エホバの証人の「時に信仰を持たない」愚かさ、「空箱」への信仰

エホバの証人の空箱信仰

エホバの証人の認知不協和

エホバの証人2世の論考集『エビのしっぽ』より。

エホバの証人の年代計算の矛盾を指摘すると必ず言うのが「我々は時に信仰を持っているのではない」

これは

認知不協和

(自分の信念と現実が異なると現実の認知を変える)

喫煙者が、タバコで肺ガンになるリスクより、禁煙のストレスの方が大きいと言うのと一緒。ストレスで余命宣告はされないのに、現実の見え方をねじ曲げている。

人は、自分の見たいモノ、自分にとって都合の良いモノを見ようとする。そして、現実と異なる見方をする。自分の心に対し当たり障りの少ない方へ、変化を生まない方へ、現状を変えない方向へと。

エホバの証人が幾度の予言ハズレや、ものみの塔組織の不義、信者の愛の欠如といった場面に遭遇しても、信仰を捨てないのは、この人間の性質が影響している。

このように、エホバの証人の不思議は、洗脳とかマインドコントロールといった大仰な言葉を使わなくても説明できるというのが、この本の著者の一貫した主張。

エホバの証人の三段跳びからのハイジャンプ論法

ものみの塔協会の論理ハイジャンプ

エホバの証人の「時に信仰を持たない」愚かさ

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日本人のエホバの証人海外宣教者は、日本の恥さらし

日本人のエホバの証人宣教者は恥さらし

理解しがたいエホバの証人の海外宣教者の心理

昨日の記事で日本のエホバの証人の増減について書いた。2021年は平均伝道者数1,417人の増加。1,000人以上の増加は、21世紀に入って以来の初めてのできごと。由々しき事態。

とはいえ、この増加はコロナ禍で海外の宣教者が帰国したからと言われている。国内のエホバの証人の純増を示すモノではなく、潜在人数が表面化しただけ。それならば事態はマシなのだが、違う視点で疑問を抱いた。

現代日本人の中に、海外へエホバの証人の布教をしに行っている人間がいるということ。海外へ宗教の布教に行くという、その価値観に非常に大きな疑問を抱く。私には一切の共感がない。

宣教者本人は、人生を投げ出してしまうほどなので、激しいマインドコントロール化にあるのは間違いない。つまり、ものみの塔だけが真理、その良い便りを世界にあまねく伝えなければならない、と思考が操られている。

または、海外宣教者は教団内では高めのステータスを得られる。その特権欲、自己顕示欲にまみれて、海外までカルト布教に行っている。これは本人だけでなく、周囲の家族の期待、プレッシャーによるところも大きい。

こういった、本人にとっての悪条件が揃うと、不毛なカルト活動のために海外まで行ってしまうのだろうか。私はエホバの証人をやめて30年弱。ものみの塔は完全なカルトで、害悪そのモノと理解しているので、全く理解できない感覚。

この宣教者は、海外で布教してしまう人物なのだから、語学ができて、行動力・好奇心・活力があって、という優秀な人材のはず。それをカルトの海外布教という、有害極まりないモノに使い捨ててしまうのだから、いかにものみの塔が災厄をもたらす存在かということが分かる。

日本という国にとっての損失。

MOTTAINAI、エホバの証人の宣教者

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21世紀、エホバの証人(JW)は決して減っていない

前年との差1993-2021

ものみの塔というキズの半治癒に30年

昨日の記事で、怒りからくる復讐心で、ものみの塔撲滅という活動を行っていると書いた。エホバの証人脱会後、この心境に至るまで30年弱。14才からアラフォーまで。

失った子ども時代の清算、過剰な自意識の削減、洗脳状態からの解放、社会的立場の回復、精神の安寧。これらを揃えるのに30年かかり、それでも怒りは収まらなかった。

自身の心身の保全のため、エホバの証人に関することのすべてを避け続けた30年間。駅前に立っているエホバの証人を見かけたり、車の中からエホバの証人の王国会館を見かけても目を逸らし続けた。

こうでもしないと、今の穏やかな日々は無かった。この間、ものみの塔に関するモノを見ると激しく心が反応していた。穏やかな日常に「ものみの塔」という闇が差すと心が動揺する。暴力的になったり何事にも乱雑な対応したり、日常を的確に過ごせなかった。

とはいえ、30年という時の経過はあらゆるモノを薄めた。わき上がるものみの塔への怒り以外は。

完治せずとも、ものみの塔という人生のキズは半治癒状態。ようやく戦闘準備完了。という所で、気付けばエホバの証人は減少中、放っておいてもいずれ組織崩壊するという意見を聞く。

これからという所でハシゴをはずされた感じで拍子抜けなのだが、エホバの証人とものみの塔が消滅するなら、それはそれで良い。

本当にものみの塔は消えるのか?今日はその点を考察。

エホバの証人の平均伝道者数の推移

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エホバの証人に対する復讐心は、カルト撲滅の原動力になるか

元エホバの証人2世の復讐心

元エホバの証人2世の復讐心という原動力

『同志少女よ、敵を撃て』より。AmazonのAudibleで聴いている途中。

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復讐すると決めたとき、生きる活力が戻ってきた

復讐の力は生きる希望を与えてくれる

復讐を遂げるという目標によって生きる理由が生じる

復讐心が戦争の原動力になっている。

私が、ものみの塔を壊滅させようと、不毛にも思える活動を続けているのは、復讐のためなのだろうか?とふと考えた。

ものみの塔が存在しようがしまいが、具体的に被害を受けている家族・知人は既にいない。ものみの塔が消滅したところで何かご利益があるわけでもない。

両親との家族を失ったこと。取り返すことのできない無邪気な子ども時代。その復讐。この感覚は多少ある。

しかし、それを原動力に生きる糧に変えるというほどのエネルギーではない。そんなモノがなくとも、脱会後の人生で生きていく糧を充分に築いてきた。

それより大きいのは怒りと苛立ち。嫌悪。

誰にも言えない人生の汚点を、よくもオレに残してくれたなと。覚えとけよ。必ず後悔させてやるという思い。これがものみの塔を消滅させたい一番の原動力。結局は復讐心。

『同志少女よ、敵を撃て』~共感と帰属意識による癒し

『同志少女よ、敵を撃て』~本当のことを言えば殺される

ものみの塔の崩壊だけを人生の目的にしない

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ものみの塔万馬券に対するエホバの証人の全幅の妄信

当たらないものみの塔万馬券

エホバの証人のハルマゲドン確率何%?ゼロだろ

昨日の記事の内容は以下。

予測はわりと当たるが、絶対当たると言いきっちゃう予言は絶対に当たらない。しかしながら、我々人間は予言のようなインチキ臭いものでも信じてしまいやすい体質。

それでも人間は、一旦信じたモノを修正する能力をも備えている。その能力を発動させるためには、多様な価値観を受け入れ、消化することが必要。

それができないのがエホバの証人。ものみの塔の当たらない万馬券預言に全幅の妄信を抱いているから。

ありそうなエホバの証人の反論は、ものみの塔の予言解釈は都度訂正され、予測精度を増している。決して当たらない「予言」ではない。

それならば、ものみの塔の予言は、予言と呼称しているものの予測に近いということになる。ならば、ハズれることもある。ハルマゲドン確率何%?天気予報の降水確率と同じ。雨降るって言ってるし、傘持っていこう。そのレベル。

ハルマゲドンが来ないほうに傾いたら?(当然、ハルマゲドンなど来ない)

エホバの証人の予言がハズれた場合の被害は、「天気予報を信じてずぶ濡れになっちゃいました」の比じゃない。ものみの塔に全財産、全時間を賭けてしまうというのは取り返しがつかない。人生を完全に失ってしまう。人生すべて無駄遣い。

ものみの塔によるエホバの証人の情報ブロック

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絶対当たらないのが予言、ときどき当たるのが予測~予言するものみの塔はニセモノ

偽予言者、ものみの塔

絶対当たらないのが予言、結構当たるのが予測

元エホバの証人2世の論考集『エビのしっぽ』。Kindle Unlimitedなら無料。

我々は確かに預言などを信じやすいんですけど、修正能力も持っている

この我々というのは人類全般。程度の差こそあれ、人間は太古から予言などを信じやすいようにプログラミングされている。なぜなら、先を予測しないと危険を回避できないから。

天気予報がなければ、傘が無くてずぶ濡れになる。草やぶのような暗がりには危険な生物が潜んでいるのを想像して、原始時代から人間は闇を恐れてきた。年長者の伝承や助言に従うのも、先人の知恵に学び、行く末を案じて生き延びるため。

そんな未来予測全般を無視して、行き当たりばったり好き放題に生きていれば、人類は早晩全滅していただろう。

しかし、たった一度の成功体験から原因と結果の因果関係を決めつけて、当たりもしない験を担いだり、それを他人に押しつけたりというのも人間の性。

そして、この予測という人間の習性に付け込んで悪さをするのが数多の偽予言者。予測の謙虚さや不確実性を排除し、絶対当たりますと言い切るのが予言。

絶対当たるなんてことはあり得ない。先のことは誰にも分からないし、不確実な要素が多すぎる。

ズバリ言うと、不確実性を全部排除して当たると言い切る以上、当たらないのが予言。当たるはずがない。当たるか当たらないかは分からない前提を認めた上で、当たる可能性が高いのが予測。

ハズれた結果を鑑みて修正、さらに当たりやすくなっていくのが予測。初めっから絶対当たるの一点張りで、結果を一切顧みない、ハズれたときにはすべてを失い、時すでに遅しというのが予言。

つまり、絶対当たらないのが予言、結構当たるのが予測。

「予言ハズシても信者減らねぇっす」という麻薬中毒のものみの塔

エホバの証人の全幅の妄信

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確信が正され続けてきたエホバの証人、ものみの塔万馬券を妄信

当たらないエホバの証人万馬券

無根拠で突き進み、人生を失うエホバの証人

元エホバの証人2世の骨太論考集『エビのしっぽ』より。Kindle Unlimited会員なら無料で読めた。(2022/5現在)

エホバの証人は、ものみの塔の宗教本に

書いてあるからと確信するに足る根拠を得るための手順を省略する

これはエホバの証人に限った話でなく、人間全般にあてはまる。著者もそれには好ましい面もあると述べている。生活手順の合理化、人間関係の円滑化を図れる。

例えば、子どもが親に言われること。「手を洗え」「食器を片付けろ」その根拠をいちいち考えていたら、日が暮れてしまう。

地域のルール、交通ルール、家族のルールなども同じ。初めて渡る交差点を見るたびに「ここは何で二段階右折しないといけないのだろう、制限速度40kmの根拠は?」とやっていたら、どこにもいけない。

親戚の家に泊まって、「車はここに停めて、コートはここにかけて」と言われる都度、その理由を問いただしていれば、二度と家に呼ばれなくなる。

一旦は根拠を考えず、無根拠でも従った方が良いケースが多々。些細なこと、その場限りのこと、そんなどうでもいいことは年長者、権威者、その道の達人の言いなりになっておけばいい。顔を立てておく。

しかし、問題はその指示が自分にとって影響が大きな場合。その場合は根拠を精査する必要がある。多額の出費がある、長時間を要する、仕事の調整が必要、家族を巻き込むなど、人生に大きく関わる課題の場合。

他には些細なことだけど、毎日することも要注意。習慣になってしまうと疑いもしないが、実は不合理だった非効率だったり。その動作そのものが不要だったり。

ものみの塔発行の「日々の聖句」を毎日読むなんてのは、積もり積もって膨大な時間を無駄にするだけでなく、習慣になるとその行為に疑いがなくなる。さらには中身に対しても。聖句にまつわるものみの塔の独自解釈を毎日読むことで、念入りに思考がものみの塔化される。

現役エホバの証人、恐怖に震えろ~人生すべて無駄遣い

確信していたはずの内容が、適時正されるものみの塔の宗教本

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元エホバの証人2世のいる場所~エホバというカルトの毒を癒す場所

共感による癒し

誰にも頼れないエホバの証人2世

私は生まれながらのエホバの証人2世で、14才のときにエホバの証人を脱会。それ以来、エホバの証人に関することの思考・判断・行動はずっと一人。

エホバの証人脱会時も、親との決別を覚悟の上、脱会宣言。その際、誰にも何の相談もしなかった。自分一人で考え、自分一人で決めた。

これは今でも頼もしく、当時中学2年生の自分を誇らしく思うのだが、相談できる親戚の1人や2人はいたような気もする。ただ、誰も信頼できない精神状態だった。誰も信頼できないというのは悲しい。自ら世界を拒絶し、自分の殻を閉ざしている。

学校の友人に相談したって何の役にも立たない。生活費出して養ってくれるわけじゃない。

しかし、そうじゃない。「お前も辛いんだな」「そんなややこしい家庭環境にいたって、お前とは友達だせ」そう言って貰えるだけで十分助けになった。

しかし、当時の自分はエホバの証人という自身の弱みに注目するあまり、一切の弱みを外に出せない、完璧で強くなければ生きていけないと思い込んでいた。だから、信者でないノーマルな親戚にも学校の先生にも友達にも、誰に対しても頼るどころかひと言の相談すらできなかった。

親戚や学校の教師から、脱会意志が親に漏れないともいえない。それは避けたかった。でないと親に先回りされて、エホバの証人を完全にやめるかやめないかという白黒選択を曖昧にされる恐れがあった。迅速に完全にエホバの証人をやめるという計画を、曖昧かつ緩やかなモノにされるのは避けたかった。

完全にエホバの証人を生活から退けられたのは、一人で極秘裏に単独潜航、いざ宣言したら「急速にエホバの証人全般を切り捨てる」計画が功を奏したから。

脱会時に周囲にヘタに相談しなかったのは、それはそれで良かった可能性もある。

『同志少女よ、敵を撃て』~共感と帰属意識による癒し

エホバというカルトの毒を癒す場

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元エホバの証人2世、14才の背教者が『夜明けへの道』になる

14才の背教者

元エホバの証人2世、14才の背教者の読書感想文

私は生まれながらのエホバの証人2世信者で、14才の秋に自分の意思で脱会。

その翌年書いた読書感想文が背教者感満載だったのでこの場で紹介したい。

こうして現在、しこしこと反ものみの塔活動をやっている原点は20年以上前にさかのぼる。14才の背教者。

この読書感想文は、学校中に配られた文集に載るような賞を貰ったのだが、内容がいかんせんホンモノの中二病なので、原文ママの掲載は控えたい。恥ずかしくて自分でも読めないので。

読んだ本は、インドの人種差別に対抗して活動した人の話。当人がインドの被差別層の『夜明けへの道』になったのに乗じて、オレも、暗闇でもがく人々の道になってやる!くらいのことを書いた。

エホバの証人信者の脳内がヤバい理由、悪化の一途

残りわずかな人生の時間を生きる

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エホバの証人2世被害者は、箸を正しく持てるのか?

エホバの証人2世は箸をきちんと持てるのか?

宗教2世被害者は箸をきちんと持てるのか

「エホバの証人2世って箸を正しく持てますか?」という質問を、ブログ読書さんから頂いた。

某宗教2世被害者の箸の持ち方が酷く、その理由が親が宗教にかかりっきり。代わりに2世信者本人が家族の面倒をみなければならず、箸の持ち方どころではなかった。という被害者本人談をお聞きになったそうで。

この点、エホバの証人はこらしめという体罰で子どもを縛っている。「箸の持ち方も体罰でしつけるので、前述の某宗教2世とは違い、箸をちゃんと持てるのではないか?」という仮説を持たれている様子。

結論から言うと、エホバの証人の2世被害者だから、箸がきちんと持てる持てないというのは無い、と思われる。

その宗教特有の儀式で頻繁に箸を使うというのなら話は別だが、そうでないのなら、この宗教の2世信者だから箸を持てないとか、あの宗教の2世被害者だから、この生活習慣ができないというようなモノは無い。

体面を気にするエホバの証人

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