エホバの証人を簡単に切り捨てるものみの塔協会
『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の続き。少し読み進める。
徹底した聖書の字句中心主義をとる彼らにとって、使徒行伝に「血・・・を避けよ」と書かれてある以上、それを無視することは難しいだろう。この字句主義こそが、「輸血拒否」の看板を掲げさせたともいえる。
一度掲げた看板は、掲げ続けなければならない。
とのこと。
エホバの証人が幾人も無意味に殉教しているし、ものみの塔は、今さら「輸血OK!」と手の平返しはしにくいはず。
通常の感覚なら。
ところが、ものみの塔にはこういった「情」のようなものはない。囲っている信者に対しての愛の欠如。ものみの塔は信者のことを使い捨てる兵隊か、金づる程度にしか考えていない。
21世紀が来ることはないからと、信者の人生設計も財産も仕事も何もかも投げ出させ、いざ時が来たら、「ハルマゲドンはもうちょっと先かな」と。長年、時と金を差し出した高齢の貧乏信者に対して何らかの保障があるわけでもない。
私たちの世代は子供の頃、ものみの塔の指導で親に叩かれまくったが、既にそれも無かったことになっている。
いずれも信者が自主的に人生を棒に振り、親が勝手に子供を叩きまくったということになっている。
ものみの塔は当然のように信者を切り捨てる。
そうであれば、輸血拒否で亡くなった信者も勝手に自分の意思で死んだということになりかねない。都合が悪くなれば切り捨てられる。
事実、ブルガリアのエホバの証人は輸血しても排斥処分を受けない。
ものみの塔が「輸血拒否」看板を降ろしたら
“ものみの塔聖書冊子協会に対して、振り上げた拳を降ろすとき” の続きを読む