ものみの塔聖書冊子協会に対して、振り上げた拳を降ろすとき

エホバの証人を簡単に切り捨てるものみの塔協会

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』の続き。少し読み進める。

徹底した聖書の字句中心主義をとる彼らにとって、使徒行伝に「血・・・を避けよ」と書かれてある以上、それを無視することは難しいだろう。この字句主義こそが、「輸血拒否」の看板を掲げさせたともいえる。

一度掲げた看板は、掲げ続けなければならない。

とのこと。

エホバの証人が幾人も無意味に殉教しているし、ものみの塔は、今さら「輸血OK!」と手の平返しはしにくいはず。

通常の感覚なら。

ところが、ものみの塔にはこういった「情」のようなものはない。囲っている信者に対しての愛の欠如。ものみの塔は信者のことを使い捨てる兵隊か、金づる程度にしか考えていない。

21世紀が来ることはないからと、信者の人生設計も財産も仕事も何もかも投げ出させ、いざ時が来たら、「ハルマゲドンはもうちょっと先かな」と。長年、時と金を差し出した高齢の貧乏信者に対して何らかの保障があるわけでもない。

私たちの世代は子供の頃、ものみの塔の指導で親に叩かれまくったが、既にそれも無かったことになっている。

いずれも信者が自主的に人生を棒に振り、親が勝手に子供を叩きまくったということになっている。

ものみの塔は当然のように信者を切り捨てる。

そうであれば、輸血拒否で亡くなった信者も勝手に自分の意思で死んだということになりかねない。都合が悪くなれば切り捨てられる。

事実、ブルガリアのエホバの証人は輸血しても排斥処分を受けない。

ものみの塔が「輸血拒否」看板を降ろしたら

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輸血拒否が子供の意思であろうとなかろうと、ものみの塔の罪は重い

完全悪、ものみの塔

今読んでいる『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』より。1985年にエホバの証人の子供が、輸血を拒否して亡くなった話。

被害者の子供は

『死にたくないよ、生きたいよ』と父親に訴えてもいる

ところが、父親は耳を貸さず断固輸血拒否。そして被害者の子供は絶命。

これをエホバの証人に言わせると

輸血しないで死ぬのがイヤだったんじゃなくて、輸血して復活できなくなっちゃうのがイヤだった

死にたくない、っていうのはそういう意味だった

となる。憶測だらけで好き勝手な論。本人に聞いた訳でもないのにこんな話を広める。当時、私の両親たちも似たような論調で、この幼い殉教者を語っていた。

筆者はこの後、本事件にのめり込み、エホバの証人組織に潜入までして調査する。そう突き動かしたものは

輸血拒否が大の意思であったか否か

大というのは被害者の子供。

子供の意思だろうが、何だろうがそんなものは関係ない。子供は騙されているだけだから。自分の意思で輸血を拒否しようが、自分の決断で(一旦)死にたがったのだろうが、その根幹が復活という嘘。

本人が生きたいと言ったのは、「輸血して生きたい」でなく、「復活して生きたい」だとエホバの証人は決めつけ、本人の願いだったということにしている。

しかし、そんな危険思想を持たせたのは周囲の大人。周囲の悪い大人のエホバの証人。無垢の子供を「人間は復活する」と騙して殺す。罪は重い。

輸血拒否が子供の意思でなく、大人の強制であれは殺人。

輸血拒否が子供の意思であれば、そう洗脳したものみの塔やエホバの証人の大人の罪。生まれながらに「人間は復活する」と仕込まれれば子供はそう信じる。「地球が丸い」と大人が信じているのと同じ。

いずれにせよ、ものみの塔や大人のエホバの証人が完全悪であることに違いはない。

『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め

背教者のみぞ知るエホバの証人の真理

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エホバの証人(JW)、強制的に輸血して命を救う方法

死にたがりの愚か者、エホバの証人

ここ数日、エホバの証人(JW)の輸血拒否について書いている。私の経験として子どもの頃、輸血拒否したことがあり、成否五分五分の無輸血手術に挑んたことがある。

私は生き残ったのだが、輸血拒否したばかりに適切な医療を受けられず亡くなったエホバの証人の子どもも存在する。無意味な戒律で子どもの命を奪うのがエホバの証人。

現在の日本では、15才未満の子供に対しては、親が輸血拒否しようが親権停止して輸血し救命することが可能という考え方になっている。
※2023/11/20追記、この親権停止措置。非常時には全然間に合わないらしい。交通事故といった超緊急時には、エホバの証人の子どもは親の輸血拒否で命を落とすことが十分にあり得る。

親子とはいえ別人格であり、子の生存を脅かすことは許されないという考え方。そして、15才未満の子供は医療に対する判断能力がないとしているから。命の価値を推し量れない子どもには、自分で死を選ばせないということ。

15才以上で、自身で輸血拒否して死にたがっている場合には、輸血できない。大人として、医療に対する判断能力、自己決定権ありとされているから。無許可で輸血した結果、エホバの証人側に訴えられて、医療側が敗訴した判例がある。

命を救う行為が罰せられるという不条理。

何かで読んで、出典が思い出せないのだが、”この国では、どこまでも愚かになる権利が自由という名のもとに保障されている”、ということ。まさに、死にたがりのエホバの証人がその愚か者たち。

無輸血手術、不毛な命がけの勝負に挑まされるエホバの証人の子ども

エホバの証人、命がけのものみの塔崇拝、輸血拒否というブラックジョーク

エホバの証人、命に対する適切な判断能力なし

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無輸血手術、不毛な命がけの勝負に挑まされるエホバの証人の子ども

自ら、死神を召喚しているエホバの証人

エホバの証人の輸血拒否による子ども殺害。この悪夢を偶然生き抜いた者の務めとして、日々、ものみの塔を糾弾している。ここまでが昨日の記事で書いた内容。

交通事故や重病などの手術で多数の血液が失われる状態になれば、輸血が必要になる。その際、エホバの証人は輸血を拒否。子どもに対しても同様。

近年では子どもに対して輸血拒否するエホバの証人の親がいれば親権停止、子供に対して輸血ができるのだが、私の子どもの頃はそんな事例はなく、問答無用で殺されるところだった。
※2023/11/20追記、この親権停止措置。非常時には全然間に合わないらしい。交通事故といった超緊急時には、エホバの証人の子どもは親の輸血拒否で命を落とすことが十分にあり得る。

輸血なんて、普通に生活していればなかなか遭遇しないものたけど、エホバの証人をやっていると、輸血を必要とする状況を引き寄せてしまう。「輸血絶対ダメ!その時は死にます」って念じていると、輸血の方から寄ってくる。

私の子どもの頃は、「輸血拒否します」と書かれたカードまで携帯している徹底具合。これは「命捨てます」宣言にも等しい。ここまで暴走して死にたがっているのだから、死神の方から寄ってくる。「輸血しますか?死にますか?」と。

私の元にも、その輸血のピンチがやってきた。川崎事件の数年後。

無輸血に命をかけるという不毛なエホバの証人

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『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』~偶然サバイバルした者の務め

エホバの証人の親が行う殺人

殺人鬼、エホバの証人

エホバの証人の子供が交通事故で重体となり、親に輸血拒否されて殺された事件。1985年の川崎事件をノンフィクションで描いた『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』を読み始めた。

1985年当時、私は5才。被害者と同じエホバの証人の子供だった。テレビでセンセーショナルに報じられる事件を、私の親を含めたエホバの証人の大人たちは殉教者を褒め称えるかのように高揚した面持ちで見ていた。

当然の決断、勇気ある正しい決断だと、子殺しのエホバの証人の親を讃えた。自分たちも同じ境遇になったら迷わず同じ行動を取ろうと励ましあう。

バカですか?想像力の圧倒的欠如。

本当に、我が子の「輸血無しでの生命残存時間が3時間」と告げられたら?

臨場感満載で考えられないから、子どもに絶対輸血させないと簡単に言ってしまう。

輸血すれば、ほぼ間違いなく助かる命。輸血しなければ失われる命。事態は緊急で、あーだこーだやっている間に、命の灯はぐいぐい消えかけていく。

もしその場に直面しても、子どもの命に対して現実感を持って直面できないのなら、エホバの証人の殺人鬼たちは事前の安直な決意に従って、我が子の命を削ぐことになる。

エホバの証人が命がけで輸血拒否するのは目立ちたいから

輸血治療の普及を世界中に推進しているエホバの証人

紙一重でエホバの証人に殺されていた子供

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現役エホバの証人と交際すべきではない理由100選

輸血拒否教理がある限り、エホバの証人と交際すべきではない

現役エホバの証人とは交際すべきではない

現役エホバの証人なのに一般女性と付き合っちゃってる男性信者がいる件。

今日以降は厳しい話しか出てこない。個人的に恋愛相談されてたら、簡単に別れろとは言えない。2人の事情や、短いながら2人だけの歴史があるだろうから。しかし、

この場は勝手に自論を書いているだけなので、ハッキリ言っちゃうと「現役エホバの証人、しかも脱会意志もない奴とは別れた方が良い」。理由100選は言いすぎだが、今から山ほどあげる。

あくまで、エホバの証人を一般化した私の意見。私は生まれながらにエホバの証人2世信者だったという経験から、エホバの証人組織に私怨を抱く者。そんな人間の偏見に満ちた、でも正論。

当然、個人としてのエホバの証人すべてには当てはまらない。なので、現役エホバの証人と恋愛を続けるかどうかは本人が決めるべきこと。

でも、あえてそんなややこしい奴と付き合わなくとも、と思っちゃう。適齢期男性の95%は、現役エホバの証人より好条件かと思われる。それほど、現役エホバの証人はヤバい、不利。あえて貧乏くじ引かなくとも。

とはいえ、恋愛ってそんなロジックじゃないんだろうね。ホレちゃったら宗教なんて問題にならないのかも知れないし、カルト信仰しちゃってるのを含めて愛しているとか。障害が多いほど燃えるとか。

三流ドラマみたいな話になってきたけど、もっか恋愛中の2人はドラマの中にいる感覚。そこに「エホバの証人」って忌まわしいワードさえなければ、素敵な微笑ましい話なんだけど。

というわけで、何だか気が進まないけど、さぁ、仕事始めます。

現役エホバの証人と交際すべきでない理由とは。

エホバの証人の勘違い愛「アガペー」より、「エロス」

エホバの証人との結婚には命の危険が伴う

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エホバの証人、愛のない偽善的組織に命かけますか?カルト宗教に命かけますか?

エホバの証人の輸血拒否

「輸血拒否」による生存権の剥奪

エホバの証人という自称キリスト教系新興宗教。日本では宗教法人「ものみの塔聖書冊子協会」が統括的な運営を行っている。

エホバの証人の教理で、一般的な倫理と大きく乖離しているのが「輸血拒否」。

私は、信者の(特に子どもの)自由意志を奪うことが、最もものみの塔がカルトである理由だと考えている。その自由意志剥奪の一環として、輸血拒否による生存権・生存意志の停止がある。

この輸血拒否は、聖書に書いてあることでもなく、キリストの命令でもエホバの証人の神「エホバ」の言いつけでもない。この点の矛盾はエホバの証人が命がけで輸血拒否するのは、目立ちたいからで触れた。

今日は、この輸血拒否に対するものみの塔側の姿勢・態度について。エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『ものみの塔の終焉』10章「輸血」より。

愛のない偽善的組織に命かけますか?

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エホバの証人の「輸血しない方が良い3つの理由」が成り立たないワケ

エホバの証人の輸血拒否に対する暴論

エホバの証人の主張「輸血しない方が良い3つの理由」は不成立

エホバの証人やその同調者と輸血拒否の議論になると、上げてくる3つの「輸血しない方が良い理由」

  1. 「輸血は安全ではない」

  2. 「輸血しない方が予後がいい」

  3. 「輸血しない方が医療行為が軽く、医療資源を無駄にしない」

前提として、これは論点のすり替えであり、本来、エホバの証人たちは単純に教義上の理由で輸血しない。しかも、その教義がいい加減というのは昨日の記事で触れた。

今日は、この3つの理由が成立しない理由。

輸血が安全でないとしても、まず目前の危険を避けよ

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エホバの証人が命がけで輸血拒否するのは、目立ちたいから

エホバの証人が輸血拒否する理由とは

輸血拒否にも使われるエホバの証人の論理トリック「すり替え」

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『ものみの塔の終焉』10章「輸血」

自称キリスト教系の新興宗教であるエホバの証人。日本ではものみの塔聖書冊子協会が中心となり活動している。

エホバの証人の教理の中で、世間と最も軋轢を生むのが「輸血拒否」。輸血を拒否したばかりに、実際に死んだ信者も存在する。親の信仰を押し付けられ、輸血できずに死んだ子どもがいるのは有名な話。

本資料でも軽く触れられているのだが、以下の主張をするエホバの証人、または同調者が存在する。輸血の議論になると、以下3つの「輸血しない方が良い理由」が都合よく持ち出される。

「輸血は安全ではない」

「輸血しない方が予後がいい」

「輸血しない方が医療行為が軽く、医療資源を無駄にしない」

上記のエホバの証人の主張は、問題のすり替えで独善的なもの。その理由を指摘しておく。前提として、

輸血が危険だから、輸血しない方が回復が早いから、医療資源を有効活用するために、エホバの証人は輸血しないわけではない。

こんなことを言い出すエホバの証人がいたら、「問題をすり替えるな」と指摘しよう。エホバの証人が輸血しないのは、上記の理由云々でなく、単に教理上の理由。

エホバの証人の論理テクニック「すり替え」で話をごまかされないようにしたい。この3つの「輸血しない方が良い理由」が無根拠であることは、明日の記事で指摘する。

ものみの塔論理テクニック「ひけらかし」

輸血を禁止しているのは、エホバの証人の人間さま

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エホバの証人の輸血拒否は、パリサイ人モードで人命軽視の流血の罪

エホバの証人の流血の罪

日本のエホバの証人は輸血拒否適用外

エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『ものみの塔の終焉』10章「輸血」

エホバの証人という新興宗教で、最もカルトな教理が「輸血拒否」の人命軽視。聖書中の律法に「血を食べてはならない」、と書いてあるのを輸血拒否の根拠としている。

本書では、エホバの証人の輸血拒否の教理を以下のように端的にまとめている。

神は創造者として「血」についてすべてのことを知っており、命の与え主として「血」をどう扱うべきかを定める全面的な権利を有しておられる。それゆえ人は創造者の律法を尊重しなければならない。

この時点で相いれない。

まず創造者っていないっしょ。神は死んだんだって。

ものみの塔協会が主張する「創造者の約束」にムリがあるワケ

創造主だから「血」についてすべてのことを知っている?そんな完璧な創造者ならとっくに、地球を完全な理想系にしているよね。愛ゆえに野放しにしているのでなく、無力ゆえ。そもそも創造者はいない。

命の与え主として、「血」の取り扱いを定める全面的な権利を有している?オレの「血」の使用用途はオレが決めますが。

創造者の律法を尊重?律法契約って有効なんすか?ここ日本国では無効ですよ。

流血の罪、エホバの証人の輸血拒否

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