あれっ?エホバの証人の皆さ~ん、安息日と輸血って何が違うの?

エホバの証人の輸血拒否による「無駄死に」

私の両親は熱心なエホバの証人だった。エホバの証人とはキリスト教を自称する新興宗教。ものみの塔聖書冊子協会が日本では組織運営の中心となっている。

私は、物心ついたときには既にエホバの証人の2世信者として育てられていた。2世信者とは親の宗教を強要される子供のこと。宗教2世とも呼ばれる。

私は、子供の頃に腕を骨折したことがあった。今から30年も前の話。小学校に入る前のこと。その骨折の手術に輸血が必要になった。

ものみの塔の教理では、輸血は厳禁。輸血イコール排斥処分となる。排斥とは、エホバの証人組織からの破門のようなこと。排斥処分になるとエホバの証人社会では村八分状態になる。
※2023年追記、輸血した信者は、排斥ではなく自動的に教団を断絶(=やめる)することになる。という理解が正しいようだ。断絶でも、エホバの証人側が信者を忌避する村八分状態になるのは変わらない。

ものみの塔がなぜ輸血を禁止しているかと言うと、聖書に動物の血を食べてはいけないと書かれているから。これは主に旧約聖書に書かれている事項。ものみの塔は、神とイスラエル人の古い契約を、現在の現実に強引に当てはめている。

紀元前の人々にとって、動物の血を食べる、血抜きをされていない生肉を食べるということは、ある種、致命的だった。現在のような冷蔵保存技術や、食肉の加工解体技術がないから。食中毒で一族全滅という事態も充分にありえた。

「無駄死に」を防ぐための施政的な決まり。日本でも明治時代までフグを食べなかった。そんなレベルの話。ものみの塔は、食血という概念をどこまでも飛躍させて医療行為にまで適用。結果、輸血拒否による「無駄死に」信者が発生している。

JWの「輸血しない方が良い3つの理由」が成り立たないワケ

輸血治療の普及を世界中に推進しているエホバの証人

安息日と輸血拒否の違い

エホバの証人は、輸血しないと命が助からないという状況でも輸血拒否。日本でも輸血拒否したために亡くなった子どもがいて、センセーショナルに報道されたことがあった。

自殺厳禁のキリスト教徒にとって、エホバの証人の頑迷さはもはや罪。命よりも輸血拒否の教義を優先する。安息日よりも命の救済を優先したキリストの教えは何処に行ってしまったのか?

安息日の決まりも旧約聖書の掟。神とユダヤ人との間の契約。現在のエホバの証人には安息日は適用されていない。なぜなら土曜日は布教活動、日曜日の午前中は2時間の集会、午後からは3時間の布教活動がエホバの証人には待っている。

平日をフル勤務しているエホバの証人がいるとすると、彼らに安息日はない。「土日を安息にあてよ」となると、信者を増やせず、ものみの塔の組織運営に支障をきたす。

都合の悪いところは聖書を都合良く解釈し、血の掟に関しては曲解し、信者に不可解な教理を強制する。ものみの塔が血の律法を輸血拒否にこじつけたのには裏のテーマがある。

輸血拒否の教理を守って他界すれば、エホバの証人組織内では殉教者扱いされ、歴代語り継がれる。ものみの塔側の狙いはこれ。特殊教理で組織の結束を高め、信者のマインドコントロールを強固にする。

信者の増殖のために、無垢の命が不毛に散っていった。不毛ならまだマシ。無意味に奪われた命が、残存カルト信者のマインドコントロール増強剤に使われているの。死んだ方も浮かばれない。死んでまで社会悪に使われるとは。


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