エホバの証人親の子どもへの教育、すべて無意味な理由

すべてが無に帰するエホバの証人の親子関係

エホバの証人2世に”ふさわしい”遊びとは

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。両親は狂信的な信者で、私は厳格にエホバの証人の教理を適用されて育てられた。

「ちょっと外に遊びに行きたい」と言っても、「今日はエホバの証人の集会があるからダメ」と制止される。一緒に遊ぶ友達がエホバの証人でない場合は、両親は良い顔をしない。エホバの証人の基準で”ふさわしくない”とされた場所や遊びもNG。

このふさわしい、ふさわしくないは、一応エホバの証人の基準を前提にしているのだが、親の主観が多いに入る。

エホバの証人の子どもは”模範的”でなければならないとされている。エホバの証人の規範だけでなく、世間的に見てもお利口でなければならない。

エホバの証人は、信者でない人々を”この世の人々”と呼んで、見下している。その”この世”の規範にすら外れているなんてことは、エホバの証人的には有り得ない。

エホバの証人の子どもは、エホバの証人基準を建前にした親の主観や、一般的な基準を圧倒的に引き上げたレベルで自由を制限される。それがエホバの証人の子どもにとっての、”ふさわしい”こととなる。

全てが無に帰するエホバの証人の親の教育

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エホバの証人の親が、子どもたちに与える絶大な無力感

エホバの証人親の限界

父親によって、軽く否定されるエホバの証人2世の夢

私は、物心ついた頃には既にエホバの証人2世として育てられていた。エホバの証人2世とは、親にエホバの証人というカルト宗教を強要される子どものこと。

私は14才のときに、サッカーをしたいという自分の気持ちを優先させて、エホバの証人をやめた。しかし、そのサッカー熱も数年で冷めてしまった。

サッカーをしなくなった私は、エホバの証人が禁止されている、ありとあらゆるモノに手を出し始める。エホバの証人にとって許されないジャンル(※)のテレビドラマや映画、小説なども片っ端から目を通していった。
※エホバの証人は、性描写が極端なモノや心霊的なモノはすべて禁止

テレビゲームも、ロールプレイングから格闘ゲームまで一通りやることになった。このゲームには貴重な時間をだいぶ費やしてしまった。大抵のゲームには敵がいて闘わなければならない。イコール暴力的ということで、エホバの証人の子どもはゲームが禁止だった。

サッカーをやめた10代後半の私が、将来の目標として描いていたのがテレビドラマや映画などの製作に関わる仕事だった。ストーリーに直接関わるような脚本家になりたいと思っていた。

心を揺さぶる感動を同時に多人数の人に電波やスクリーンを通して発信することができる。その感動には自分の主張を込めることができる。そんな私の夢の話を父親にしたことがある。父親は

「そんな者になりたい人間はごまんといるから無理だ」と、軽く吹き飛ばすように否定してきた。

エホバの証人の親の限界

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1995年、ものみの塔の悪ふざけとエホバの証人の親子やり直し

エホバの証人の疑似親子プレイ

1995年、ものみの塔の悪ふざけ「ハルマゲドンまだ来ないっす」

私は生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。14才のときに自分の意志でエホバの証人をやめる。これが1994年。翌年の

1995年にものみの塔協会は自身の予言に大幅な訂正を加える。それまでは、明日にでもハルマゲドンが勃発し、この世の事物の体制は崩壊するとされていた。それが「ハルマゲドンは明日というほど早くはこないよ」という、緩やかな予言に訂正される。

明日にでもこの世が終わるのだからと、エホバの証人たちは世俗の仕事を捨て、高等教育を受けることも諦め、ものみの塔の不毛な活動に従事していた。

ところが、「そんなすぐにハルマゲドンは来ないぜ」と予言の出元であるものみの塔がいきなり発表。しかも、謝罪も何もない。冗談も程々にしろと言いたいところ。

1995年の私は、エホバの証人をやめたばかりでサッカーに熱中していた。この頃、両親はいまだにエホバの証人。当時、我々親子はエホバの証人に関することを全く話さなくなっていた。

そのため、私はものみの塔の悪ふざけのような、予言の訂正を知る術が無かった。1995年の私は、まだものみの塔による洗脳が解けないまま。幼い頃からの擦り込みの影響。「ハルマゲドンが今すぐにでも勃発する」という恐怖心を抱きながら、サッカーボールを蹴っていた。

この瞬間にでも、天からの落雷で命を落とすのではないかと怯える日々。神の強権、ハルマゲドンを心底恐れていた。それでも残り少ない生涯を全力で生きるべく、ひたすらサッカーボールを蹴り続けていた。

1914年の嘘と1995年の冗談

エホバの証人の教義とその特徴である二面性

エホバの証人の親子関係の修復

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エホバの証人2世被害者、親を許すことができるのか

エホバの証人2世の愛憎

エホバの証人親子の関係修復のチャンス

私は生まれて以来、エホバの証人2世として育てられた。

エホバの証人というのは、キリスト教を自称する新興宗教。日本ではものみの塔という名称でも知られている。2世と言うのは、宗教2世信者のことで、親の宗教を強要される子供のこと。

私は、両親ともにエホバの証人という、エホバの証人の言うところの神権家族で14才までを過ごす。14才になる年に、私は自分の意志でエホバの証人をやめた。その後、20才で就職して家を出る。この頃になっても、両親はいまだにエホバの証人だった。

一人暮らしをしていた頃、ちょっとした用事で実家へ帰ったことがある。私が20代前半の頃。

実家では驚くことに、父がタバコを吸い始めていた。父はエホバの証人の長老だったはずなのに!エホバの証人にとって喫煙は厳禁。組織から追い出される排斥事案。

どうやら、父はエホバの証人のマインドコントロールが解けたのか、エホバの証人をやめたのか、はたまたその両方であるのか、いずれかは確実だった。父子関係を修復するまたとない機会だったのだが、父に対し、私は歩み寄ることができなかった。

後で分かったことだが、父はこの頃には既にエホバの証人をやめていた。しかし、母はまだエホバの証人で、両親は家庭内別居の状態にあった。この夫婦の間を取り持つのが一人息子である私の役目だったのだが・・・。

エホバの証人2世の屈辱と痛み、恐怖の節分・豆まきの記憶

ものみの塔のあやつり人形、母親によるジャッジメント

エホバの証人2世被害者が、親を許すということ

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エホバの証人は、エホバの証人でない家族を愛することができない

エホバの証人親子の未来は・・・

多くのエホバの証人2世の人たちへ

私は、ほぼ生まれながらのエホバの証人2世信者だった。14才のときに自分の意志でエホバの証人をやめた。

両親は尋常でなく熱心なエホバの証人で、初めて「もう集会には行かない」と、両親に告げたときのことをよく覚えている。心を引き裂かれる思いだった。両親の期待と、愛情を裏切る気持ちだった。

同じようにエホバの証人をやめたいと願っているが、行動にうつすことができない人が多くいる。また、潜在的に脱会意思を持ってはいるが顕在化していない人も多くいる。

その人たちの覚醒と決断に、少しでも役立つことができればという思いで、私はこのブログを書いている。

エホバの証人2世の人たちへ。あなたが本当にエホバの証人の親から愛されているかどうかは、あなたがエホバの証人をやめた後で明らかになる。

エホバの証人たちは、”親ゆえ”に子どもたちが信仰を守っていると言う。同じように、あなたの親はあなたが”エホバの証人であるがゆえに”、愛しているのではないだろうか

愛する親によってがんじがらめにされるエホバの証人2世

いつかエホバの証人をやめるという2世信者の希望

エホバの証人の親は、エホバの証人でないわが子を愛せるか

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エホバの証人親子の問題に、ものみの塔の介入を許すな

親子の問題は、親子の問題

エホバの証人2世、14才の決意と苦悩

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。両親はともに熱心なエホバの証人だった。

私は10才を過ぎた頃から、「いつかエホバの証人をやめたい」という、漠然とした希望を抱き始めた。「大人になったらエホバの証人をやめられるかも知れない」という、その程度の願い。

この願いが14才になる前に強い決意に変わる。サッカーに熱中し始めたから。エホバの証人の王国会館に通ったり、布教活動に使う無駄な時間を、サッカーの練習にあてたいと思い始めた。

しかし、私はこの決意をなかなか両親に告げることが出来なかった。

エホバの証人をやめると決意した後も、何ヶ月間もダラダラとエホバの証人の集会に通い、ときには「割り当て」られた神権宣教学校のプログラムもこなしていた。布教活動にも参加し続けていた。
※神権宣教学校とは、エホバの証人の布教活動のテクニックを磨くために話し方の練習などをする場。定期的に「割り当て」と言われるプログラムが回ってくる。男性は演題から話をしたり、女性は実演形式であったり。

この頃は本当に精神的にきつかった。やらなければならないこと、やりたいことは明らかなのにそれができない。その邪魔をしているのは、何よりも私を愛している両親

エホバの証人2世の子供の背が低い理由

エホバの証人2世という暴走人間、抑圧の代償

親子だからといって、何もかも同じである必要はない

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父親にほめられたいという、エホバの証人2世の叶わない願い

哀しいエホバの証人親子

はかない人生の、本当の意味とは

私はほぼ生まれながらにエホバの証人の2世信者として育てられた。幼稚園や保育園で幼児教育を受けることなく、母に教団の布教活動に連れ回される幼児期を過ごす。

幼児期に体を動かしたり歌ったりという機会が無かったため、私は運動が全くできず、音楽的な才能も皆無だった。集団生活にもなじまないまま小学生になる。

音痴でスポーツが全く出来ないということが、私は嫌で仕方がなかった。思春期になればなおさら。自分がエホバの証人2世であることと同じくらい、体育や音楽が出来ないこと、絵が尋常でなく下手なことが嫌だった。

しかし、熱心なエホバの証人だった両親は、そんな私の悩みなど気にも留めなかった。スポーツがダメでリズム感が皆無でも良い、エホバの証人の活動さえしっかり行っていればいい、と考えていた。

理由は、教団の言いなりになることで、ハルマゲドンを通過し楽園で永遠の命を得ることが出来ると信じていたから。心の底からただの一つも疑うことなく。これがカルトによるマインドコントロールの最終形態。

この世の終わりが近いのなら、やらなければならないことはエホバの証人活動などではない。自分の心に沿って本当にやりたいことをやらなければならない。それが、限りある命に意味を持たせる方法。エホバの証人だらけの世界で、だらだらと永遠に生き続けることには、なんの価値もない

私は14才のときにこの考えに至り、エホバの証人をやめた。

悲しいエホバの証人の親子関係

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エホバの証人2世の野球、たった一球でのゲームセット

たった一球でのゲームセット

エホバの証人の野外集会

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人の2世信者として育てられた。父は会衆の長老で、母は正規開拓者。エホバの証人の言うところの神権家族。筋金入りのマインドコントロール家庭だった。

とあるエホバの証人の野外集会のときの話。エホバの証人の集会という集まりは、ほとんどが王国会館という建物で行われる。ただ半年に一度だけ、週末の集会が”レクリエーション”を兼ねて屋外で行われることがある。これが野外集会。

この野外集会を、エホバの証人の子どもたちは心から待ちわびている。普段は羽を伸ばして遊ぶことが全くできないから。

短縮版のものみの塔誌の討議が終わると、持ち寄った昼食を食べて午後からは”レクリエーション”の時間。この日だけは午後からの布教活動もお休み。

我々エホバの証人の子どもたちは、集会が終わった瞬間に野球を始めた。他の信者が昼食の準備をしている、ほんの僅かな時間が待ちきれなかった。

そのプレイボールの第一球目を私がジャストミート。

ボールは大きく飛んでいき、昼食の準備をしていたエホバの証人信者たちのど真ん中に突き刺さった。とある女性信者の頭をかすめるのが遠目にも見えた。ホームランとはそういうモノ。運良く誰にも当たらなかったのだが、軟球とはいえ、命中していたら多少の怪我は免れなかったようにも思われた。

打ち砕かれるエホバの証人二世の子供の楽しみ

エホバの証人の野外集会の思い出

エホバの証人2世の子どもの本当の願い

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元エホバの証人2世がやりなおす、ノーマルな子ども時代

元エホバの証人2世の子ども時代のやり直し

エホバの証人2世の過酷な子ども時代

エホバの証人の教理には禁止事項が多い。そのため、エホバの証人2世の子どもたちは、親によって厳しく管理された子ども時代を過ごすことになる。

戦闘的だから武器のおもちゃはダメ、攻撃的なゲームは禁止、心霊的なテレビは見たらダメ。非常に制約が多い。

折り紙で手裏剣を折ったり、新聞紙を丸めて刀のように持つだけでも怒られた。心霊的、悪魔的なモノも一切禁止。折り紙で幽霊を折ったり、映画のキョンシーの真似をしてピョンピョン跳ねても叱られる。

こうも禁止事項が多く堅苦しいと、楽しく折り紙を折っていてもシラけてしまう。私は、両親と一緒に好きなモノを好きなだけ折って遊びたかった。しかし、両親と向き合うとエホバの証人に関わることばかりだった。

毎日、家庭での聖書研究(使うのは聖書でなく、ものみの塔協会の宗教本なので”ものみの塔研究”というのが正しい)や、エホバの証人の集会の予習をさせられた。その後で、ほんのちょっと遊んでくれるだけ。その遊びもすべて教団のルール通り。土日もエホバの証人の活動があるので遊ぶことはできない。

教団の布教活動で、クラスメイトの家を訪問したときの恥かしさたるや、言葉にできない。

学校の季節ごとの行事にはほとんど参加できなかった。エホバの証人はクリスマスでさえ、異教の行事と忌避する。

給食の前の合掌「いただきます」のときには、自分だけキリスト教の祈りのポーズという変態度マックス。エホバの証人2世の子どもにとっては、学校生活も地獄の日々だった。

マインドコントロール状態にある哀しいエホバの証人の親

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エホバの証人の親、空っぽの愛情。懲らしめによる愛情の押し売り

エホバの証人親の架空愛

エホバの証人の懲らしめとは?

私は、ほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。

エホバの証人とは自称キリスト教系の新興宗教。米国由来の宗教で世界中に広まっている。日本ではものみの塔聖書冊子協会が中心となって、運営を行っている。

2世というのは、宗教2世のこと。親の信仰を強制される子ども。

私の両親は、完全にものみの塔協会のマインドコントロール下にあった。両親の言うことを聞かないと、私は幼児の頃から懲らしめという体罰を与えられた。両親は懲らしめのときは鬼のように一変した。

両親も必死だった。愛する我が子が泣き叫んで許しを求めているのに、規定回数までは叩かなければならない。まさに心を鬼にしてムチを振るっていた。これは教団が懲らしめを推奨していたから。

エホバの証人は、「教団の言うことは絶対厳守」とマインドコントロールされている。でなければ、こんなバカげた宗教に加盟しようとは誰も思わない。

そのマインドコントロールの源泉となっているのは、ものみの塔の唱える終末ハルマゲドン。正しいエホバの証人として生きないと、ハルマゲドンという裁きの日に神に殺される。その恐怖心。

エホバの証人(JW)の子ども、懲らしめが終わるとき

エホバの証人の条件付き限定愛~JW以外は愛さないJW

エホバの証人の親の空っぽの愛情

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