自殺好きなエホバの証人

エホバの証人が輸血拒否する理由

両親は熱心なエホバの証人で私も物心ついたときには既にエホバの証人2世として育てられていた。その子供の頃に腕を骨折したことがあった。今から30年も昔の話である。小学校に入る前のことだ。その骨折の手術に輸血が必要になった。

ものみの塔協会は信者のエホバの証人に輸血を禁止している輸血イコール排斥処分となる。排斥とは破門のようなことで排斥処分となるとエホバの証人社会では村八分状態になる。エホバの証人が輸血を拒否するのはものみの塔協会が輸血を禁じているからである。ものみの塔がなぜ輸血を禁止しているかと言うと聖書に動物の血を食べてはいけないと書かれているからである。

これは主に旧約聖書に書かれている事項である。ものみの塔協会は神とイスラエル人との古い契約を現在の現実に強引に当てはめているのである。動物の血を食べる、血抜きをされていない生肉を食べるということは紀元前の人々にとってある種致命的なことだった。

現在のような冷蔵保存技術や食肉の加工解体技術がないのである。食中毒で一族全滅という事態も充分にありえた。”無駄死に”を防ぐための施政的な決まりである。日本でも明治時代までフグを食べなかった。そんなレベルの話なのである。その食血という概念を何処までも厳格に解釈してものみの塔協会は医療輸血も禁止してしまったのである。





安息日と輸血拒否の違い

輸血をしないと命が助からないという状況でもエホバの証人は輸血を拒否する。日本でも輸血拒否したために亡くなった子供がいてセンセーショナルに報道されたことがあった。自殺厳禁のキリスト教徒にとってその頑迷さは罪と言えなくはないだろうか?命よりも輸血拒否の教義を優先する。安息日よりも命の救済を優先したキリストの教えは何処に行ってしまったのだろうか?

この安息日の決まりも旧約聖書の掟である。神とユダヤ人との間の契約である。現在のエホバの証人には安息日は適用されていない。何故なら日曜日の午前中は2時間の集会、午後からは3時間の野外奉仕活動がエホバの証人には待っているからである。フルタイム労働者のエホバの証人にとってはものみの塔的活動を充実されるための唯一の日になる。この日を安息に充てよとなるとものみの塔協会の組織の運営に支障をきたすのである。

都合の悪いところは聖書を都合良く解釈し、血の掟に関しては厳格厳重に信者に強制する。輸血拒否の教義を守って他界すればエホバの証人組織内では殉教者扱いされ歴代語り継がれることになる。組織の結束を高め信者の洗脳強化のために無垢の命が不毛に散っていったのである。

 


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