985年6月6日。本書によると翌6月7日はこの少年の「初めての割り当て」だったとある。

エホバの証人の割り当てとは?

正式なエホバの証人になるには、段階を踏む必要がある。ここでいう正式というのは献身、バプテスマという儀式を受けること。この儀式を受けたエホバの証人は、組織内で「兄弟、姉妹」と呼ばれる。

亡くなった少年も、断固輸血拒否したその父親も献身しておらず、まだ「兄弟」ではなかった。この2人の事例からすると、エホバの証人のマインドコントロールの危険度合いは献身宣言の有無には関係しないようには見える。

しかし、エホバの証人の目指すところは、一旦はこの献身。

仲間内から「兄弟、姉妹」と呼ばれる、馴れ合いの疑似家族空間の仮想温もりがこのカルトの一端を支えている。私みたいにこの馴れ合い環境を気持ち悪いと思う者は、ズブズブ馴れ合い信者に比べれば、脱会へのハードルは低い。

自称「伝道」、エホバの証人のねずみ算的集客システム

エホバの証人のバプテスマとは

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エホバの証人の川崎事件、無垢の少年を殺したのは何か?

エホバの証人の輸血拒否

エホバの証人の少年は、なぜ死ななければならなかったのか?

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第十章 道」。エホバの証人の川崎事件で、亡くなった児童が当日に走った道。そして、この宗教に堕ちる哀れな人々が歩む精神的な道。その二つの道を走破・考察する第十章。

被害者児童はなぜ死んだのか?それはエホバの証人の教理により輸血拒否したためなのだが、その前段、なぜ事故に遭ったのか?本章では、その詳細が明かされている。

夕方、少年は自転車で家を出た。行き先はエホバの証人の信者の家、目的はエホバの証人の宗教本研究のため。つまり、

当初からエホバの証人に関係しなければ、事故に遭うことは無かった。

エホバの証人の人命軽視

エホバの証人は、永遠の命を持った完全体に生まれ変わるという妄想を強く抱いている。そのため、現在の限りある不完全な命を、心の奥底では軽んじている。

エホバの証人による命の軽視傾向は普段は具現化されることはない。神より与えられた現生命を大事にせよ、という建前にはなっている。しかし、

川崎事件ではエホバの証人の人命軽視主義を、証明してあまりある悲劇の結末を迎えた。

エホバの証人、カトリックの病院はOKなのに輸血がNGな理由は?

エホバの証人の輸血拒否は生命に対する冒涜、生きて償わせるエホバの証人の穢れ

名ばかりの保護者、エホバの証人の親

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邪(よこしま)な人間が生み出した禍々しいエホバ、人違いの神様

邪悪なエホバ

元エホバの証人、自分の判断を正せないのは危険

昨日の記事で書いた、カルトから完全脱却できていない元エホバの証人氏のブログ。ブログ主は、自分は常に正しい。自分だけは判断を誤らない。自分が最も賢い、と思っている。ゆえにカルトの餌食になる。隙だらけなので。

エホバの証人内でも浮くパターンの人。私の子どもの頃にも、似たようなエホバの証人の信者がいた。頭が良いのか悪いのかよく分からない。それとも、単にこだわりが強いだけなのか、しかも枝葉末節に。そして、人の意見を全く聞き入れない。

エホバの証人に染まらず、逆にスゲー奴なのかな、と思ったこともあったけれど。それなら最初っからエホバの証人に一切関わらないのが、正解。

結局、居場所を必要としていて、その性格ゆえになかなか世間じゃ認められないモノだから、来る者拒まずのエホバの証人に流れ着いた。

そして、自分の選択だけは常に正しいと盲信しているので、エホバの証人に関わったのが過ちとは思えない。悪いのはエホバの証人組織内の人間なんだとなる。

汚れた人間が禍々しいエホバを生みだした

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エホバの証人から脱出したあとは、視野を広く柔軟に方向転換

カルト脱会後は、視野を広く柔軟に

気持ちいいくらいに正反対意見の元エホバの証人ブログを発見

私は、SNSなどでエホバの証人の情報収集を行っていて、自分以外のブログも、ときには読んでいる。最近、気持ちいいくらいに意見が真逆のエホバの証人関連ブログにたどり着いた。

そのブログ作者ご本人は、おそらく脱会済み。エホバの証人組織の「人」につまずいたパターン。「統治体がー、とある長老がー、信者たちがー」と、エホバの証人の言行不一致の細部を指摘する記事のオンパレード。

それで、ブログ作者本人は「エホバは信じてる」と。しかし「聖書は全部読んでいない」と。そのブログ主ご自身が「それで良いと現役時代に判断した」かららしい。

凄まじく低レベルな短絡思考、決めつけ判断力が濫用されている。つまり、愚かで残念な人。

聖書みたいな古臭い異文化の本は、隅から隅まで何周も読んで、参考文献を幅広く調べて、それで表面的にやっと理解できるかどうかのレベル。それもエホバの証人の新世界訳だけでなく、多訳で読むべき。

その上で、ヘンテコネームの「エホバ」を神として認めるか判断すべき。

私は、何も聖書を全部読めと言っているのではない。私もエホバの証人2世であることを強要されていたときに、全部読んだかどうか微妙。今でもさほど興味はない。

新世界訳聖書をつまみ食いして、「エホバは間違いなく存在します!」っていう思考回路がヤバいんだぜ、と言っている。一を聞いて十を知る聖徳太子レベルの優秀人類でないと、それはムリ。

ブログを流し読みした時点で、当人の知能レベルが伺える。このブログ作者は、間違いなく聖徳太子の対極に存在している。そもそも「エホバ信じてます」の段階で、精神が不健全であることは明らか。聖徳太子にはあらず。

包容力のある大人な社会は、決してカルトを許さない

自戒としたい元エホバの証人ブログ

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元エホバの証人2世の宗教観、盲信と暴走の果ての信念

洗脳、解除

反エホバという宗教観による暴走

昨日までの記事で、反エホバは私にとって宗教だと書いた。この反カルト思考はもはやカルト。同じ穴のムジナ。毒を以て毒を制す状態。自分でも危うい妄信・暴走の観もある。

とはいえ、エホバの証人組織=バッドだけはまかり間違えようのない真理。濃淡こそあれ、方向性は正しい。

エホバの証人2世の私、かつて10代の頃の自我の芽生えと分裂の危機を救ったのは、この反エホバ思想。反ものみの塔思考が10代後半の私の自我を再統一した。

この固い信念で私は突っ走る。エホバが創造主だろうが何だろうが関係ない。一瞬を、刹那を全力で生きるオレの邪魔をするなと。

ものみの塔の洗脳下にあった私は、終末ハルマゲドンの勃発を信じていたので、刹那具合はさらにマシマシ。20才まで生きられるのかは不明、童貞のまま神に滅ぼされてなるものか、とひたすらに励んだ。

元エホバの証人2世の宗教観

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エホバによって引き裂かれた自我、その再統合のための反エホバ

引き裂かれた自我の再統合

分裂の危機にある自我を統一するのが宗教

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第九章 子」から。

ものみの塔を解散させ、エホバの証人をゼロにする。この思いは私にとって既に○○。と昨日の記事で書いた。

この○○とは「宗教」。

ものみの塔を解散させ、エホバの証人をゼロにする。これはもはや私にとっての宗教。

宗教について、この本『説得』では以下のように他の文献からあらーく引用している。

ウイリアム・ジェイムスが、その膨大な著作のどこかで“宗教というものは、何らかの理由で分裂した自我を、再び統合する力である”という意のことを言っていた

現代社会において、子どもがエホバの証人という宗教を親に強制されれば、いずれこの状態に至る。自我の芽生えと分裂。

自我の再統合に、そのまま宗教としてのエホバの証人を求めると、人生がほぼ終わる。そのままエホバの証人の大人になり、本来の自分を押し殺したままの生活が続く。圧倒的な精神的不健康。精神を病んだり、文字通り自ら人生を終えたり。

私の場合は再びの自我の統一に使ったのが、反エホバという強い意思だった。

反エホバという宗教

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元エホバの証人のモラル、不自由を追い求めるエホバの証人の解放を!

絶望の先にしか真実はない

人類皆牧師?人類皆聖職者?エホバの証人の間違い

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第九章 子」から。私自身が子どうの頃にエホバの証人を強要されていたこともあり、この章には考えさせることが多く。

生きたモラルに対する内的な直観-それは、聖書のモラルを外側から強制されるエホバの証人の世界には、見つけにくいもの

だったから、マンガ『湘南爆走族』にハマったというエホバの証人の子どもが紹介されている。

私もこの内から来る直観がエホバの証人をやめる原動力になった。私の直観、それは、

誰もが人生の意義は自身で決めるべきであるというもの。生きる意味は自分で考えるべきという私のモラル。

神が人間の創造物だろうが、人類が原罪を抱えていようが、その贖いに深い愛が示されようが、そんなのオレには関係ない。それが私のモラル。

生きる目的のようなモノは自分で見つけるべきで、それが見つかればそれに全力を尽くせばいい。たとえ見つからなくても、その迷いもまた人生そのモノ。

「神の王国の到来を宣べ伝えること、それが人生の意義の正解です」と、人から与えられることでもなければ、ましてや押し付けられるモノではない。生きる意味なんてモノに、全人類共通の最適解なんかあるわけない。

無理やりに共通化しようとすれば、既にその答えは私が述べている。迷いながら自分で見つけるモノ、もしくは迷うことそのモノが人生。

エホバの証人の強制する、神の王国を宣べ伝えることが人類共通の人生の目的ってのは明らかにおかしい。人類皆牧師?人類皆聖職者?そんな人生まっぴらってのが、私がエホバの証人をやめた14才のときの内からくる直観。

エホバの証人の唯一の救いは、脱会してからの絶望

すべてのエホバの証人を解放し、ものみの塔を崩壊させる

あえて不自由さを求めるエホバの証人を見逃せない

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元エホバの証人2世の完全なる救い、エホバから自由になる方法

エホバという暗闇から自由になる方法

死んだエホバの証人の子どもは自分自身

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の「第九章 子」から。本書が題材としているエホバの証人児童の死、著者はその亡くなったの子どもの幻影を追いかけている。

「死んだ子供は、ひょっとしたら俺なのかも知れない」と筆者は書いている。

あの被害児童は我々そのもの。右も左も分からない幼い頃からカルトを強制されたエホバの証人の子ども。

私にも、被害者児童同様に輸血拒否で殺されていた可能性が充分にある。その死地から偶然サバイバルした者の責務として、このブログを書き続けている。

物理的に死んだかどうかはさておき(尋常でなく大きな問題ではあるが)、エホバの証人の子どもとして傷を負ったという事実は誰もが共通。それぞれが抱える傷の深さが違うだけ。

死んでしまったか、生きているかの違い。あまりにも大きな差ではあるが、生きていても、深い傷に身動きがとれなかったり、数十年もの間、見える景色が灰色のままだったり。死に体同然だったり。

やはり、あの被害者の子どもはオレたちなんだ。

エホバの証人のマインドコントロール大会の狂気に流す涙

カルト宗教の2世信者が救われる方法~映画『星の子』より

エホバの証人のまま暗闇を彷徨うもう一人の自分

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『一九八四年』塔から与えられればどんなに愚かなことでもそのまま信じられるエホバの証人

塔の言いなりになるエホバの証人

ものみの塔による歴史の改竄と情報操作

今読んでいる本、ジョージ・オーウェルの『1984年』。

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全体主義の仮想独裁国家に牛耳られる国民。体制は、過去の記録をもれなく、惜しげもなく改竄する。結果、女性たちは魅力のない存在に。まるで人形。抱いても無反応。

この構図はまるでものみの塔とエホバの証人。

ものみの塔も過去の過ちを闇に葬り去ろうとしている。

初代ものみの塔協会会長のラッセル君の墓、この盛大なピラミッド型のモニュメントは2021年に撤去された。かつて組織ぐるみで子どもに体罰を加えまくったことも無かったことになっている。数々の終末予言の大ハズシも気のせいで信じた側の責任に。

情報操作による信者のマインドコントロールはものみの塔の専売特許。外から見ればものみの塔はおバカなカルトに違いないのに、内部にいるとそうは思わない。信者に届く情報にはフィルタがかけられているから。

外部の人は皆、悪魔サタンに操られているとエホバの証人たちは思い込まされている。だから、「自分たちエホバの証人たちのことを悪く言う」と思考をコントロールされている。

輸血拒否したり、ろくに働きもしないで、復活だ、永遠だと言っていれば、そりゃ変人扱いされて当然。エホバの証人は、自分自身を全く客観視できていない。

エホバの証人は楽園での永遠の命という大ウソに惑わされている

塔の言いなりになるエホバの証人

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エホバの証人に対して愛を示す方法は、彼らを狂人として扱うこと

エホバの証人の命に関する要求には一切応じない

エホバの証人の化けの皮

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』から。

エホバの証人の親が輸血拒否したために児童が亡くなった川崎事件。第八章 医師。著者が治療に関係した医師5名に取材した内容。

医師たちに共通するのは当然、亡くなった児童を救いたかった、という思い。法の規制、医療のあり方、信仰の尊重、そういったモノがごちゃごちゃになっているあいだに、一人の子どもの命が失われた。

諸悪の根源は、目立ちたいから命がけで輸血拒否するように信者を扇動しているものみの塔。エホバの証人たちは、無根拠な輸血拒否教理のために不毛に死んでいる。

こんなカルトへの信仰が尊重される必要などないのだが、一般論ではそうもいかず、結果、無垢の子どもの命が永遠に奪われる結果となった。

本来雑多である宗教を、定義というかたちに押し込め、ブラックボックスの中に放り込んでしまったのではないだろうか。一歩踏み込んで、個々の宗教の内実を見る努力を、放棄してしまったのではないか。極端に言えば、彼の立場を徹底すると、宗教というカラを被っていれば、何をやってもいい

著者は一人の医師の深層心理をこのように指摘している。

宗教というカラを被っているカルトのエホバの証人。化けの皮を剥がせば、組織のためなら子どもに死をも強制する殺人集団。子どもや信者の自由意志を奪い、食い物にする収奪の仕組み。

とはいえ、医師にここまでを求めるのは酷。出血多量で運ばれてきた死にかけの子ども。後で来た親は「何が何でも輸血はできません~」と言っている意味不明人。時間との戦いの中、その宗教の内実を見極めるなんてことはできない。

表面的に見れば、「子どもを殺してください~」と言っているも同じ。明らかにイカレているカルト集団。だからと言って、医師に何ができるというのか。法整備前のこの段階では、宗教というカラを破ることはできなかった。

エホバの証人に対して愛を示す方法

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