自ら、死神を召喚しているエホバの証人
エホバの証人の輸血拒否による子ども殺害。この悪夢を偶然生き抜いた者の務めとして、日々、ものみの塔を糾弾している。ここまでが昨日の記事で書いた内容。
交通事故や重病などの手術で多数の血液が失われる状態になれば、輸血が必要になる。その際、エホバの証人は輸血を拒否。子どもに対しても同様。
近年では子どもに対して輸血拒否するエホバの証人の親がいれば親権停止、子供に対して輸血ができるのだが、私の子どもの頃はそんな事例はなく、問答無用で殺されるところだった。
※2023/11/20追記、この親権停止措置。非常時には全然間に合わないらしい。交通事故といった超緊急時には、エホバの証人の子どもは親の輸血拒否で命を落とすことが十分にあり得る。
輸血なんて、普通に生活していればなかなか遭遇しないものたけど、エホバの証人をやっていると、輸血を必要とする状況を引き寄せてしまう。「輸血絶対ダメ!その時は死にます」って念じていると、輸血の方から寄ってくる。
私の子どもの頃は、「輸血拒否します」と書かれたカードまで携帯している徹底具合。これは「命捨てます」宣言にも等しい。ここまで暴走して死にたがっているのだから、死神の方から寄ってくる。「輸血しますか?死にますか?」と。
私の元にも、その輸血のピンチがやってきた。川崎事件の数年後。
無輸血に命をかけるという不毛なエホバの証人
私の場合は、生死に関わる事案ではなく単なる腕の骨折だったのだが、輸血が必要になった。当時、両親は完全マインドコントロール下のエホバの証人。私も厳しくものみの塔の教理を押し付けられていた。
複雑骨折で一度目の簡易手術で完治せず、再手術。その際に「輸血が必要」と、医師より宣告を受ける。
「もう一度手術か」という、手術室や全身麻酔に対する恐怖と、輸血というエホバの証人的衝撃ワードが飛び出して、子どもの私は相当にショックを受けた。
母親はその場で断固輸血拒否。医者側で手術方法を検討することになった。帰宅後、家族で泣きながら神に祈るという黒歴史を演じてしまう。
医師の工夫で、血を凝固だか、冷凍だかして行う手術を実施することになる。この際、成功するかどうかは「五分五分」だと言われる。
そもそもが難解な再手術、しかも輸血拒否という無理ゲーなので、病院側としては、この手術一回で完治するかどうかは「五分五分」というニュアンスで私は受け取っていた。実際、手術前に両親からは「命の危険はない」と言われていた。
のではあるが、
輸血が必要と医者が判断した所を、無輸血で手術強行。それはつまり、成功するか否か「五分五分」というのは、生きるか死ぬか「五分五分」だったのではないかと現在の私は考えている。
両親の言う「命の危険はない」というのは、一旦この手術で死んでもエホバの証人的には殉教となり「復活」するから、「命の危険はない」。そういう意味。
ものみの塔によるマインドコントロール下の両親の言うことなど一切信用できない。輸血すりゃ一発で成功し、何度も子どもに手術という怖い目に合わせずに済むのに、あえて輸血拒否で「五分五分」に挑むという精神状態。常軌を逸している。
命をかけた「五分五分」の、しかも輸血拒否という不毛な勝負に挑まされていたと考えてもおかしくはない。
結果的に「五分五分」の手術は無事成功し、骨折箇所も完治。こうして、元気一杯にものみの塔の狂気を弾劾する現在に至る。
“無輸血手術、不毛な命がけの勝負に挑まされるエホバの証人の子ども” への1件の返信