神戸高専剣道実技拒否に見る、エホバの証人の戦い好きな性質

エホバの証人は、なぜ剣道実技を拒否するのか

エホバの証人の使用する新世界訳聖書。その中に下記の一節がある。

彼らはその剣をすきの刃に、その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず、彼らはもはや戦いを学ばない
(イザヤ書2:4)

エホバの証人は、この一節を文字通りに厳格に適用している。そのため、兵役を拒否し、学校の武道の授業も拒否する。

神戸高専剣道実技拒否事件とは

世間でも有名になった、日本のエホバの証人2世の事件がある。神戸高専剣道実技拒否事件。高等専門学校に通う数人のエホバの証人2世が、剣道の授業の受講を拒否した。戦いを学ばない精神に乗っ取ったという体裁。

実際は、全く授業に参加しなかったわけではなく、見学してレポートを出した。しかし、結局は単位を貰えず、進級できないという事態に陥る。これは計5人。留年した5人は、翌年も同じ剣道の授業を受講する必要があった。

ところが、5人のうち3人は、なぜか翌年は及第点を得て進級する。これはポッキリ信仰が折れたのだろうか。かなりの同情の余地がある。

あとの2人は翌年度もかたくなに拒否。1名は自主退学。もう1名は学校側から退学処分を受ける。

偶像扱いされることになったエホバの証人2世

退学処分を受けたエホバの証人2世は、自らの信仰を守るために学歴を投げ打ったということで、教団内では聖人扱いされ伝説になる。

私は全然違う地域に住んでいて、見たこともない赤の他人だったのだが、「彼は立派なエホバの証人2世だ」と親に言われた。「見習いなさい」と。

教団は、彼らの信仰心の篤さを組織の内部に宣伝した。試練に耐えて信仰を守り抜いた素晴らしいエホバの証人2世という偶像を造り上げた。

この事件は最高裁に至るまでの裁判沙汰になる。退学処分された学生側が違憲として訴えたため。最高裁で、憲法で保障されている信教の自由が認められる判決が下される。結果、退学処分となった学生の復学が認められた。

裁判で時が経過し、この”元”学生は21才。短大相当の第4学年への編入も可能だったのだが、あえて元通りの2年生へ復学。21才にして16~17才の高校生のクラスの中へ突入。通常の神経では耐えられないレベル。さすがの偶像。

エホバの証人の矛盾

この判例はエホバの証人に有利な事例として、教団によって宣伝されている。エホバの証人2世は、この判例を盾にして武道の授業を断固拒否。学校側としても裁判沙汰になるのは望まない上に、既に判例が出てしまっているので、エホバの証人側の要求を飲まざるを得ない。

係争を徹底的に行い、自らの要求をゴリ押しするというのは、果たしてキリスト教徒として”ふさわしい”行為だろうか?

これに対して、「我々は、迫害や試練に対しては毅然とした態度で臨みます」というのがエホバの証人の模範解答。毅然とした態度というのは便利な言葉だが、結局は、論争を巻き起こして世間を騒がせているだけ。

「裁判で争うこと」は、エホバの証人が決して学ばないと誓っている「戦い」と何が違うのか?相手の弱みを攻める周到さが裁判には必要である。その係争相手に愛情を持ち続けることは出来るのか?

また、エホバの証人は自らの利益を守るため、司法という”この世”の上位の権威にすがっている。普段は軽んじている”この世”の権威に希望を託すというのは、エホバの証人のご都合主義を象徴している事例である。

エホバの証人は戦いを学ばないわりには、裁判できっちり勝つという「勝負」強さを見せる。

※2023年追記、自ら戦いを巻き起こすエホバの証人、駒として利用される長老の息子で追加情報を記載。やはり、エホバの証人組織は、自ら係争を巻き起こしていたようだ。

元エホバの証人2世の高校デビュー


“神戸高専剣道実技拒否に見る、エホバの証人の戦い好きな性質” への3件の返信

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください