カルトの本質、「騙し」
昨日までの記事で、「高額壺の販売・結婚相手の強制・政治干渉・児童性虐待・児童虐待・輸血拒否」という悪事は、カルトの本質である悪の表出にすぎない、と書いた。
表面に出る悪行は違えど、数多のカルト宗教の本質は共通。そのカルトの本質をカルト3原則としてまとめた。昨日はカルト3原則その1「自由意志の剥奪と人権侵害」について書いた。
カルト被害者は自由を奪われた家畜同然。人権も失っている。だから、ただの壺でもありがたがって高額で買わされるし、輸血を拒否して命まで失う。それが我慢ならなくなると脱会できるのだが、カルト信者たちは家畜生活を好むように誘導されている。
その誘導手段が、カルト3原則その2「騙し」。被害者の自由を奪い、人生そのものを収奪するためにカルト組織側が行うこと、それが信者を騙すこと。カルト宗教が信者を騙すのは、全カルトに共通している。
ながーい人類史の中で、たまたま自分の生きている時代に、活けるメシアが降臨した。とかあり得ないっしょ。完全にウソじゃん。「我々の組織だけが神の言葉を受けて、将来起こることを予言できるのです」とか。激しくイカれた寝言なんだけど。
この冗談みたいなウソを塗り固める周到な仕組みを作ったり、巧妙に権威付けしたり、あとは脅したりすかしたりして信者に信じ込ませる。これがカルト宗教の3原則その2「騙し」。
カルト宗教に騙されると・・・
騙されている人は、騙されている間は騙されていると気付かない。最初に信じちゃうと、後は一直線。支払った代価を失うのが嫌で、周囲がどれだけ騙されていると言ってもムダ。耳を貸さない。騙している側に感情移入して、カルト組織のいい面だけを見るようになる。
エホバの証人の場合だと、組織に属する信者が穏やかだとか、組織内で友人関係が築けるだとか。信者が穏やかなのは、取って喰われている家畜だから。表面的に穏やかに見えるだけ。エホバの証人組織内の友人関係は、信者である間限定という無価値なもの。
こんな価値のないというか、後々に脱会の妨げになるモノを、価値ある素晴らしいモノと誤認してしまう。
それもこれも、騙されているから。カルトの教理が真実だと騙され、カルト信者が良い人だらけだと騙され、カルト信者が人生で一番の友人だと騙される。
信じろ信じろのカルトの教理はウソで、完全に正しいという根拠はない。ウソだと完全に証明できないからって、真実だと証明されたわけではない。状況を見れば、ウソである方が確度が高い。たまたま自分が生きている時代に、人類史を塗り替える神の業が起こるわけがない。今までそんなこと一度たりとも起こっていないのだから。
そんなヤバい代物に人生を賭けるなんて狂気の沙汰。そして、そんなヤバい連中が一番の友人だと感じちゃう。だから、本来人生で一番の味方であるはずの家族からも見放されてしまう。その傷をなめ合うために、カルトに居場所を求めるという悪循環。
人々が穏やかで親切、骨の髄まで親身で優しいなんてのは、カルトの中に求めなくても、その辺に転がっている。ド田舎のコミュニティなんかそれそのモノ。というか、どこにいても自ら心を開けば、そんな感じに周囲の人間関係は好転する。結局、自分次第なのだが。
カルト3原則その3は明日の記事にて。
“すべてのカルト宗教に共通する本質、カルト3原則その2「騙し」” への1件の返信